なかなかブログが続けられません。
日々の生活に追われて、
書きたいことがあってもパソコンに向かう前に
心の中で文章にして終わることが多いのです。
京琉おせちの後も追われ続けましたねー。
大晦日は夕方から買い物に出かけ、
ゆっくり年越しそばをいただきました。
派遣切りがテーマの「朝まで生テレビ」を
途中まで見て、無事に越年。
新年2日からの営業のため、元日から仕込みです。
あれもこれもと欲張って料理を準備したうえ
1年以上ぶりに花びら餅をつくるため、
不安と緊張もありましたが、
おかげさまで好評でした。
7日からの休暇では6年ぶりに
花巻・大沢温泉の自炊部へ。
湯と酒と食を堪能しました。
帰りに浅草の超安ホテルに滞在。
写真は花巻のマルカンデパートの名物スイート、
ソフトクリーム140円也です。……ち
食べものに「好き嫌い」があることを、どう思いますか?
私はもともとは、ほとんど好き嫌いがなかったのです。
というより、どんな食べものでもおいしくいただいてきました。好き嫌いがなく…ではなく、好きあり・嫌いなしでした。
よくグルメ漫画で、出された料理を一口食べて、「こんなものが食べられるか」といわんばかりに、席を立つ人物が描かれますが、そのように食べものを極端に評価するのは、その人にとっても不幸ではないかと思えます。それに、もったいない。
なんでもおいしく食べられることは、とても幸せです。舌が肥えていない、食の感性が貧しいといわれても、それでいいと思っていました。
しかし、自分で料理をつくり、人様にお出しするようになってから、その感覚は変化していったのです。まず、自分の料理に対して厳しくなります。自分自身の好みだけで評価するのでなく、お客様がおいしくめしあがることができるか、そこに評価の基準ができてくるわけです。もちろん、客観的評価を主観で判断するという二重の構造ですが、それはやむをえません。
また、お客様といっても、すべての人を対象に考えているわけではなく、自分に料理に関心を向けてくれる方に重点が置かれます。自分の店のお客様、常連の方にとっての評価になるため、そこでも自分自身の評価が自然と滲み出てしまうのです。
その結果、今度は、自分が食べる他人のつくった料理にも、評価の目が向けられることになります。
料理人になったことによって、食べものの好き嫌いが生まれ、強くなっていったのだとしたら、それは幸せなのか、不幸なのか、悩むこともあるのです。