昔、たぶん半世紀ほど前のことだが、精神病院の増築工事で古い建物の外壁に足場を組んでいたとき、窓から突然、全裸の若い女性が現れて我々に自分の肢体を見せつけた。
我々は「役得」と喜んだが、すぐに白衣の看護師がやってきて彼女を連れ去った。
大昔の蔑視用語でいえば、女性は「色情狂」という分類になりそうだが、私は、それを見ていて、「性の抑圧」と言葉が脳裏を横切った。
1,970年代の大都会は、まだ若い女性が全裸になって公衆の目に触れたなら、「精神異常者」のカテゴリーに押し込められるのが普通だった。
当時、人が「おかしくなる」原因として、家族問題について多かったのが、たぶん性意識の問題だったと思う。
私は、当時、暇があれば岐阜県の徳山ダム建設によって湖底に沈む運命だった徳山村の民俗調査を個人的立場で行っていた。
徳山周辺の山に登るついでに、地元の飲食店を利用しながら、さまざまな民俗を取材した。それらを書き留めた文章は、フロッピーに入れたはずだったが、今は探しても見つからないし、ヤフーブログに公開したものは無断削除されて消えた。
徳山で聞いた話として強く記憶に残っているものは、家の老人が孫娘を犯して妊娠させ、生まれた子を親戚に養子に出したという事件を数回聞いた。徳山は集落の人間関係の密度が濃かったので、隠し事など通らない。そんな事件は、村人全員が共有するものだった。
しかし、徳山は白川郷と同じで、私の子供の頃まで、ろくな道もなく、冬期は事実上封鎖され孤立した地帯だった。
徳山も白川郷も、西日本の弥生人文化圏で、今でも台湾やインドシナ半島に残る通婚(母系氏族社会)や歌垣、夜這いなどの民俗が伝えられている。
私の半世紀を超える民俗研究の結論として、日本人の大源流であるヒマラヤ・シッキム地方のレプチャ族がインドシナ半島から中国雲南・江南地方に展開し、長江流域に照葉樹林帯文化圏を生成した。
春秋時代に呉越戦争が起きて、蘇州を中心地とした呉の民が敗戦国民をまとめて坑刑(穴埋め)で殺戮した当時の風習から逃れて、国ぐるみ船で外洋に逃避し、台湾・山東半島・朝鮮南部・九州・山陰地方などにたどり着き、弥生人文化圏を生成した。
日本に来た呉民が、稲作農耕を伝え、最大リーダーが神武天皇になったと考えていて、これは郭沫若も同じことを指摘し、中国史学界では、神武建国は呉の大伯の一族であるという見解が常識になっている。
だから、倭という国は、九州だけでなく台湾・山東半島・朝鮮南部・九州や山陰などを含めた沿岸部の交易範囲を指すと考えるのが合理的である。
これは大河川下流域に分布した稲作農耕、稲作に適した裾からげ呉服、母系氏族社会の痕跡、妻問婚、歌垣、味噌や蕎麦、木地モノなどの食文化、刈り取りに適した曲剣(鎌)など、あらゆる照葉樹林帯民俗文化がその真実を示している。
弥生人文化圏が東アジアモンスーンの東亜三角弧、いわゆる雨季の梅雨地帯と一致していることでも、それが浮かび上がってくる。
私は、半世紀前から頻繁に、このことを提起しているが、権威主義と「万世一系説」がはびこる史学会が受け入れるはずがなく、未だに、朝鮮系弥生人と騎馬民族を混同している研究者が多いのは呆れ果てる。
徳山村や白川郷は、弥生人文化圏なので、私の子供の頃、1960年代まで、夜這い文化は普通に見られた。
例えば、西日本の家屋には、離れ屋に不思議なほど小さな「にじり戸」という出入り口が設けられていたことが多かったが、これは家の娘に月経が始まると、近所に赤飯を配り、その夜から娘を離れに寝かせ、近所の若者が夜中に忍び込んできて性交をする「夜這い」という習慣のために設けられていた。
千利休の茶文化が定着してから、そのにじり戸屋は、茶室として利用されるようになった。
たくさんの若者が忍んで来るので、妊娠後、父親を特定するのが困難だが、生まれる前に娘は父親を勝手に指名する権利があった。自分の好きな男を夫(父親)に指名でき、それを断った男は村八分に制裁された。
つまり、弥生人文化圏では、子供は集落全体で育てるものであり、非常に自由度の高い男女関係が存在した。
西日本では、村祭りになれば、「無礼講」という習慣があって、祭りに参加した男女は、既婚の有無とは無関係に自由に性交できるのが常識だった。
この習慣も1960年代まで生き残っていた地方が少なくない。
だから、今の西日本の80歳以上の人たちは、自分の両親と本当に血がつながっているのか不明な人が非常に多いのだ。
こうした大昔から続いたフリーセックスの風習は、基本的に最底辺の農民・工民階級のもので、武家や商家は、家長の血を、その子に伝える必要から、女性は自由な性交を厳禁されていた。
1960年代に、こうした弥生人性文化が急速に廃れた理由は、西日本の戦後資本主義が拡大し、資本主義工業が、労働者に「一夫一婦制」を要求し、孤立した小家族のライフスタイルが定着したからだ。
社会全体が、中部、東日本における家族観、ライフスタイルに統一されていったのは、当時のメディアが、「夜這い文化=集落全体での子育て」という弥生人社会の文化を敵視し、当時勃興した女性自身や婦人公論などの女性誌が、まるで、陰惨な人権無視の封建習慣であるかのように報道し、日本のインテリ女性たちをヒステリックな活動家に育ててしまい、その影響で、日本女性の多くが夜這い習慣を悪霊のように忌み嫌うようになった。
だが、当時の女性権利活動家を代表した平塚らいてう、福田昌子、加藤しずえ、市川房枝らは、同時に「優生保護思想」の活動家でもあった。
彼女らが、優生保護法を制定させ、障害者の生殖能力を強制的に奪い去ったのだ。
彼女らは、いずれも特権市民階級出身で、自分が西日本の夜這い集落に生まれたわけではなかった。
実際に、夜這い文化のなかで、女性の本当の地位がどうだったのか、という議論は、民俗学を注視してきた私も、はっきりしたことがわからない。
徳山村では、そうした自由な性習慣の影響か、祖父が孫娘を妊娠させる事例は珍しくないと、私は取材のなかで聞いた。
また、村では後家になると、近所の若者が毎晩「やらせろ」と押しかけてくると飲食店の女性経営者が困り顔でぼやいていた。
それが村の先祖代々の習慣だったのだ。
日本は、西日本の弥生人文化圏の影響で、フリーセックスに寛容な土地だった。ただし、「子に家を継承させる」必要のある武家や商家は別である。
あくまでも、「持たざる」農家・工家の下層階級の風習なのだ。
つまり、フリーセックスを抑止する要因は、「家を継がせる」必要である。「家長が自分の子に権力と財産を継承させる」というのが封建社会の本質なのだ。
だから、守るべき家を持たない下層大衆には、ただ男女の関係だけがあり、それが「婚姻という国家権力を支えるシステム」の束縛を受けずに、自由に情を通ずるのは動物と同様であって、自然のなりゆきであるというしかない。
冒頭に紹介した精神病院に入れられた「露出狂」の女性は、いったいどんな理由で、精神の平衡を失ったのだろう?
西日本の夜這いの残る集落の娘でも、人によって、習慣を受け入れる子と拒絶する子がいたようだ。
夜這いの誰にでも受け入れる女性は、「させ子」と呼ばれたが、実は、昔の集落では、「させ子」と呼ばれた女性は、最高の女性像として男たちの争奪戦の的になったといわれる。
誰とでも寝る子は必ず心優しい子で、生涯夫に尽くし、その周囲に幸せをもたらす存在とされ、結婚して独占すると、集落の男たちの羨望の的になった。
逆に、夜這いを拒否したり、男を選別する娘もいた。
広島県・岡山県のような部落差別の残る風土では、夜這いに部落出身者が来ると娘は激しく拒絶した。そして、それが凄まじい規模の悲劇を生んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
西日本で、どれほど性的関係が自由だったかは、宮本常一の「忘れられた日本」を読めばよく分かる。なかでも有名な土佐源氏には、当時の民衆の性に対する寛容さが描かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%BA%90%E6%B0%8F
人々は性に対しての寛容と自由を求めたが、一方で、武家商家の伝統的な世継ぎシステムや近代資本主義による大家族破壊→小家族による自由な転勤体制は、性倫理の厳格化を加速させた。
民衆を国家や企業に隷属させるためには、民衆の性の自由を封じて、ライフスタイルを管理する必要があった。
性の自由は、そのまま性を管理しようとする企業や国家の体制への批判、反発につながったからだ。
つまり、民衆を管理して隷属化させるために、何よりも自由な性愛を封じ、性を管理し、生まれてくる子供たちへの画一的な教育管理体制が必要なのだ。
これが、1960年代に起きた弥生人文化圏における自由な性の封殺と、教育体制の画一化の本質である。これによって「夜這いで誰の子が生まれるかわからないが、子供は【集落の子】」という家族価値観が、日本中のインテリや女性誌、雑誌などの宣伝によって崩壊させられていった。
徳山村や白川郷では遅くまで残ったが、白川郷における大家族制度→妻問婚は、紡績産業の勃興で娘たちが高山や松本、岡谷に出て、一夫一婦制が知られることで崩壊した。
徳山では、たぶん日本でももっとも遅くまで、夜這いなどの性風俗が残ったが、それは巨大ダム建設によって、村人が大垣などに出ることで崩壊させられた。
いつしか、人々は日本に集落共同体や夜這い習慣があったことまで忘れてしまった。
「夜這い」という言葉を知っている人も、80歳を超える西日本の人だけだろうが、たぶん、今でも性に寛容な風土はあちこちに残っている。
本日の表題は、「国家権力は、なぜポルノを弾圧したがるのか?」
ということだが、答えははっきりしている。それは、ポルノが自由な性風土を拡大し、国家権力の存立基盤である一夫一婦制を破壊するからだ。
もしも、性の解放された集団的生活=共同体が存在するなら、そこにいる人達は、国に頼らなくとも、どんなことでも助け合って生活を切り開き、守ってゆけるのだ。
自給自足も、小家族では困難だが、大家族や共同体ならば、その作業自体が楽しい人生の断片になってゆく。
つまり「国を必要としなくなる」わけで、集落共同体は、国家運営で一番困っった存在になる。誰も国を頼らず、仲間に頼って生きてゆくのだから。
今のダボス会議=ビルダーバーク会議が、「グレートリセット社会」でもたらそうとしている超管理社会の本質もまた国家の延長であって、人々から対話と共同を奪い去り家畜の地位に貶める性質の民衆管理システムである。
だから、民衆の性を過酷なほどに管理するシステムであり、すでに20年ほど前からはじまった、「先進国=新自由主義社会」では、性への弾圧管理が著しく強固なものになっている。
恐るべき管理社会がやってきた! ポルノ規制法の苛酷取り締まりの現実 2009-07-10 22
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1043898.html
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828474.html
警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産 2010年05月03日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2636159.html
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1030261.html
今や、パソコンやスマホに、児童ポルノがキャッシュとして残っていただけで、懲役1年、100万円以下の罰金に処せられるようになり、欧米では、地域社会で生きる権利を奪われるほど、はるかにひどい弾圧がある。
このような性に対する弾圧が、何の目的で行われるのかというと、それは、性に自由な社会が、管理社会を破壊する性質を持っているからで、世界中の人々をスマートシティという監獄に押し込めて家畜として管理しようとしているダボス会議=ユダヤ金融資本や、国家権力を使って民衆を搾取する体制にあぐらをかきたい新自由主義者たちによって、若者たちの性は過酷に管理され、性倫理はネット上でも、ありえないほど厳格な、まるでイスラム社会のような規範が強要されるうようになっている。
我々は、本当は性に対してどうあるべきなのか?
それは寛容であり、子供達を「みんなの手で育てる」という「共同体ライフ」に向かうことだけが未来を保証するのだ。
まずは、弥生人社会がどのようなあり方だったのか、もう一度振り帰って、その全体像を把握する必要がある。
我々は「役得」と喜んだが、すぐに白衣の看護師がやってきて彼女を連れ去った。
大昔の蔑視用語でいえば、女性は「色情狂」という分類になりそうだが、私は、それを見ていて、「性の抑圧」と言葉が脳裏を横切った。
1,970年代の大都会は、まだ若い女性が全裸になって公衆の目に触れたなら、「精神異常者」のカテゴリーに押し込められるのが普通だった。
当時、人が「おかしくなる」原因として、家族問題について多かったのが、たぶん性意識の問題だったと思う。
私は、当時、暇があれば岐阜県の徳山ダム建設によって湖底に沈む運命だった徳山村の民俗調査を個人的立場で行っていた。
徳山周辺の山に登るついでに、地元の飲食店を利用しながら、さまざまな民俗を取材した。それらを書き留めた文章は、フロッピーに入れたはずだったが、今は探しても見つからないし、ヤフーブログに公開したものは無断削除されて消えた。
徳山で聞いた話として強く記憶に残っているものは、家の老人が孫娘を犯して妊娠させ、生まれた子を親戚に養子に出したという事件を数回聞いた。徳山は集落の人間関係の密度が濃かったので、隠し事など通らない。そんな事件は、村人全員が共有するものだった。
しかし、徳山は白川郷と同じで、私の子供の頃まで、ろくな道もなく、冬期は事実上封鎖され孤立した地帯だった。
徳山も白川郷も、西日本の弥生人文化圏で、今でも台湾やインドシナ半島に残る通婚(母系氏族社会)や歌垣、夜這いなどの民俗が伝えられている。
私の半世紀を超える民俗研究の結論として、日本人の大源流であるヒマラヤ・シッキム地方のレプチャ族がインドシナ半島から中国雲南・江南地方に展開し、長江流域に照葉樹林帯文化圏を生成した。
春秋時代に呉越戦争が起きて、蘇州を中心地とした呉の民が敗戦国民をまとめて坑刑(穴埋め)で殺戮した当時の風習から逃れて、国ぐるみ船で外洋に逃避し、台湾・山東半島・朝鮮南部・九州・山陰地方などにたどり着き、弥生人文化圏を生成した。
日本に来た呉民が、稲作農耕を伝え、最大リーダーが神武天皇になったと考えていて、これは郭沫若も同じことを指摘し、中国史学界では、神武建国は呉の大伯の一族であるという見解が常識になっている。
だから、倭という国は、九州だけでなく台湾・山東半島・朝鮮南部・九州や山陰などを含めた沿岸部の交易範囲を指すと考えるのが合理的である。
これは大河川下流域に分布した稲作農耕、稲作に適した裾からげ呉服、母系氏族社会の痕跡、妻問婚、歌垣、味噌や蕎麦、木地モノなどの食文化、刈り取りに適した曲剣(鎌)など、あらゆる照葉樹林帯民俗文化がその真実を示している。
弥生人文化圏が東アジアモンスーンの東亜三角弧、いわゆる雨季の梅雨地帯と一致していることでも、それが浮かび上がってくる。
私は、半世紀前から頻繁に、このことを提起しているが、権威主義と「万世一系説」がはびこる史学会が受け入れるはずがなく、未だに、朝鮮系弥生人と騎馬民族を混同している研究者が多いのは呆れ果てる。
徳山村や白川郷は、弥生人文化圏なので、私の子供の頃、1960年代まで、夜這い文化は普通に見られた。
例えば、西日本の家屋には、離れ屋に不思議なほど小さな「にじり戸」という出入り口が設けられていたことが多かったが、これは家の娘に月経が始まると、近所に赤飯を配り、その夜から娘を離れに寝かせ、近所の若者が夜中に忍び込んできて性交をする「夜這い」という習慣のために設けられていた。
千利休の茶文化が定着してから、そのにじり戸屋は、茶室として利用されるようになった。
たくさんの若者が忍んで来るので、妊娠後、父親を特定するのが困難だが、生まれる前に娘は父親を勝手に指名する権利があった。自分の好きな男を夫(父親)に指名でき、それを断った男は村八分に制裁された。
つまり、弥生人文化圏では、子供は集落全体で育てるものであり、非常に自由度の高い男女関係が存在した。
西日本では、村祭りになれば、「無礼講」という習慣があって、祭りに参加した男女は、既婚の有無とは無関係に自由に性交できるのが常識だった。
この習慣も1960年代まで生き残っていた地方が少なくない。
だから、今の西日本の80歳以上の人たちは、自分の両親と本当に血がつながっているのか不明な人が非常に多いのだ。
こうした大昔から続いたフリーセックスの風習は、基本的に最底辺の農民・工民階級のもので、武家や商家は、家長の血を、その子に伝える必要から、女性は自由な性交を厳禁されていた。
1960年代に、こうした弥生人性文化が急速に廃れた理由は、西日本の戦後資本主義が拡大し、資本主義工業が、労働者に「一夫一婦制」を要求し、孤立した小家族のライフスタイルが定着したからだ。
社会全体が、中部、東日本における家族観、ライフスタイルに統一されていったのは、当時のメディアが、「夜這い文化=集落全体での子育て」という弥生人社会の文化を敵視し、当時勃興した女性自身や婦人公論などの女性誌が、まるで、陰惨な人権無視の封建習慣であるかのように報道し、日本のインテリ女性たちをヒステリックな活動家に育ててしまい、その影響で、日本女性の多くが夜這い習慣を悪霊のように忌み嫌うようになった。
だが、当時の女性権利活動家を代表した平塚らいてう、福田昌子、加藤しずえ、市川房枝らは、同時に「優生保護思想」の活動家でもあった。
彼女らが、優生保護法を制定させ、障害者の生殖能力を強制的に奪い去ったのだ。
彼女らは、いずれも特権市民階級出身で、自分が西日本の夜這い集落に生まれたわけではなかった。
実際に、夜這い文化のなかで、女性の本当の地位がどうだったのか、という議論は、民俗学を注視してきた私も、はっきりしたことがわからない。
徳山村では、そうした自由な性習慣の影響か、祖父が孫娘を妊娠させる事例は珍しくないと、私は取材のなかで聞いた。
また、村では後家になると、近所の若者が毎晩「やらせろ」と押しかけてくると飲食店の女性経営者が困り顔でぼやいていた。
それが村の先祖代々の習慣だったのだ。
日本は、西日本の弥生人文化圏の影響で、フリーセックスに寛容な土地だった。ただし、「子に家を継承させる」必要のある武家や商家は別である。
あくまでも、「持たざる」農家・工家の下層階級の風習なのだ。
つまり、フリーセックスを抑止する要因は、「家を継がせる」必要である。「家長が自分の子に権力と財産を継承させる」というのが封建社会の本質なのだ。
だから、守るべき家を持たない下層大衆には、ただ男女の関係だけがあり、それが「婚姻という国家権力を支えるシステム」の束縛を受けずに、自由に情を通ずるのは動物と同様であって、自然のなりゆきであるというしかない。
冒頭に紹介した精神病院に入れられた「露出狂」の女性は、いったいどんな理由で、精神の平衡を失ったのだろう?
西日本の夜這いの残る集落の娘でも、人によって、習慣を受け入れる子と拒絶する子がいたようだ。
夜這いの誰にでも受け入れる女性は、「させ子」と呼ばれたが、実は、昔の集落では、「させ子」と呼ばれた女性は、最高の女性像として男たちの争奪戦の的になったといわれる。
誰とでも寝る子は必ず心優しい子で、生涯夫に尽くし、その周囲に幸せをもたらす存在とされ、結婚して独占すると、集落の男たちの羨望の的になった。
逆に、夜這いを拒否したり、男を選別する娘もいた。
広島県・岡山県のような部落差別の残る風土では、夜這いに部落出身者が来ると娘は激しく拒絶した。そして、それが凄まじい規模の悲劇を生んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
西日本で、どれほど性的関係が自由だったかは、宮本常一の「忘れられた日本」を読めばよく分かる。なかでも有名な土佐源氏には、当時の民衆の性に対する寛容さが描かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%BA%90%E6%B0%8F
人々は性に対しての寛容と自由を求めたが、一方で、武家商家の伝統的な世継ぎシステムや近代資本主義による大家族破壊→小家族による自由な転勤体制は、性倫理の厳格化を加速させた。
民衆を国家や企業に隷属させるためには、民衆の性の自由を封じて、ライフスタイルを管理する必要があった。
性の自由は、そのまま性を管理しようとする企業や国家の体制への批判、反発につながったからだ。
つまり、民衆を管理して隷属化させるために、何よりも自由な性愛を封じ、性を管理し、生まれてくる子供たちへの画一的な教育管理体制が必要なのだ。
これが、1960年代に起きた弥生人文化圏における自由な性の封殺と、教育体制の画一化の本質である。これによって「夜這いで誰の子が生まれるかわからないが、子供は【集落の子】」という家族価値観が、日本中のインテリや女性誌、雑誌などの宣伝によって崩壊させられていった。
徳山村や白川郷では遅くまで残ったが、白川郷における大家族制度→妻問婚は、紡績産業の勃興で娘たちが高山や松本、岡谷に出て、一夫一婦制が知られることで崩壊した。
徳山では、たぶん日本でももっとも遅くまで、夜這いなどの性風俗が残ったが、それは巨大ダム建設によって、村人が大垣などに出ることで崩壊させられた。
いつしか、人々は日本に集落共同体や夜這い習慣があったことまで忘れてしまった。
「夜這い」という言葉を知っている人も、80歳を超える西日本の人だけだろうが、たぶん、今でも性に寛容な風土はあちこちに残っている。
本日の表題は、「国家権力は、なぜポルノを弾圧したがるのか?」
ということだが、答えははっきりしている。それは、ポルノが自由な性風土を拡大し、国家権力の存立基盤である一夫一婦制を破壊するからだ。
もしも、性の解放された集団的生活=共同体が存在するなら、そこにいる人達は、国に頼らなくとも、どんなことでも助け合って生活を切り開き、守ってゆけるのだ。
自給自足も、小家族では困難だが、大家族や共同体ならば、その作業自体が楽しい人生の断片になってゆく。
つまり「国を必要としなくなる」わけで、集落共同体は、国家運営で一番困っった存在になる。誰も国を頼らず、仲間に頼って生きてゆくのだから。
今のダボス会議=ビルダーバーク会議が、「グレートリセット社会」でもたらそうとしている超管理社会の本質もまた国家の延長であって、人々から対話と共同を奪い去り家畜の地位に貶める性質の民衆管理システムである。
だから、民衆の性を過酷なほどに管理するシステムであり、すでに20年ほど前からはじまった、「先進国=新自由主義社会」では、性への弾圧管理が著しく強固なものになっている。
恐るべき管理社会がやってきた! ポルノ規制法の苛酷取り締まりの現実 2009-07-10 22
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1043898.html
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828474.html
警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産 2010年05月03日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2636159.html
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1030261.html
今や、パソコンやスマホに、児童ポルノがキャッシュとして残っていただけで、懲役1年、100万円以下の罰金に処せられるようになり、欧米では、地域社会で生きる権利を奪われるほど、はるかにひどい弾圧がある。
このような性に対する弾圧が、何の目的で行われるのかというと、それは、性に自由な社会が、管理社会を破壊する性質を持っているからで、世界中の人々をスマートシティという監獄に押し込めて家畜として管理しようとしているダボス会議=ユダヤ金融資本や、国家権力を使って民衆を搾取する体制にあぐらをかきたい新自由主義者たちによって、若者たちの性は過酷に管理され、性倫理はネット上でも、ありえないほど厳格な、まるでイスラム社会のような規範が強要されるうようになっている。
我々は、本当は性に対してどうあるべきなのか?
それは寛容であり、子供達を「みんなの手で育てる」という「共同体ライフ」に向かうことだけが未来を保証するのだ。
まずは、弥生人社会がどのようなあり方だったのか、もう一度振り帰って、その全体像を把握する必要がある。