今回も、阿修羅原発板の魑魅魍魎氏から引用する。
私はブログ内で、福島原発巨大事故から10年を経て、プルトニウムなどアルファー線被曝、またベータ線、ガンマ線被曝による発癌が、潜伏期間を超えて発現しはじめると、繰り返し書いてきた。発癌の嵐は、今後、半世紀以上も続くだろう。
放射能汚染地には、絶対に人が住んではならないのだ。
とうとう10年 2021年03月11日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1429.html
アルファー線は、たった一個が細胞内を照射しただけで癌を発生させる 2021年09月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1631.html
福島は、見かけ上、空間ガンマ線線量が下がってはいるが、セシウム137やプルトニウム239など超危険な放射能量は、事故直後から、いくらも減衰していない。ただ、セシウム粒子が沈降してゼオライトのような泥質に取り込まれて、自己遮蔽効果によって、ガンマ線量が下がって見えているだけだ。
放射能の危険性は、ほとんど消えていない! と書いてきた。
その超危険な放射能汚染された土地に、被曝に無知な人々を騙して、無理矢理帰還させている。そんなことをすれば、何が起きるのか?
以下の記事が、一つの回答である。
北海道に避難された方からのメール 「福島に残った人がどんどん亡くなっている」 http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/681.html
やはり、福島に残った人がどんどん亡くなっているようです。残念ながら、われわれが生きている間に、福島が安心して住めるほど線量が下がることはありません。
この方の言う通り、もう大丈夫だろうと帰還するのは問題外です。放射能汚染を舐めてはいけません。
https://twitter.com/k_hirasa/status/1443231111514001409
(KT.Hirasa) 関西
FBに投稿した避難者からのメールです。是非とも読んで頂けたらと思います。8:08 AM Sep 29, 2021
-----------------------------------------------------
北海道に避難された方からのメール。ご本人の名前は伏せさせていただきます。
日本政府も無茶苦茶だが、国民の無関心も酷い。
-----------------------------------------------------
OOOO@北海道です。
福島事故から早いもので1 0 年ですが、このひとつの 『節目」 (と私たちはまったく思っていませんが) を象徴するかのように、1 0年間、思いをひとつに福島現地にとどまって闘ってきた方の計報を耳にする機会が最近、増えました。
私が見知っている方だけでも、すでに今年に入り3人。そして今朝早く、4人目の方の計報に接しました。
福島原発告訴団、福島原発刑事訴訟支援団の最重要支援者で、郡山市在住のフリーライター「人見やよい」さん。ご存じの方もいると思います。
がんで闘病生活が続いていましたが、今年まだ還暦を迎えたばかりの、あまりに早すぎる別れです。
恐るべきことに、今年に入って謀報に接した4名の方は、全員が70歳に達せず、60歳代でのご逝去です。全員、あまりにも早すぎます。
過去、私は原発問題で何度も講演会の講師などを務めてきました。
その中で 「避難生活が経済的に苦しくて疲れた。もう福島に戻りたい」とか、逆に「もう●年経っていますが、今からの避難でも意味があると思いますか」という質問を何度も受けてきました。
そのたびに私は「今ははっきりとはわからないけれど、事故から10年くらい経てば、避難した人のほうが正しかったとわかる日がはっきり来る。それも悪夢のような恐ろしい形で。
だから、 避難生活がどんなに経済的に苦しくても福島には絶対に帰ってはならない
し、 放射線被曝量は生涯累計なので、避難は時間が経ってからでもできるならしたほうがいい、と答えてきました。
この点は過去 1 0 年、まったくぷぶれていないし、考えがほんの一瞬といえども揺らいだことはありません。なぜならそれは、チェルノブイリで事故後に起きたことを見れば明らかだからです。
ウクライナ・ルギヌイ地区の健康状態 (イワン・ゴドレフスキー/
ウクライナ科学アカデミー)
http:/1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou64.pdf
私は、過去の講演会でこの資料を基に話をしたことがあります。福島では事故の影響がはっきりしていない時期だったので、「先行事例」であるチェルノブイリの例を基に話すのがいいと考えてきたからです。
この資料を作成したイワン・ゴドレフスキー氏はウクライナ科学アカデミーの研究者です。ウクライナのような旧共産圏では、科学アカデミーは政府系研究機関で、どんなに成績優秀でも、共産党員の資格がなければ門も叩けないと言われてきました。
そのような権威ある政府系研究機関の研究報告書が、このような形で警鐘を乱打している事実があります。
この資料の終わりから3ページ目 、「図9 1000人当り死亡率の年齢別グループ内訳 (チェルノブイリ事故の前と後) 」を見ると、チェルノブイリ事故 (1986年) 前の1984-1985年と事故5~10年後の1991-1996年では、60歳以下の若年層では死亡率はあまり変わらないものの、60歳以上では大きな差があり、特に65-69歳の年齢層では2倍もの差があります。
原発事故の被害では、若年層の甲状際がんばかりが騒がれており、日本政府は意図的に人々の意識をそこに引きつけようとしていますが、本当の披害はむしろ高齢者の超過死亡という形で起きていることがはっきり示されています。
高齢者は避難なんてしても仕方がない。それより早く避難解除して、ふるさとに帰らせてやったほうがいい」などという言説がまったくのデタラメであることがわかります。
高齢者でも汚染地に帰る選択などしてはならないのです。
人見やよいさんを初め、今も福島に残って活動をしているみなさんは、それを自分の人生だと見定め、自分の意思で残った方がほとんどです。その人の人生であり、部外者がそれに口を挟める余地は最近ではほとんどないことから、私も事故後5年目くらいからは、避難を呼びかけるのは「要らぬお節介」になりかねないと、本人の意思を (仕方なく) 尊重してきました。
しかし、10年目を迎えた今年あたりから、事故の影響がはっきり目に見える形になってきたな、と身震いする思いです。 「逃げるは恥だが役に立つ」は真実です。
今、 公務員宿舎から2倍家賃を請求され困難に直面している人を支える活動をしている人も、このMLにはいると思います。どんなに経済的に苦しくとも、困難に直面していても、命より大切にすべき価値観などありません。やはり避難はすべきだし、継続すべきです。
もうひとつお伝えしたいのは、郡山市の汚染状況です。
私は2013年3月まで、 事故後の2年間を福島県西郷村で過ごしました。外出時は常にマスク着用、水道水は飲まず、地元産のものは食べないという生活を続けてきました。
郡山市の汚染状況については「ほぼ全域がチェルノブイリ並み」という厳しい認識を持ち、不要不急の理由で郡山市に立ち寄るととは避けてきました。 福島市は、事故直後3度出かけ、3回とも後日体調不良に見舞われたことから、「もはや人間の住む場所ではない」と判断し、その後一度も立ち入っていません。
一方、郡山市では 『行くたびに体調不良」という極端な状況でなかったため、福島市に立ち入るのを避けるようになってからもやむを得ない事情で何度か足を運びました。汚染状況については、福島市渡利、大波などの極端な地域 (避難指示区域と実質ほとんど変わらず) を見てきたせいか、福島市のほうが数倍、激しいという認識でいました。
しかし、 福島市は実際には渡利や大波などの地域がある一方で、西部の土湯温泉など、子どもたちを数週間から1か月スパンで短期保養に出そうと思えば出せる程度には汚染の少ない地域も存在します。
汚染状況はかなり「まだら状態」というのが実際のところです。しかし郡山市はほぼ全域が高濃度汚染され、ほとんど逃げ場がないという状況で事故直後の数年間を過ごしました。この状況は現在もほとんど変わっていません。郡山市の汚染状態は、福島時代に私が認識していたよりもはるかに厳しい状態だったのかもしれないと、最近の相次ぐ計報に接して、改めて感じています。
10年経った今、すでにほとんどの人が生き方を固めている中で、避難の呼びかけなどしてももう意味がない時期に来ていると私は思っていました。しかし、人見やよいさんのような意識、知識量いずれも高い方ですら生き延びられないという現実を前にして、いかに放射能の前に人間は無力かを改めて思い知らされ、打ちのめされています。
改めてみなさんにお知らせします。
1. いま避難をしている方は、絶対に継続すべきです。
2. 今から避難を考えている方は、いまからでも遅くないので実行
すべきです。
3. いま帰還を考えている方は、絶対に中止すべきです。
当たり前すぎるほど当たり前のことですが、最も心強い戦友を失ったいま、この原点に改めて立ち返るときだと思い、お知らせすることにしました。私がこんな当たり前すぎることをここで再度訴えなければならないほど、10年経っても福島現地の状況が深刻だという認識を、みなさんが改めて持っていただけることを望みます。
---------(引用ここまで)---------------------------------------
引用以上、私、東海アマは、2011年秋に友人と一緒に、放射能測定を目的に郡山市を訪れて、市街地のラーメン屋に入った。
そのときの店内に漂う、沈滞し、絶望した雰囲気を、生涯忘れることはできない。ラーメンは、とても美味しかった。
しかし、付近の土壌線量は、地表で2マイクロ毎時を超えていた。
それから、新野路温泉、相模屋で泊まった。途中、土湯温泉で測定したところ、ここも車内で1マイクロ毎時、以上あった。土湯も安全ではなかった。
相模屋では貸し切り状態、老いた女将さんが豪華な食事を提供してくれた。なかに、若鮎の小鉢があったが、めちゃめちゃ美味しかった。桃も出た。
友人は、それを食べた。そして数日後、友人の耳下リンパ腺がゴルフボールのように腫れた。
友人は、後に甲状腺を破壊され、死ぬまでチラージンの世話になる身にされてしまった。福島に連れて行った私を生涯恨むといった。
たくさんの土壌サンプルを採取し、後にシンメトリックス社の測定器で調べたところ、飯舘村や渡利地区のものは、キログラムあたり数十万ベクレルを記録した。
私も、後に体調を激しく悪化させた。
何度も書いているが、2021年現在では、2011年事故直後のセシウム137の8割が減衰せずに残っている。見かけ上の空間線量が下がっているのをいいことに、政府、自民党政権は、フクイチ事故はもう終わったかのような虚偽情報を出して人々を騙している。
日本最大最悪の嘘つき男として知られる安倍晋三は、オリンピックをやりたさに、「フクイチ事故はアンダーコントロール」というデマを世界に発信した。
だが、とんでもない! 真実は、とりわけ被曝発癌に関しては、たった今始まり、これから恐怖の展開が待ち構えているのだ。
私は、「フクイチ事故で数千万人が死ぬ」と書いてきたが、保守どころか市民運動関係者でさえ私を信じなかった。だが、私が学んできた放射線生物学は、それを教えてくれていたのだ。
被曝発癌には長い潜伏期間がある。10~40年といわれている。そうだ、事故から10年を経た、今、始まったばかりなのだ!
私はブログ内で、福島原発巨大事故から10年を経て、プルトニウムなどアルファー線被曝、またベータ線、ガンマ線被曝による発癌が、潜伏期間を超えて発現しはじめると、繰り返し書いてきた。発癌の嵐は、今後、半世紀以上も続くだろう。
放射能汚染地には、絶対に人が住んではならないのだ。
とうとう10年 2021年03月11日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1429.html
アルファー線は、たった一個が細胞内を照射しただけで癌を発生させる 2021年09月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1631.html
福島は、見かけ上、空間ガンマ線線量が下がってはいるが、セシウム137やプルトニウム239など超危険な放射能量は、事故直後から、いくらも減衰していない。ただ、セシウム粒子が沈降してゼオライトのような泥質に取り込まれて、自己遮蔽効果によって、ガンマ線量が下がって見えているだけだ。
放射能の危険性は、ほとんど消えていない! と書いてきた。
その超危険な放射能汚染された土地に、被曝に無知な人々を騙して、無理矢理帰還させている。そんなことをすれば、何が起きるのか?
以下の記事が、一つの回答である。
北海道に避難された方からのメール 「福島に残った人がどんどん亡くなっている」 http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/681.html
やはり、福島に残った人がどんどん亡くなっているようです。残念ながら、われわれが生きている間に、福島が安心して住めるほど線量が下がることはありません。
この方の言う通り、もう大丈夫だろうと帰還するのは問題外です。放射能汚染を舐めてはいけません。
https://twitter.com/k_hirasa/status/1443231111514001409
(KT.Hirasa) 関西
FBに投稿した避難者からのメールです。是非とも読んで頂けたらと思います。8:08 AM Sep 29, 2021
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北海道に避難された方からのメール。ご本人の名前は伏せさせていただきます。
日本政府も無茶苦茶だが、国民の無関心も酷い。
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OOOO@北海道です。
福島事故から早いもので1 0 年ですが、このひとつの 『節目」 (と私たちはまったく思っていませんが) を象徴するかのように、1 0年間、思いをひとつに福島現地にとどまって闘ってきた方の計報を耳にする機会が最近、増えました。
私が見知っている方だけでも、すでに今年に入り3人。そして今朝早く、4人目の方の計報に接しました。
福島原発告訴団、福島原発刑事訴訟支援団の最重要支援者で、郡山市在住のフリーライター「人見やよい」さん。ご存じの方もいると思います。
がんで闘病生活が続いていましたが、今年まだ還暦を迎えたばかりの、あまりに早すぎる別れです。
恐るべきことに、今年に入って謀報に接した4名の方は、全員が70歳に達せず、60歳代でのご逝去です。全員、あまりにも早すぎます。
過去、私は原発問題で何度も講演会の講師などを務めてきました。
その中で 「避難生活が経済的に苦しくて疲れた。もう福島に戻りたい」とか、逆に「もう●年経っていますが、今からの避難でも意味があると思いますか」という質問を何度も受けてきました。
そのたびに私は「今ははっきりとはわからないけれど、事故から10年くらい経てば、避難した人のほうが正しかったとわかる日がはっきり来る。それも悪夢のような恐ろしい形で。
だから、 避難生活がどんなに経済的に苦しくても福島には絶対に帰ってはならない
し、 放射線被曝量は生涯累計なので、避難は時間が経ってからでもできるならしたほうがいい、と答えてきました。
この点は過去 1 0 年、まったくぷぶれていないし、考えがほんの一瞬といえども揺らいだことはありません。なぜならそれは、チェルノブイリで事故後に起きたことを見れば明らかだからです。
ウクライナ・ルギヌイ地区の健康状態 (イワン・ゴドレフスキー/
ウクライナ科学アカデミー)
http:/1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou64.pdf
私は、過去の講演会でこの資料を基に話をしたことがあります。福島では事故の影響がはっきりしていない時期だったので、「先行事例」であるチェルノブイリの例を基に話すのがいいと考えてきたからです。
この資料を作成したイワン・ゴドレフスキー氏はウクライナ科学アカデミーの研究者です。ウクライナのような旧共産圏では、科学アカデミーは政府系研究機関で、どんなに成績優秀でも、共産党員の資格がなければ門も叩けないと言われてきました。
そのような権威ある政府系研究機関の研究報告書が、このような形で警鐘を乱打している事実があります。
この資料の終わりから3ページ目 、「図9 1000人当り死亡率の年齢別グループ内訳 (チェルノブイリ事故の前と後) 」を見ると、チェルノブイリ事故 (1986年) 前の1984-1985年と事故5~10年後の1991-1996年では、60歳以下の若年層では死亡率はあまり変わらないものの、60歳以上では大きな差があり、特に65-69歳の年齢層では2倍もの差があります。
原発事故の被害では、若年層の甲状際がんばかりが騒がれており、日本政府は意図的に人々の意識をそこに引きつけようとしていますが、本当の披害はむしろ高齢者の超過死亡という形で起きていることがはっきり示されています。
高齢者は避難なんてしても仕方がない。それより早く避難解除して、ふるさとに帰らせてやったほうがいい」などという言説がまったくのデタラメであることがわかります。
高齢者でも汚染地に帰る選択などしてはならないのです。
人見やよいさんを初め、今も福島に残って活動をしているみなさんは、それを自分の人生だと見定め、自分の意思で残った方がほとんどです。その人の人生であり、部外者がそれに口を挟める余地は最近ではほとんどないことから、私も事故後5年目くらいからは、避難を呼びかけるのは「要らぬお節介」になりかねないと、本人の意思を (仕方なく) 尊重してきました。
しかし、10年目を迎えた今年あたりから、事故の影響がはっきり目に見える形になってきたな、と身震いする思いです。 「逃げるは恥だが役に立つ」は真実です。
今、 公務員宿舎から2倍家賃を請求され困難に直面している人を支える活動をしている人も、このMLにはいると思います。どんなに経済的に苦しくとも、困難に直面していても、命より大切にすべき価値観などありません。やはり避難はすべきだし、継続すべきです。
もうひとつお伝えしたいのは、郡山市の汚染状況です。
私は2013年3月まで、 事故後の2年間を福島県西郷村で過ごしました。外出時は常にマスク着用、水道水は飲まず、地元産のものは食べないという生活を続けてきました。
郡山市の汚染状況については「ほぼ全域がチェルノブイリ並み」という厳しい認識を持ち、不要不急の理由で郡山市に立ち寄るととは避けてきました。 福島市は、事故直後3度出かけ、3回とも後日体調不良に見舞われたことから、「もはや人間の住む場所ではない」と判断し、その後一度も立ち入っていません。
一方、郡山市では 『行くたびに体調不良」という極端な状況でなかったため、福島市に立ち入るのを避けるようになってからもやむを得ない事情で何度か足を運びました。汚染状況については、福島市渡利、大波などの極端な地域 (避難指示区域と実質ほとんど変わらず) を見てきたせいか、福島市のほうが数倍、激しいという認識でいました。
しかし、 福島市は実際には渡利や大波などの地域がある一方で、西部の土湯温泉など、子どもたちを数週間から1か月スパンで短期保養に出そうと思えば出せる程度には汚染の少ない地域も存在します。
汚染状況はかなり「まだら状態」というのが実際のところです。しかし郡山市はほぼ全域が高濃度汚染され、ほとんど逃げ場がないという状況で事故直後の数年間を過ごしました。この状況は現在もほとんど変わっていません。郡山市の汚染状態は、福島時代に私が認識していたよりもはるかに厳しい状態だったのかもしれないと、最近の相次ぐ計報に接して、改めて感じています。
10年経った今、すでにほとんどの人が生き方を固めている中で、避難の呼びかけなどしてももう意味がない時期に来ていると私は思っていました。しかし、人見やよいさんのような意識、知識量いずれも高い方ですら生き延びられないという現実を前にして、いかに放射能の前に人間は無力かを改めて思い知らされ、打ちのめされています。
改めてみなさんにお知らせします。
1. いま避難をしている方は、絶対に継続すべきです。
2. 今から避難を考えている方は、いまからでも遅くないので実行
すべきです。
3. いま帰還を考えている方は、絶対に中止すべきです。
当たり前すぎるほど当たり前のことですが、最も心強い戦友を失ったいま、この原点に改めて立ち返るときだと思い、お知らせすることにしました。私がこんな当たり前すぎることをここで再度訴えなければならないほど、10年経っても福島現地の状況が深刻だという認識を、みなさんが改めて持っていただけることを望みます。
---------(引用ここまで)---------------------------------------
引用以上、私、東海アマは、2011年秋に友人と一緒に、放射能測定を目的に郡山市を訪れて、市街地のラーメン屋に入った。
そのときの店内に漂う、沈滞し、絶望した雰囲気を、生涯忘れることはできない。ラーメンは、とても美味しかった。
しかし、付近の土壌線量は、地表で2マイクロ毎時を超えていた。
それから、新野路温泉、相模屋で泊まった。途中、土湯温泉で測定したところ、ここも車内で1マイクロ毎時、以上あった。土湯も安全ではなかった。
相模屋では貸し切り状態、老いた女将さんが豪華な食事を提供してくれた。なかに、若鮎の小鉢があったが、めちゃめちゃ美味しかった。桃も出た。
友人は、それを食べた。そして数日後、友人の耳下リンパ腺がゴルフボールのように腫れた。
友人は、後に甲状腺を破壊され、死ぬまでチラージンの世話になる身にされてしまった。福島に連れて行った私を生涯恨むといった。
たくさんの土壌サンプルを採取し、後にシンメトリックス社の測定器で調べたところ、飯舘村や渡利地区のものは、キログラムあたり数十万ベクレルを記録した。
私も、後に体調を激しく悪化させた。
何度も書いているが、2021年現在では、2011年事故直後のセシウム137の8割が減衰せずに残っている。見かけ上の空間線量が下がっているのをいいことに、政府、自民党政権は、フクイチ事故はもう終わったかのような虚偽情報を出して人々を騙している。
日本最大最悪の嘘つき男として知られる安倍晋三は、オリンピックをやりたさに、「フクイチ事故はアンダーコントロール」というデマを世界に発信した。
だが、とんでもない! 真実は、とりわけ被曝発癌に関しては、たった今始まり、これから恐怖の展開が待ち構えているのだ。
私は、「フクイチ事故で数千万人が死ぬ」と書いてきたが、保守どころか市民運動関係者でさえ私を信じなかった。だが、私が学んできた放射線生物学は、それを教えてくれていたのだ。
被曝発癌には長い潜伏期間がある。10~40年といわれている。そうだ、事故から10年を経た、今、始まったばかりなのだ!