
もう2月だというのにまだ昨年12月の話で恐縮ですが、12/23-24に南東北へ行ってきました。
昨年の12/23-25はちょうど3連休になっていましたが、その前に12月初旬に北海道へ行ったし、場合によっては仕事が入るかもと思っていたので、2週間前まで予定を入れていませんでした。で、結局仕事が入らない目処が立ったので、急遽12/23-24で出かけてくることにしまして、JR東日本の週末パスを利用して、常磐線の不通区間を通りぬけることにしました。
2011年3月11日の東日本大震災よりこの時で5年と9ヶ月あまり。その間におよそ鉄道の被災地区間としては、常磐線竜田ー原ノ町以外の区間はほぼ行き尽くしました。今回は常磐線の相馬ー浜吉田が12月10日に運転再開したことで、常磐線を全部通り抜けることにしました。なお、常磐線を通り抜けるのは震災前の2010年4月10日以来、6年8ヶ月半ぶりのことでした。


朝の品川駅。E657系「ひたち」でいわきへ向かいます




E657系普通車の座席とデッキ。可動式ヘッドレスト、ゆったりとした座席間隔(960mm。国鉄時代の485系は910mmでした)、肘掛けにモバイルコンセント。さらに静音性が高い室内と良好な乗り心地で、かなりハイクラスな特急車両だと思う


導入当初にはなかった設備。E217系、E231系、E233系にあるSuicaグリーンシステムの様なものが座席の上にあった。「ひたち」「ときわ」は全車指定席になっており、その座席の指定席が売れている区間では青色(というか緑色)、座席販売済み区間が近づいた席は黄色、座席販売されていない席は赤色になる。座席未指定券で乗車したときは、この赤色の座席でのみ座ることが出来る


いわき駅に到着。竜田行きに乗り継ぎのためにホームを移動したが、E501系10連の回送が鎮座していた。あれ、時刻になっても竜田行きが入線できないじゃないかと思っていたら・・・・
いわき駅に到着し、本来はここから竜田行きの電車に乗り、竜田から1日2便だけの代行バスで小高まで行くつもりでした。
ところが、この日は強風が吹いていて、いわきー竜田は急遽運休の構内放送が。タクシー代行するので、改札外に集まるよう指示がありました。

タクシー代行のため改札外に集まった人々

いわき駅のバス・タクシーターミナルに移動します

竜田まで行く人と、途中駅で降りる人に別れて、順にタクシーで送り込むことになりました


タクシーで国道6号を走り、竜田駅へ。ただ、タクシーの運転手さんが竜田駅の場所がわからず、前を走る車も含めて、竜田駅付近で道を間違えましたけど
なんとか竜田駅に到着。まあ、一応竜田までは2015年1月31日に一度来ていたので、この区間を列車に乗れなかったのはガマンしました。
ここからは、代行バスに乗車します。

竜田ー小高ー原ノ町の代行バス。以前は原ノ町までノンストップだったが、現在は小高でも降りることが出来る(ただし、磐城太田は通過)
常磐線の竜田ー原ノ町代行バスは、2015年1月31日から運行を開始した、福島第一原子力発電所の放射能汚染が発生した区間を通り抜けるバスです。
未だ帰還困難区域に指定されている区間を、国道6号線を主に通って通り抜けます。
原ノ町方面で見ると、1便:竜田10:05→小高11:00→原ノ町11:20、3便:竜田20:10→小高21:00→原ノ町21:20の2便しか無いので、必然的に1便で移動するように行程を組みました。
タクシー代行のため、出発時間は多少遅れましたが、乗客はバス2台に分乗して小高、原ノ町へ向かいました。

一旦、竜田駅の裏を廻って県道244号を経由してから国道6号に出た。写真は竜田駅で抑止中のE531系

富岡町の元パチンコ店。震災で崩れたのか、その前から廃墟だったのかはわからないが

ローソン富岡小浜店。この辺りはまだ入れる


居住制限区域に入ると、横道に逸れたり、建物敷地に入れないように封鎖されているのがわかる。交差点ごとに、警備の人が立っていた


居住制限区域、帰宅困難地域に入ると、このようなチェーン店の建物でも廃墟化していく様子が見て取れる

「いちえふ」でも紹介されていた元トヨタカローラいわき富岡店。ここは国道6号から見える被災建物の中でも突出して損壊が酷かった

元は水田か畑だったんだろうか。雑草が生い茂る

しまむらも閉鎖されている







居住制限区域、帰宅困難区域を通りぬける間は、このような光景が続いた

大熊町の帰還困難区域でありながら営業していたガソリンスタンド。そりゃ、ガソリン無きゃ困るもんなあ






大熊町、双葉町、浪江町を通り抜けて行く


やがて帰還困難区域を抜け、バスは南相馬市へと入っていく

小高駅前バス停に到着
代行バスに乗って帰還困難区域を抜け、常磐線が復旧した小高まで到着しました。大半の乗客は原ノ町まで乗っていったので、小高で降りたのは私以外はもう1人くらいしかいませんでした。
次回、強風トラブルが再度襲いかかります。
昨年の12/23-25はちょうど3連休になっていましたが、その前に12月初旬に北海道へ行ったし、場合によっては仕事が入るかもと思っていたので、2週間前まで予定を入れていませんでした。で、結局仕事が入らない目処が立ったので、急遽12/23-24で出かけてくることにしまして、JR東日本の週末パスを利用して、常磐線の不通区間を通りぬけることにしました。
2011年3月11日の東日本大震災よりこの時で5年と9ヶ月あまり。その間におよそ鉄道の被災地区間としては、常磐線竜田ー原ノ町以外の区間はほぼ行き尽くしました。今回は常磐線の相馬ー浜吉田が12月10日に運転再開したことで、常磐線を全部通り抜けることにしました。なお、常磐線を通り抜けるのは震災前の2010年4月10日以来、6年8ヶ月半ぶりのことでした。


朝の品川駅。E657系「ひたち」でいわきへ向かいます




E657系普通車の座席とデッキ。可動式ヘッドレスト、ゆったりとした座席間隔(960mm。国鉄時代の485系は910mmでした)、肘掛けにモバイルコンセント。さらに静音性が高い室内と良好な乗り心地で、かなりハイクラスな特急車両だと思う


導入当初にはなかった設備。E217系、E231系、E233系にあるSuicaグリーンシステムの様なものが座席の上にあった。「ひたち」「ときわ」は全車指定席になっており、その座席の指定席が売れている区間では青色(というか緑色)、座席販売済み区間が近づいた席は黄色、座席販売されていない席は赤色になる。座席未指定券で乗車したときは、この赤色の座席でのみ座ることが出来る


いわき駅に到着。竜田行きに乗り継ぎのためにホームを移動したが、E501系10連の回送が鎮座していた。あれ、時刻になっても竜田行きが入線できないじゃないかと思っていたら・・・・
いわき駅に到着し、本来はここから竜田行きの電車に乗り、竜田から1日2便だけの代行バスで小高まで行くつもりでした。
ところが、この日は強風が吹いていて、いわきー竜田は急遽運休の構内放送が。タクシー代行するので、改札外に集まるよう指示がありました。

タクシー代行のため改札外に集まった人々

いわき駅のバス・タクシーターミナルに移動します

竜田まで行く人と、途中駅で降りる人に別れて、順にタクシーで送り込むことになりました


タクシーで国道6号を走り、竜田駅へ。ただ、タクシーの運転手さんが竜田駅の場所がわからず、前を走る車も含めて、竜田駅付近で道を間違えましたけど
なんとか竜田駅に到着。まあ、一応竜田までは2015年1月31日に一度来ていたので、この区間を列車に乗れなかったのはガマンしました。
ここからは、代行バスに乗車します。

竜田ー小高ー原ノ町の代行バス。以前は原ノ町までノンストップだったが、現在は小高でも降りることが出来る(ただし、磐城太田は通過)
常磐線の竜田ー原ノ町代行バスは、2015年1月31日から運行を開始した、福島第一原子力発電所の放射能汚染が発生した区間を通り抜けるバスです。
未だ帰還困難区域に指定されている区間を、国道6号線を主に通って通り抜けます。
原ノ町方面で見ると、1便:竜田10:05→小高11:00→原ノ町11:20、3便:竜田20:10→小高21:00→原ノ町21:20の2便しか無いので、必然的に1便で移動するように行程を組みました。
タクシー代行のため、出発時間は多少遅れましたが、乗客はバス2台に分乗して小高、原ノ町へ向かいました。

一旦、竜田駅の裏を廻って県道244号を経由してから国道6号に出た。写真は竜田駅で抑止中のE531系

富岡町の元パチンコ店。震災で崩れたのか、その前から廃墟だったのかはわからないが

ローソン富岡小浜店。この辺りはまだ入れる


居住制限区域に入ると、横道に逸れたり、建物敷地に入れないように封鎖されているのがわかる。交差点ごとに、警備の人が立っていた


居住制限区域、帰宅困難地域に入ると、このようなチェーン店の建物でも廃墟化していく様子が見て取れる

「いちえふ」でも紹介されていた元トヨタカローラいわき富岡店。ここは国道6号から見える被災建物の中でも突出して損壊が酷かった

元は水田か畑だったんだろうか。雑草が生い茂る

しまむらも閉鎖されている







居住制限区域、帰宅困難区域を通りぬける間は、このような光景が続いた

大熊町の帰還困難区域でありながら営業していたガソリンスタンド。そりゃ、ガソリン無きゃ困るもんなあ






大熊町、双葉町、浪江町を通り抜けて行く


やがて帰還困難区域を抜け、バスは南相馬市へと入っていく

小高駅前バス停に到着
代行バスに乗って帰還困難区域を抜け、常磐線が復旧した小高まで到着しました。大半の乗客は原ノ町まで乗っていったので、小高で降りたのは私以外はもう1人くらいしかいませんでした。
次回、強風トラブルが再度襲いかかります。