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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

借りぐらしのアリエッティ

2010-08-26 | 映画
監督: 米林宏昌
企画・脚本: 宮崎駿
プロデューサー: 鈴木敏夫
原作: メアリー・ノートン
美術: 武重洋二、吉田昇
主題歌:セシル・コルベル
アニメーション制作: スタジオジブリ

イギリスの女流作家メアリー・ノートンの児童文学「床下の小人たち」を、スタジオジブリが映画化。監督は「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」で原画、「ゲド戦記」で作画監督補を務めた米林宏昌。企画・脚本に宮崎駿。身長10センチの小さなアリエッティ一家は、人間が住む家の床下で、さまざまな生活品をこっそり借りて暮らしていた。彼らの掟は「決して人間に見られてはいけない」ということ。しかし、アリエッティはその家に引越してきた少年・翔に自分の姿を見られてしまう。

一言で言えば。出会いと別れがテーマです。

小人と人間。同じ世界を生きるには。あまりにも力関係に差がありすぎる。生きもの同志です。でも、アリエッティと心臓疾患をかかえる翔君との間には。人と人との尊厳を通した。関係が成り立った。つまり。心が通い合ったのです。

体の弱い翔くんは、離婚家庭で父親とは会えず。母子家庭で、母はキャリアウーマン。自分は誰かにとっての役に立てる人間であること。つまり存在価値というものをアリエッティをとおして、何かしてあげれるのではという、初めての経験をする。だけどその親切心は、最初は一方的で、相手にとって大変迷惑であったり…。良いことをしたと思ったら。逆だったのような…。

お手伝いさんが樹木希林そっくりで。こえも彼女だから。そこがおもしろく、笑いを誘いました。

アリエッティを掌に載せるシーンは。宮崎駿さんは、反対したそうです。手の上にのせると愛玩具のような関係になると。ここでかなり議論した様なことをテレビでみて。ああなるほどな。掌からすっと肩に走っていくアリエッティ。これって、ナウシカで、狐リスを乗せるシーンにそっくり。見つめ合うのではなく。差し伸べて。目線を同じにところまで持ってきて、対等な人間関係だということを表しています。

また、らすとシーンでも。翔の足下から。生垣を登って、目線を合わせ。最後のお別れの言葉を交わしますが。ここも。二人が、愛情とも友情とも違う。人とこびと何だけど。出会ってはいけない者同士でも。対等なんだ!。同じ生き物として、お互い理解し合えた者同士。ということが伝わります。

「アリエッティ。君は僕の心臓の一部だ」このセルフにぞぞーとして。きざなんだけどさ。手術を明日に控えた翔にとって、彼女が、生きる勇気と。誰かに初めて感謝された。その喜び。まさに、生きることへの喜びを初めて知った。そう思っての言葉なんだよなあ~なんて。おもって、この映画で泣く人は、いないと思うけど。ほんと、私は、深読みしたので。このラストしーんと。音楽で。思わずでました号泣!

なんかさ~。人と人との関係。一期一会。ほんと大切にして生きていきたいです。

そうそう、対照的な男の子が。こびとの無口な。ワイルドな子なんだけど。アリエッティのこと好きなんだなあ~。こういう子大好きなんだ。口下手で、どうしようもなく野蛮なんだけど…。キイチゴをとって、てれながらぬっと出したり。翔との関係をみても、黙って。何もいわないでそっとしてくれるしね。まっ。純粋っていうか…。いいよね。

 



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