この世には、他人を批判することが三度のメシより大好きという人たちが多い。私の経験でいえば、少なくとも日本人の半分以上だ。
https://tani-channel.com/psychology/5723/
ネット上のヘルプ質問を見ていても、他人が困って教えを請うているのに、回答を与えながら説教し、イチャモンをつけなければ気がすまない人のなんと多いことか。
そんな人は、他人を説教することで、自分が優越感に浸りたいという欲求が手に取るように見える。
私のブログのコメント欄でも、最初、あまりの嫌がらせと説教病患者の多さにウンザリして、すぐに閉鎖してしまったほどだ。
説教病患者のうち、数割は、こそこそ身元を隠して、アブのようにぶんぶん飛び回っては、すきあらば噛みつく害虫、嫌がらせマニアだ。身元を隠すのは、相手にダメージを与えても反撃されないためで、人間性の卑劣さが際立っている。
本人は、自分を立派な人間だと勘違いしていることが共通しているが、現実には「ひどく醜い人間性」といえるだろう。
私はといえば、私は音楽が好きなので、よくYouTubeの音楽コンテンツ(街頭ピアノなんか)に感想コメントを書き込んでいるが、私のポリシーとしては、相手を褒めることしかしない。
褒めることで、その人の長所が、ますます伸びてゆくと確信しているからだ。
http://goodstory.biz/thinking/1429/
私は30年ほど前、船井幸雄が提唱した「長所伸展法」=「人間は褒めて育てる」方法論に深く賛同していて、相手が傷つくような批評は絶対にしないようにしている。
http://goodstory.biz/work/2289/
船井は、自社のできの悪い社員に対しては結構厳しくて、褒めるどころか、すぐに叩き出すようなこともしていたようだが、タテマエ上は、人の長所を褒めることで、短所を克服できると指摘していた。
私も、日本社会での雇用上下関係のなかで、数え切れないほど説教病で不愉快な思いを重ねるなかで、他人に厳しく当たることと、優しく当たることの、どちらに益が多いかを、さんざん思い知らされてきた経験則から、「長所伸展法」に大賛成であり、他人への対応原理として人生に採用した。
ただし、個人が傷つくような説教批判は厳禁だが、組織を批判することは必要だ。組織批判で、個人が傷つくことはほとんどないからだ。
説教病を否定するのは、その毒性が極めて強いからだが、何が一番悪いかというと、一種の「同調圧力」を形成して、個人ではなく、全体の価値観にすり替えようとする場合が多いからだ。
つまり、自分個人の責任を、社会全体の責任であるかのように、すり替えようとする人が大半で、自分個人が説教して毒を注入したのに、あたかも所属組織や社会がそれを求めているかのように責任をすり替えてゆくのだ。
これによって、説教された人は、あたかも全員に責められたかのように感じ、その毒性が著しく高まってゆく。
現代ビジネスで面白い記事を見つけたので、紹介しておく。
*****************************************************************
自分を成長させてくれると思ってた…30歳で結婚した妻が恐れた「夫のダメ出し」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87958
結婚したカップルのみならず、「パートナーのダメ出し」にひそかに苦しむ人は少なくない。「お前はダメだ」と言われ続けて自己肯定感を失ってしまう人もいる。叱咤激励されて奮起することもなくはないのだろうが、ダメだと言われ続けても頑張れる人はいるのだろうか。
今回ライターの上條まゆみさんがお話を伺ったのは、メンタルに病気を抱えている女性。彼女が結婚生活から逃れたあとも、元夫に怯えてしまう理由とは。
「結婚生活はしんどかった」
「元夫は自分にも他人にも厳しい人でした。私は結婚するまでずっと実家暮らしだったので、あまり家事が得意ではなくて、要領がよくないのをいつも責められていました。メンタルの病気を抱えているため体調に波があることも、元夫には不満だったみたいです。結婚生活はしんどかった……」と、安達容子さん(仮名・39歳)。
子どもが1歳半のときに実家に戻り、その後、離婚が成立。いまは実両親と小学1年生の子どもと暮らしている。
容子さんは若いころにメンタルを患った。いまも通院を続けている。診断名は双極性障害。テンション高めの躁状態と憂うつで無気力なうつ状態を繰り返す精神疾患で、薬を飲みながら生活している。ふだんは症状が抑えられているが、どうしても体調には波がある。無理は禁物だ。
「お付き合いしていたときから、病気のことは話していました。結婚前には診察に同行して、主治医から直接、話をしてもらいました。だから、理解してくれていると思っていたんですが、そうではなかった。要は気持ちのもちようだ、結婚したら俺が治してやる、という気持ちだったみたい。メンタルの病気って、そういうものじゃないんですけどね」
メンタルの病気は決して「気持ちの持ちよう」ではないのだが…Photo by iStock
帰国子女で英語が得意、留学経験もある容子さん。大学卒業後は英語を生かして、とある商社に就職したが、忙しすぎたせいかうつを発症し、1年ちょっとで退職してしまった。
「ここが最初のつまづきでした」
しばらく療養し、3ヵ月後には別の商社に転職。働きやすい職場だったが、仕事の責任が重くストレスが高じてアトピーが悪化してしまう。顔中が真っ赤に腫れ、全身に湿疹が出て、外出もはばかられる状態に。容子さんはいったん退職して、アトピーの治療に専念することにした。
「ここには2年しか勤められませんでした。いい会社だったので辞めるのは残念だったけど、半年ほど治療をしたらきれいに治ったのでよかったです」
優秀な容子さんだから、またすぐに次の仕事を見つけて働き始めた。この時点で26歳。しばらく恋人どころではなかったけれど、日常も取り戻したし、そろそろいい人、いないかな。出会いを見つけるために、容子さんはマッチングサイトに登録してみた。
「そのころ私、ヨガにハマっていて。ヨガが好きで、英語も話せる人、という条件に絞って相手を探してみました」
一緒にヨガができたら楽しいと思っていた
何人かメールのやりとりやお茶をしたなかで、「いいな」と思えたのが元夫だった。8歳年上の会社員で、明るく頼もしい印象だった。なんとなく毎週、会うようになり、しだいに付き合いが深まった。
何度か別れたこともあったが、結局は元のさやに収まった。容子さんが30歳、元夫が38歳で結婚した。
「元夫は、私と結婚したいというよりは、結婚がしたいと思っていたみたいです。私も30歳で結婚に焦りがあり、親には反対されたんですけど決めてしまいました」
なぜ親は反対したのか?
「お付き合いしていたとき、元夫の言動に傷ついたり、気持ちが不安定になってしまったりする私の様子を見ていて、心配だったみたいです」
実際、元夫は交際中から容子さんに厳しかった。「こうだからダメなんだ」「こうすべきだ」といったお説教も多かった。
「どちらかというと甘やかされて育ったので、厳しくされることはつらい反面、新鮮でもありました。もしかしたら、こういう人が私には必要なのかな、成長できるのかな、と思ってしまったんです」
********************************************************************
以下続編
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87959
「元夫は自分にも他人にも厳しい人でした。私は結婚するまでずっと実家暮らしだったので、あまり家事が得意ではなくて、要領がよくないのをいつも責められていました。メンタルの病気を抱えているため体調に波があることも、元夫には不満だったみたいです。結婚生活はしんどかった…」と語る、安達容子さん(仮名・39歳)。
子どもが1歳半のときに実家に戻り、その後、離婚が成立。いまは実両親と小学1年生の子どもと暮らしている。
もちろん、向上心をもてる関係性はすてきだ。でも、矯正を求められるだけではつらい。自分のよいところが認められ、のびのびと自分らしくいられる相手が、生活をともにする相手として望ましいような気がする。つまるところ、容子さんと元夫は相性が悪かったのだろう。
厳しい夫との新婚生活は、あまり楽しいものではなかった。結婚後も共働きを続けていたが、帰宅時間がより早い容子さんが家事の大半を担わざるを得ない。1人暮らしが長く、料理もうまかった元夫は、慣れない家事を懸命にこなす容子さんにいちいちダメ出しをした。
いちばんつらかったのは、病気への理解がなかったことだ。
「結婚して3〜4ヵ月くらいのとき、通院から帰ってきた私は体調が悪くて寝込んでしまっていたんです。主治医の先生が元夫に『奥さんは病気なので、優しくしてあげて』というメッセージをくれたんですが、それを伝えたら、すごい怒って、『それなら病気じゃない人とやり直すよ』と。心ない言葉に傷つきました」
両親には頻繁に愚痴っていた。子どもができる前に離婚したほうがいいと言われていたが、ふんぎりがつかないでいるうちに、子どもができた。
「命を授かったことは純粋にうれしかったです。でも、あまり夫婦仲がよくないのに大丈夫かなと、手放しには喜べませんでした」
妊娠中は体調がよく、ぎりぎりまで仕事を続けて出産。産後は里帰りをし、4ヵ月ほど実家で過ごした。
「親にはだいぶ甘えてしまいました。元夫との家に戻ってからも、ワンオペ育児が大変で。しょっちゅう実家に帰っていました」
元夫は仕事の関係で夜10時、11時と帰宅が遅く、家事育児にはほとんど協力してくれなかった。
平日はとても忙しく、週末もほぼ家事育児は期待できなかった(写真の人物は本文と関係ありません)
子どもが1歳半のころ、容子さんは風邪をこじらせて肺炎にかかってしまう。療養のため、子どもを連れて実家に帰った。しばらく滞在していたら、元夫から「このまま帰ってこないなら、離婚だ」と言われてしまった。
「私も離婚したい、と思っていました。父に相談したら、すぐ弁護士を立ててくれて。元夫は、自分から離婚を言い出したくせに、なぜか夫婦円満調停を申し立ててきたんですけど、私の離婚の意思は固まっていたので同居は拒否。当面別居を続けるということで合意し、そこから3年くらいかかって離婚が成立しました」
実は、別れたいまでも容子さんは、元夫の言動に怯えている。父子の面会交流で連絡を取り合う必要があるため、わりと頻繁にメールのやりとりがあるのだが、その文面にいちいち傷つく容子さんがいる。
「別居して実家に戻ったばかりのころ、離婚を視野に入れて働き始めたのですが、無理をしたせいかまた体調を崩してしまって、仕事は辞めたんです。なので、いまは無職。それが元夫には苛立つみたい」
元夫からのメールに「いつになったら仕事をするつもりですか」「私(元夫)からお金を巻き上げて生活している」などの文言を見たときは、とてもいやな気持ちになった。
「養育費は子どもの権利だからいただいているけれど、すべて将来の教育費のために貯金していて、私の生活費に当てているわけではありません。親の世話になっていることは心苦しいけれど、元夫に責められる理由なんて何ひとつないんです。でも、元夫に何か言われると、いまだに動悸がしてきます」
それでも。容子さんはいま、一歩一歩、自立への道を歩んでいる。
「子どもも小学生になったし、私の体調も回復してきたので、そろそろ仕事を見つけようと思っています。親も高齢で私が手助けしなければならない場面も出てきていて、互いのためにこのまま同居は続けるつもりですが、いつまでも親に頼れるわけではありません。
今後、シングルマザーとして子どもを育てていくために私も稼がなくては。できるだけ長く働ける職場を探そうと、先日、シングルマザー支援団体が開催する就職相談会に行ってきました」
行動していることで自信がついてきたためか、先日、子どもを交えて元夫と会ったとき、こんなことがあった。
「元夫は子どもにも厳しくて、勉強やスポーツを頑張らせようとするんですね。子どもに習いごとをさせるという話になったとき、小学校生活が始まったばかりだから少し様子が見たいと言う私に『俺は小学1年生で、一人でバスに乗ってスイミングに通ってた、おまえは過保護だ』と。
言われっぱなしじゃ悔しいので、『いまは時代が違うし、子どもが小学校生活に慣れるまでは見送ります』。もしかしたら、元夫に何かを言い返したのって、初めてかもしれません」
人は誰にも、その人のペースややり方というものがある。早ければいい、上を目指すのがいい、がむしゃらに頑張ればいい、というわけではない。ゆっくりと進むことで目に留まる風景、競わないことで得られるやさしさがあり、無理ができない人もいる。
容子さんのペースとやり方で、おだやかに人生を切り開いていってほしい。
元夫も、良かれと思ってダメ出しをしていたのかもしれない。しかしフォローのないダメ出しは人の心を弱らせる可能性が高い。容子さんにとって、それは心臓がすくむものだった。人にはそれぞれのペースがある。いま容子さんはようやく怯え続けていた生活から、自分のペースで進んでいいのだと感じることができるようになったのかもしれない
*****************************************************************
引用以上
上のエピソードでは、もちろん旦那が「説教病患者」だ。典型的な日本人といえるだろう。どうして、こうなるかは、はっきりしている。
日本の戦前からの同調圧力教育、競争主義の洗脳を受け続けてきた人物だからだ。
私も、幼稚園から小中高と競争主義に尻を叩かれ続けてきて、この旦那と同じように、「人は尻を叩かれないと努力しない」との思い込みを持ち、「長所伸展法」ではなく、その反対の「短所是正法」が正しいと信じてきたのだ。
同調圧力を強要する側だった。
なぜ、同調圧力・競争教育が日本社会を席巻したかといえば、それは戦前の国家主義=国威発揚のために日本国民を鍛えて命まで利用し、「強い日本」を演出しようとしてきたからだろう。
笑ってしまうのは、「翼の党」の黒川君まで、戦前の国家主義にどっぷりと洗脳されたまま天皇崇拝=靖国神社参拝を続けていることだ。それは、三橋貴明も同じだろう。みんな「強い人」価値観が大好きすぎて、「弱い人」がいることを忘れてしまっているのである。
人には厳しく当たれば良い結果を生むわけではない。弱い人がたくさんいるのだ。そんな人が楽しく充実して生きてゆくためには「優しさ」が必要である。
人間には、上昇と下降がある。進歩と衰退がある。
肉体が若さによって上昇傾向にあるときは、多少の厳しさも有効なときがある。しかし、人は必ず老いて下降に向かう。体力は衰退に向かい、病気をたくさん経験する。
社会だって同じだ。日本社会は、まさに衰退下降に向かってなだれ落ちている。こんなとき必要なことは、人を叱りつけ、厳しく当たることではない。弱ってゆく自分の未来への不安感を和らげてくれる価値観であり、それは「優しさと連帯」なのだ。
個人も、社会も、人類も、下降し、滅びてゆくことを忘れてはいけない。「人の優しさ」が、それを救ってくれるのである。
https://tani-channel.com/psychology/5723/
ネット上のヘルプ質問を見ていても、他人が困って教えを請うているのに、回答を与えながら説教し、イチャモンをつけなければ気がすまない人のなんと多いことか。
そんな人は、他人を説教することで、自分が優越感に浸りたいという欲求が手に取るように見える。
私のブログのコメント欄でも、最初、あまりの嫌がらせと説教病患者の多さにウンザリして、すぐに閉鎖してしまったほどだ。
説教病患者のうち、数割は、こそこそ身元を隠して、アブのようにぶんぶん飛び回っては、すきあらば噛みつく害虫、嫌がらせマニアだ。身元を隠すのは、相手にダメージを与えても反撃されないためで、人間性の卑劣さが際立っている。
本人は、自分を立派な人間だと勘違いしていることが共通しているが、現実には「ひどく醜い人間性」といえるだろう。
私はといえば、私は音楽が好きなので、よくYouTubeの音楽コンテンツ(街頭ピアノなんか)に感想コメントを書き込んでいるが、私のポリシーとしては、相手を褒めることしかしない。
褒めることで、その人の長所が、ますます伸びてゆくと確信しているからだ。
http://goodstory.biz/thinking/1429/
私は30年ほど前、船井幸雄が提唱した「長所伸展法」=「人間は褒めて育てる」方法論に深く賛同していて、相手が傷つくような批評は絶対にしないようにしている。
http://goodstory.biz/work/2289/
船井は、自社のできの悪い社員に対しては結構厳しくて、褒めるどころか、すぐに叩き出すようなこともしていたようだが、タテマエ上は、人の長所を褒めることで、短所を克服できると指摘していた。
私も、日本社会での雇用上下関係のなかで、数え切れないほど説教病で不愉快な思いを重ねるなかで、他人に厳しく当たることと、優しく当たることの、どちらに益が多いかを、さんざん思い知らされてきた経験則から、「長所伸展法」に大賛成であり、他人への対応原理として人生に採用した。
ただし、個人が傷つくような説教批判は厳禁だが、組織を批判することは必要だ。組織批判で、個人が傷つくことはほとんどないからだ。
説教病を否定するのは、その毒性が極めて強いからだが、何が一番悪いかというと、一種の「同調圧力」を形成して、個人ではなく、全体の価値観にすり替えようとする場合が多いからだ。
つまり、自分個人の責任を、社会全体の責任であるかのように、すり替えようとする人が大半で、自分個人が説教して毒を注入したのに、あたかも所属組織や社会がそれを求めているかのように責任をすり替えてゆくのだ。
これによって、説教された人は、あたかも全員に責められたかのように感じ、その毒性が著しく高まってゆく。
現代ビジネスで面白い記事を見つけたので、紹介しておく。
*****************************************************************
自分を成長させてくれると思ってた…30歳で結婚した妻が恐れた「夫のダメ出し」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87958
結婚したカップルのみならず、「パートナーのダメ出し」にひそかに苦しむ人は少なくない。「お前はダメだ」と言われ続けて自己肯定感を失ってしまう人もいる。叱咤激励されて奮起することもなくはないのだろうが、ダメだと言われ続けても頑張れる人はいるのだろうか。
今回ライターの上條まゆみさんがお話を伺ったのは、メンタルに病気を抱えている女性。彼女が結婚生活から逃れたあとも、元夫に怯えてしまう理由とは。
「結婚生活はしんどかった」
「元夫は自分にも他人にも厳しい人でした。私は結婚するまでずっと実家暮らしだったので、あまり家事が得意ではなくて、要領がよくないのをいつも責められていました。メンタルの病気を抱えているため体調に波があることも、元夫には不満だったみたいです。結婚生活はしんどかった……」と、安達容子さん(仮名・39歳)。
子どもが1歳半のときに実家に戻り、その後、離婚が成立。いまは実両親と小学1年生の子どもと暮らしている。
容子さんは若いころにメンタルを患った。いまも通院を続けている。診断名は双極性障害。テンション高めの躁状態と憂うつで無気力なうつ状態を繰り返す精神疾患で、薬を飲みながら生活している。ふだんは症状が抑えられているが、どうしても体調には波がある。無理は禁物だ。
「お付き合いしていたときから、病気のことは話していました。結婚前には診察に同行して、主治医から直接、話をしてもらいました。だから、理解してくれていると思っていたんですが、そうではなかった。要は気持ちのもちようだ、結婚したら俺が治してやる、という気持ちだったみたい。メンタルの病気って、そういうものじゃないんですけどね」
メンタルの病気は決して「気持ちの持ちよう」ではないのだが…Photo by iStock
帰国子女で英語が得意、留学経験もある容子さん。大学卒業後は英語を生かして、とある商社に就職したが、忙しすぎたせいかうつを発症し、1年ちょっとで退職してしまった。
「ここが最初のつまづきでした」
しばらく療養し、3ヵ月後には別の商社に転職。働きやすい職場だったが、仕事の責任が重くストレスが高じてアトピーが悪化してしまう。顔中が真っ赤に腫れ、全身に湿疹が出て、外出もはばかられる状態に。容子さんはいったん退職して、アトピーの治療に専念することにした。
「ここには2年しか勤められませんでした。いい会社だったので辞めるのは残念だったけど、半年ほど治療をしたらきれいに治ったのでよかったです」
優秀な容子さんだから、またすぐに次の仕事を見つけて働き始めた。この時点で26歳。しばらく恋人どころではなかったけれど、日常も取り戻したし、そろそろいい人、いないかな。出会いを見つけるために、容子さんはマッチングサイトに登録してみた。
「そのころ私、ヨガにハマっていて。ヨガが好きで、英語も話せる人、という条件に絞って相手を探してみました」
一緒にヨガができたら楽しいと思っていた
何人かメールのやりとりやお茶をしたなかで、「いいな」と思えたのが元夫だった。8歳年上の会社員で、明るく頼もしい印象だった。なんとなく毎週、会うようになり、しだいに付き合いが深まった。
何度か別れたこともあったが、結局は元のさやに収まった。容子さんが30歳、元夫が38歳で結婚した。
「元夫は、私と結婚したいというよりは、結婚がしたいと思っていたみたいです。私も30歳で結婚に焦りがあり、親には反対されたんですけど決めてしまいました」
なぜ親は反対したのか?
「お付き合いしていたとき、元夫の言動に傷ついたり、気持ちが不安定になってしまったりする私の様子を見ていて、心配だったみたいです」
実際、元夫は交際中から容子さんに厳しかった。「こうだからダメなんだ」「こうすべきだ」といったお説教も多かった。
「どちらかというと甘やかされて育ったので、厳しくされることはつらい反面、新鮮でもありました。もしかしたら、こういう人が私には必要なのかな、成長できるのかな、と思ってしまったんです」
********************************************************************
以下続編
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87959
「元夫は自分にも他人にも厳しい人でした。私は結婚するまでずっと実家暮らしだったので、あまり家事が得意ではなくて、要領がよくないのをいつも責められていました。メンタルの病気を抱えているため体調に波があることも、元夫には不満だったみたいです。結婚生活はしんどかった…」と語る、安達容子さん(仮名・39歳)。
子どもが1歳半のときに実家に戻り、その後、離婚が成立。いまは実両親と小学1年生の子どもと暮らしている。
もちろん、向上心をもてる関係性はすてきだ。でも、矯正を求められるだけではつらい。自分のよいところが認められ、のびのびと自分らしくいられる相手が、生活をともにする相手として望ましいような気がする。つまるところ、容子さんと元夫は相性が悪かったのだろう。
厳しい夫との新婚生活は、あまり楽しいものではなかった。結婚後も共働きを続けていたが、帰宅時間がより早い容子さんが家事の大半を担わざるを得ない。1人暮らしが長く、料理もうまかった元夫は、慣れない家事を懸命にこなす容子さんにいちいちダメ出しをした。
いちばんつらかったのは、病気への理解がなかったことだ。
「結婚して3〜4ヵ月くらいのとき、通院から帰ってきた私は体調が悪くて寝込んでしまっていたんです。主治医の先生が元夫に『奥さんは病気なので、優しくしてあげて』というメッセージをくれたんですが、それを伝えたら、すごい怒って、『それなら病気じゃない人とやり直すよ』と。心ない言葉に傷つきました」
両親には頻繁に愚痴っていた。子どもができる前に離婚したほうがいいと言われていたが、ふんぎりがつかないでいるうちに、子どもができた。
「命を授かったことは純粋にうれしかったです。でも、あまり夫婦仲がよくないのに大丈夫かなと、手放しには喜べませんでした」
妊娠中は体調がよく、ぎりぎりまで仕事を続けて出産。産後は里帰りをし、4ヵ月ほど実家で過ごした。
「親にはだいぶ甘えてしまいました。元夫との家に戻ってからも、ワンオペ育児が大変で。しょっちゅう実家に帰っていました」
元夫は仕事の関係で夜10時、11時と帰宅が遅く、家事育児にはほとんど協力してくれなかった。
平日はとても忙しく、週末もほぼ家事育児は期待できなかった(写真の人物は本文と関係ありません)
子どもが1歳半のころ、容子さんは風邪をこじらせて肺炎にかかってしまう。療養のため、子どもを連れて実家に帰った。しばらく滞在していたら、元夫から「このまま帰ってこないなら、離婚だ」と言われてしまった。
「私も離婚したい、と思っていました。父に相談したら、すぐ弁護士を立ててくれて。元夫は、自分から離婚を言い出したくせに、なぜか夫婦円満調停を申し立ててきたんですけど、私の離婚の意思は固まっていたので同居は拒否。当面別居を続けるということで合意し、そこから3年くらいかかって離婚が成立しました」
実は、別れたいまでも容子さんは、元夫の言動に怯えている。父子の面会交流で連絡を取り合う必要があるため、わりと頻繁にメールのやりとりがあるのだが、その文面にいちいち傷つく容子さんがいる。
「別居して実家に戻ったばかりのころ、離婚を視野に入れて働き始めたのですが、無理をしたせいかまた体調を崩してしまって、仕事は辞めたんです。なので、いまは無職。それが元夫には苛立つみたい」
元夫からのメールに「いつになったら仕事をするつもりですか」「私(元夫)からお金を巻き上げて生活している」などの文言を見たときは、とてもいやな気持ちになった。
「養育費は子どもの権利だからいただいているけれど、すべて将来の教育費のために貯金していて、私の生活費に当てているわけではありません。親の世話になっていることは心苦しいけれど、元夫に責められる理由なんて何ひとつないんです。でも、元夫に何か言われると、いまだに動悸がしてきます」
それでも。容子さんはいま、一歩一歩、自立への道を歩んでいる。
「子どもも小学生になったし、私の体調も回復してきたので、そろそろ仕事を見つけようと思っています。親も高齢で私が手助けしなければならない場面も出てきていて、互いのためにこのまま同居は続けるつもりですが、いつまでも親に頼れるわけではありません。
今後、シングルマザーとして子どもを育てていくために私も稼がなくては。できるだけ長く働ける職場を探そうと、先日、シングルマザー支援団体が開催する就職相談会に行ってきました」
行動していることで自信がついてきたためか、先日、子どもを交えて元夫と会ったとき、こんなことがあった。
「元夫は子どもにも厳しくて、勉強やスポーツを頑張らせようとするんですね。子どもに習いごとをさせるという話になったとき、小学校生活が始まったばかりだから少し様子が見たいと言う私に『俺は小学1年生で、一人でバスに乗ってスイミングに通ってた、おまえは過保護だ』と。
言われっぱなしじゃ悔しいので、『いまは時代が違うし、子どもが小学校生活に慣れるまでは見送ります』。もしかしたら、元夫に何かを言い返したのって、初めてかもしれません」
人は誰にも、その人のペースややり方というものがある。早ければいい、上を目指すのがいい、がむしゃらに頑張ればいい、というわけではない。ゆっくりと進むことで目に留まる風景、競わないことで得られるやさしさがあり、無理ができない人もいる。
容子さんのペースとやり方で、おだやかに人生を切り開いていってほしい。
元夫も、良かれと思ってダメ出しをしていたのかもしれない。しかしフォローのないダメ出しは人の心を弱らせる可能性が高い。容子さんにとって、それは心臓がすくむものだった。人にはそれぞれのペースがある。いま容子さんはようやく怯え続けていた生活から、自分のペースで進んでいいのだと感じることができるようになったのかもしれない
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引用以上
上のエピソードでは、もちろん旦那が「説教病患者」だ。典型的な日本人といえるだろう。どうして、こうなるかは、はっきりしている。
日本の戦前からの同調圧力教育、競争主義の洗脳を受け続けてきた人物だからだ。
私も、幼稚園から小中高と競争主義に尻を叩かれ続けてきて、この旦那と同じように、「人は尻を叩かれないと努力しない」との思い込みを持ち、「長所伸展法」ではなく、その反対の「短所是正法」が正しいと信じてきたのだ。
同調圧力を強要する側だった。
なぜ、同調圧力・競争教育が日本社会を席巻したかといえば、それは戦前の国家主義=国威発揚のために日本国民を鍛えて命まで利用し、「強い日本」を演出しようとしてきたからだろう。
笑ってしまうのは、「翼の党」の黒川君まで、戦前の国家主義にどっぷりと洗脳されたまま天皇崇拝=靖国神社参拝を続けていることだ。それは、三橋貴明も同じだろう。みんな「強い人」価値観が大好きすぎて、「弱い人」がいることを忘れてしまっているのである。
人には厳しく当たれば良い結果を生むわけではない。弱い人がたくさんいるのだ。そんな人が楽しく充実して生きてゆくためには「優しさ」が必要である。
人間には、上昇と下降がある。進歩と衰退がある。
肉体が若さによって上昇傾向にあるときは、多少の厳しさも有効なときがある。しかし、人は必ず老いて下降に向かう。体力は衰退に向かい、病気をたくさん経験する。
社会だって同じだ。日本社会は、まさに衰退下降に向かってなだれ落ちている。こんなとき必要なことは、人を叱りつけ、厳しく当たることではない。弱ってゆく自分の未来への不安感を和らげてくれる価値観であり、それは「優しさと連帯」なのだ。
個人も、社会も、人類も、下降し、滅びてゆくことを忘れてはいけない。「人の優しさ」が、それを救ってくれるのである。