
本日をもって、京浜急行電鉄の代表的な電車として長らく親しまれてきた1000形が引退しました。
最初期の車両が登場してすでに50年。関東の大手私鉄としてはかなり古い部類の車両ですが、均整の取れたスタイルは鉄道ファンに人気があり、以前は都営浅草線、京成線乗り入れとしても活躍してきたことや、北総開発鉄道(現在の北総鉄道)、千葉急行(現在の京成千原線)にリースされたことから千葉方面にも知られた車両です。
近年は700形の後を受けた大師線運用や、川崎~浦賀の各駅停車運用が中心で、新1000形の増備と共に急速に数を減らしてきました。一部の車両はすでに高松琴平電鉄へ移籍し、1080形として活躍中です。ことでんでの活躍はまだ後10年くらいは続くでしょうから、当面は高松で姿を見ることが出来ます。とは言え、京急の赤い電車としては今日が最後。仕事で特に見に行くことも出来ませんでしたが、少し撮り貯めた写真でも掲載しておきましょう。

本線の浦賀行き電車

今や懐かしい、白幕の1000形。白幕車最後の生き残りだった1219F

多摩川橋梁上の引き込み線で止まる1000形

大師線運用の1000形

2008年に運行された「歴史ギャラリー号」

こちらは復刻塗装で2008年に運行された「ありがとうギャラリー号」

大師線の川崎駅周辺はガードが低くて撮りやすい。700形の後は1000形が中心になった
昭和の雰囲気を残す車両がまた大手私鉄から消えました。
次は京成の3300形と西武101系あたりでしょうか。京成はどこにも移籍していないので、今のうちに見たい人はちゃんと見ておくべきでしょうね。
西武101系は類似車がいくつか流鉄や三岐鉄道にありますけど。
東京、神奈川、千葉の人々を50年間運んだ1000形、製造合計356両。お疲れ様でした。
最初期の車両が登場してすでに50年。関東の大手私鉄としてはかなり古い部類の車両ですが、均整の取れたスタイルは鉄道ファンに人気があり、以前は都営浅草線、京成線乗り入れとしても活躍してきたことや、北総開発鉄道(現在の北総鉄道)、千葉急行(現在の京成千原線)にリースされたことから千葉方面にも知られた車両です。
近年は700形の後を受けた大師線運用や、川崎~浦賀の各駅停車運用が中心で、新1000形の増備と共に急速に数を減らしてきました。一部の車両はすでに高松琴平電鉄へ移籍し、1080形として活躍中です。ことでんでの活躍はまだ後10年くらいは続くでしょうから、当面は高松で姿を見ることが出来ます。とは言え、京急の赤い電車としては今日が最後。仕事で特に見に行くことも出来ませんでしたが、少し撮り貯めた写真でも掲載しておきましょう。

本線の浦賀行き電車

今や懐かしい、白幕の1000形。白幕車最後の生き残りだった1219F

多摩川橋梁上の引き込み線で止まる1000形

大師線運用の1000形

2008年に運行された「歴史ギャラリー号」

こちらは復刻塗装で2008年に運行された「ありがとうギャラリー号」

大師線の川崎駅周辺はガードが低くて撮りやすい。700形の後は1000形が中心になった
昭和の雰囲気を残す車両がまた大手私鉄から消えました。
次は京成の3300形と西武101系あたりでしょうか。京成はどこにも移籍していないので、今のうちに見たい人はちゃんと見ておくべきでしょうね。
西武101系は類似車がいくつか流鉄や三岐鉄道にありますけど。
東京、神奈川、千葉の人々を50年間運んだ1000形、製造合計356両。お疲れ様でした。