プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

宝探しゲームの夢

2013年06月03日 13時34分44秒 | インポート

 

 2013年6月3日(月)<o:p></o:p>

 

 今日は宝探しゲームの夢を見ました。<o:p></o:p>

 

 夢の中の僕は中学生の頃のメンタリティーで、登場する仲間たちもその年代の生徒たちと、引率の教師たちでした。<o:p></o:p>

 

 それは宿泊先の施設から始まり、指示されたヒントをもとに施設外のある地点を探し、その地点にたどり着いたら、またそこで指示されているヒントをもとにさらにある地点を探し・・・と、ずっとそれを続けていくというもので、別に「宝探しゲーム」と銘打っているわけではないのですが(実際、何を探していたのだろう?)、夢から覚めてみると、あれはどう見ても宝探しゲームです。<o:p></o:p>

 

 プレイ中、僕はハラハラ、ドキドキしながら仲間たちと共に道路を彷徨っているのですが、基本的にこういう状況が好きな僕はワクワクしているのです。<o:p></o:p>

 

 だから、今日の夢は僕にとってはいい夢だったのです。<o:p></o:p>

 

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〈イサンカタ〉は幸福?(2)

2013年06月03日 10時07分18秒 | インポート

 

中沢 最近、シェークスピアに凝っていますね。<o:p></o:p>

 

河合 『マクベス』のなかのマクベス夫人の言葉に「望みは遂げても、満足がない」というのがあります。それがいまの日本の状況です。みんな金があって、家買ったり、車買ったり何かしとるのに、だーれも満足していない。仏教の安心というのとは、対極みたいなものでしょう。<o:p></o:p>

 

中沢 むしろいまのお話で問題になっているのは、クライアントのほうは幸福になりたくて来るんじゃなくて、楽になりたい。実際にたとえば〈イサンカタ〉状態になっている方は、幸福になれないのはそれで楽になれないからですね。 <o:p></o:p>

 

河合 そう、よけいしんどくなっている。<o:p></o:p>

 

中沢 自分のところへいっぱい経済的な幸をもらったけども、この幸は人間をぜんぜん楽にしてない。<o:p></o:p>

 

河合 してない。むしろ苦しく追いつめている。<o:p></o:p>

 

中沢 そいつを楽にしたいということですね。だから「幸福」などというわけのよくわからない言葉よりも、仏教語の「楽」を使ったほうが、ずっと正確に事態をつかめるような気がするんですが。<o:p></o:p>

 

河合 そうです。それか、あるいはさっきの「安心」です。<o:p></o:p>

 

中沢 安心ですね。安んじている心が失われた状態というのは、自分の心がほかのもの、ほかの場所にひかれてふらふらと外に出かけていって、そこで自分では制御のできない力にひっぱり回されて、本来の落ち着きを失ってしまっていることでしょう。そうすると、安心しているとは、お金やら名誉やら、自分の心とは本来無縁なものにひきずり回されることなしに、もともといる場所に落ち着いていられるということなんでしょうね。<o:p></o:p>

 

河合 安心をみんな忘れすぎているんです。金と物のある人が幸福そうな顔をしているように見えるからね。ない者にとっては、そのために、お金も財産も多ければ多いほど幸福の度合いがあがると思っている。<o:p></o:p>

 

中沢 「幸福」という言葉そのものに問題があるんですなあ。<o:p></o:p>

 

河合 そう思います。かつては不老長寿が幸福の目標になったりしましたが、人よりもたくさん金を持っている、人よりもたくさん車を持っているとか、人よりも長く生きるとか、計れるもので人より多いことを問題にしてしまう。<o:p></o:p>

 

中沢 愛人が多いとか。<o:p></o:p>

 

河合 そういうことです(笑)。それだって僕の友だちで言うたのがおるけど、「人が持っていたら羨ましい。自分が持ったら非常に困るものはセカンドハウスとセカンドワイフだ」と。<o:p></o:p>

 

中沢 言い得て妙です。<o:p></o:p>

 

河合 人が持っていたら羨ましいんですよ。<o:p></o:p>

 

中沢 バリダンスの名人のおじいさんが友人にいました。このおじいさん、村のなかに愛人がいっぱいいました。みんなは非常に羨ましいおじいさんだと思っているけど、日常生活は大変でした。朝起きて本妻のところで食事する。そうこうしてるともうそそくさと出かけて行かなくちゃならない。向こうの愛人のところへ行ってお茶を飲んで話して、それが終わると次の愛人宅へ行っては肩を揉んでもらって……。まあ、そんなふうにして回っていると、夕方になる。そしてぐったりして家へ戻ってくるという毎日でした。だから一夫多妻も決して人を幸福にはしないと断言できます。<o:p></o:p>

 

河合 そう、そう。ところが、それも同じことなんです。その話をすると、なれないやつにかぎって「いっぺんおれもなってみたい」(笑)。<o:p></o:p>

 

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〈イサンカタ〉は幸福?(1)

2013年06月03日 10時03分46秒 | インポート

 

河合 まさにそのとおりで、一家言どころか、何家言もあるんですよ(笑)。というのは、僕の職業も幸福に非常に関係する職業と思われているわけです。言うなれば不幸な人がカウンセラーに会って幸福の道を見出すというのがいちばんみんな考えていることでしょう。だから僕も自分の仕事をしていて、「幸福とは何か」というのは常日頃とても考えさせられる。本当に大事なことでね。<o:p></o:p>

 

 そのときに、われわれのところへ訪ねてくるクライアントの考えられている幸福というのが漠然としている。漠然としているけど、いまの人は「幸」というのが相当入っているんじゃないでしょうか。それはいまの世の中を見ていると、何かお金のある人は幸福そうに見える。ところが、実際は大変面白いことに、お金を持っている人でそう幸福な人がいません。これもまた非常に面白いところですよね。<o:p></o:p>

 

中沢 本当ですねえ。<o:p></o:p>

 

河合 僕、その例でよく出す事例は、本当に来られた人があるんだけど、見すぼらしい恰好して、もう完全にデプレッション(抑うつ症)の症状で来られた。聞いてみたら、思いがけないとてつもない遺産が入った。そのために、みんながたかりに来るわけです。<o:p></o:p>

 

中沢 親戚とかが来ちゃうんでしょう。<o:p></o:p>

 

河合 うん。それで金出しても誰も喜ばないんですよ。当たり前みたいな顔をする。そして出さなかったら「ケチや」と言われるわけです。<o:p></o:p>

 

中沢 うん、わかります(笑)。<o:p></o:p>

 

河合 そうでしょう。それで寄付しようと思いついてぱっと思い切ってしたりすると、「金があると思って、えらそうにしている」とか。一つもいいことがない。<o:p></o:p>

 

 そのうちだんだん何も生きている面白味がなくなって、もう死のうかと。それで来られた人があるんですけど。講演のときなど、この例を出して、よく言うのですが、「診断は明らかである。〈イサンカタ〉である」(爆笑)ってみんなを笑わせている。<o:p></o:p>

 

中沢 最高!<o:p></o:p>

 

河合 その話をすると、誰も言うことは「おれもいっぺん〈イサンカタ〉になりたい」(笑)。ところが、みんなそう言うけどね、実際はなったら大変ですよ。<o:p></o:p>

 

中沢 ねえ。<o:p></o:p>

 

河合 僕はそのときに痛感したのは、大きい遺産をもらってしっかり安心して生きてる人は、もらわなくても安心している人です。そうでなかったら絶対何かおかしくなる。ところが、みんな漠然と幸福を考えていてよくわからないから、何か金がぼーんと入ってきたら幸福になるというイメージを持っています。現代人は金イコール幸福と考えすぎです。<o:p></o:p>

 

 ところが、これもよく言うんだけど、『マクベス』にいい言葉があるんですよ。<o:p></o:p>

 

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