降って来るもの

写真と散文とぽえむ

2024-09-04 21:59:07 | 詩 31

     汝

 

ときどき、自分の居所が分らなくなる

ときどき、自分が誰なのか解らなくなる

Homo sapiens

一筋縄ではいかない

それで

ご先祖たちは、生き残ってきた

そのDNAで

汝も君も貴方も僕も

束の間の、inochiを営む

 

数多の月日を重ねて

数多の感情を醗酵し

数多の苦楽を

 血肉に沁み込ませてきたけれど

 

今になっても

己と汝の境界を掴めないのだ

自分と他人の境涯が定まらないのだ

 打ち寄せる漣に

 潮目が残らないのと同じように

それだから、今も

汝が我で、我が汝で

anataが汝で、汝がkimiで・・

 

想いの海で、溺れそうになる

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ウオーク

2024-09-04 05:18:05 | 自然

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 山際ようよう白くなりて・・の午前五時過ぎデス。随分と夜が長くなってきましたね。

 

     ウオーク

 

 気温が頻繁に30℃前後を往来するようになった水無月の下旬から、老いつつある”我が身大事!!”を言い訳に自粛していた”ウオーキング”を、長月に入った今日29℃の午前十時に解禁した。

 歩数「3500」約40分の撮り歩きだったが無事に完歩。途中でも帰ってからでも股関節や膝の痛みも起こらず、間が空いた後の初歩的段階を何とかクリアーしたと言う事で些かの安堵と共に有る。

 気になっていたのだ。二ヶ月にも及ぶ気分と筋肉の緩みは心身に何かしらの弊害を齎しているのではないか?と、日常の中に元通りの形態で上手く組み込んでゆけるのか?と。それから数時間が経過した今も異常を感じる感覚は起きていない。大丈夫だった!!のだと思えると、以後の令和6年後半の細やかなトレーニングへの励みと自信になった。

 BLOG等で書き続けている”老いの考察”に於いても、加齢による体力と気力の減退は一つの大きなテーマになっているのだが、一方では如何とも為し難い・・という感慨も有って、想いは、何時でも迷いの渦中を彷徨っている。けれど、老いの過程を遅らせるその一環としての重要なカリキュラムがウオーキングだという意識には変わりはないので、それが今まで通り機能していることの確認は些かの自信にもなった。

 気力と体力、両立する2本の柱を強く意識しながら、この先も適度な運動を維持継続してゆきたいと認識を新たにした今日の”外歩き”だった。  R62024 9/3 11:30

 

丁度タイミングよく工場にカメラを置いていたので、例によってそれを袈裟懸けにして📷

巷では”米がない!!”と喧しいが、今年も良く実っている。

  

    

少しづつ秋の風情も見つかる

栗の毬

秋桜

百日草

灌漑用のため池に咲く”蓮”をUPで

  

歩きに出れば、何らかの発見はある。何かに出合う・・

   

               9/4 05:53 まんぼ

 

 

 

コメント (2)
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