プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

仏典には「幸福」という言葉はない(2)

2013年06月02日 11時22分30秒 | インポート

 

中沢 あるはずがない言葉をテーマにしているわけですね。きょうは(笑)。しかし何となく、仏教は人を幸福にしてくれるような、変な期待感もあるわけで、そのあたりいったい日本人はいま「幸福」という言葉で、何を考えているのかさえ不明なんじゃないでしょうか。ですから「仏教にとって幸福とは何か」というパラドックスみたいなテーマを立てることで、逆にいまの日本人の幸福観をもういちど検討しなおしてみたいんです。<o:p></o:p>

 

河合 日本的曖昧さですね。<o:p></o:p>

 

中沢 最近ではお坊さんも平気で「幸福」という言葉を使っています。よくお坊さんが「人間はどうしたら幸福になれるでしょう」という質問をされているのを見かけます。そこでお坊さんが少し当惑してくれればいいんだけど、しないんですね(笑)。さも当然のごとく「我執を捨てれば、あなたは幸福になれる」と答えるのですが、我執を捨てれば安心は得られるかもしれないけれども、ハッピーになったりはしないだろうに、ボヌールが訪れたりはしないだろうに、と思えたりするのです。<o:p></o:p>

 

河合 極端な言い方をすると、西洋的幸福は我執にふくまれると言っていいくらいですから、それを捨てると幸福もなくなる。<o:p></o:p>

 

中沢 そのあたりですね。ポイントは。「我執を捨てれば幸福になれる」という言い方そのものが、西洋的幸福と東洋的安心の間でよじれちゃってる。仏典をいろいろ見てみると、「幸福」にあたる言葉はなくて、いちばん近いのが「楽」という言葉のような気がします。どんな生物も、自分に苦痛や危険を与えるものを遠ざけて、快楽や安心を与えてくれるものに近づこうとします。仏教ではそういう苦痛が、内面化されて、我執によって内面の心に苦悩や歪みが発生すると考えています。そこで自我への執着を捨て去っていくことができると、内面の心にはとっても「楽」な状態がつくられます。あらゆる生命体の理想こそが、この「楽」の状態で、ほかの生物には実現できなかったことが、人間には自分の心を制御することで実現できるのですね。普通の生物がもとめている「楽」をはるかに超えて「大楽(大いなる楽)」が、心のうちに実現できるようになるわけでして。まあ、犬がひなたぼっこして気持ちよさそうにしているという状態を、とことんつきつめていきますと、仏教で言うこの「楽」が出てきます。<o:p></o:p>

 

河合 そうですね。<o:p></o:p>

 

中沢 「ああ、楽だなあ」とか「安楽だなあ」というあの「安楽」とか、信仰によって心が一カ所に安らぐという「楽」とか「安心」が、西欧語を訳した「幸福」に近いものでしょう。もっとちゃんとしたことを言うと、功利主義的な近代哲学の言う「幸福」ではなくて、キリスト教の言うところの「幸福」では、その極限的なイメージとして「天国」が登場してきます。この天国のイメージは、仏教で言う「大楽」のみちみちた場所である「極楽」ととてもよく似ています。天国も実に楽な場所だと考えられていますよね。「極楽」もしごく楽なところですものね。天国も極楽も、どちらも生命の理想状態をあらわしています。ということは、かぎりなく死に近い生の状態と言いましょうか。そういう極限みたいな状態を、天国でも極楽でも考えています。そのあたりが、「ハッピー」や「ボヌール」としての幸福よりも、「安楽」「安心」「大楽」としての仏教的な幸福のほうが、ずっと現代性を持っているようにも感じられる原因だと思うんですよ。<o:p></o:p>

 

 河合先生には、そのあたりのことがもうおわかりだったんでしょう。「仏教と幸福」を話しましょうと最初におっしゃったのは、先生のほうですものね。さぞかし幸福については、すてきな一家言をお持ちなんでしょう(笑)。<o:p></o:p>

 

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仏典には「幸福」という言葉はない(1)

2013年06月02日 11時17分27秒 | インポート

 

 仏教について意外なことが書いてあったので、河合隼雄・中沢新一著『仏教が好き!』より引用。<o:p></o:p>

 

P.175<o:p></o:p>

 

中沢 きょうのテーマは「幸福」です。黄色いハンカチをたなびかせて女の人が待っていてくれるんじゃなくて、黄色い袈裟のお坊さんが待っていてくれる、それが仏教の幸福だって話にしたいんですが、どうもいくら調べてみても、仏典のなかに「幸福」という言葉は出てこないんです。<o:p></o:p>

 

河合 ええ、よくわかります。<o:p></o:p>

 

中沢 だけど僕たちにとっては、何となく仏教って幸福な感じがするでしょう。ところが西欧人から見ると、人生の喜びを否定する不幸な宗教というイメージがあります。東洋人から見ると、仏教は「こんなにハッピーな宗教はない」と見えるじゃないですか。キリスト教のほうがよっぽど不幸な感じがします。どうもこちらとあちらでは「幸福」の概念が、根本的に違っているようです。きょうはそのあたりのことを話題にいたしましょう。<o:p></o:p>

 

河合 はい、はい。<o:p></o:p>

 

中沢 まず、「幸福」という言葉の定義を考えていかなきゃいけません。<o:p></o:p>

 

河合 「幸福」の定義が大事なところだ。<o:p></o:p>

 

中沢 「幸福」という言葉は明治になってから使われ出しています。<o:p></o:p>

 

河合 そうでしょう。<o:p></o:p>

 

中沢 「幸」という言葉と「福」という言葉を合成して「幸福」にしたわけですね。日本語には英語の「ハピネス」とかフランス語の「ボヌール」に当たる言葉がなかったんで、翻訳上でこういう合成語が必要になったようです。<o:p></o:p>

 

河合 なかったんです。<o:p></o:p>

 

中沢 「ボヌール」がフランス語などで言う「幸福」ですけど、「ボン」と「ウール」ですから「善き時」というわけですね。幸運に恵まれて「素晴らしい時」を得て、「その時をつかんで幸福になる」という意味なんでしょう。英語の「ハッピー」もだいたい似たような意味です。「好機をつかむ」ことによって、幸福は獲得される。どちらも時間に関係しているようです。こういう言葉が西欧語といっしょに入ってきたとき、日本人は翻訳に困った。そこでかつぎ出されてきたのが「幸福」ですが、この漢字には西欧語にあった時間の感覚がふくまれていません。「幸」も「福」も大変に古くからある言葉ですが、どちらもなかなか怪しい雰囲気を持った言葉です。たとえば「福の神」とされるのは、妙ににこにこしている大黒様だったり、「ボヌール」のような合理的な感じがなかなかしません。ましてや「幸」にいたっては、きわめつきの古代語です。西欧語に当たる単語がうまく見つからないときには、明治時代の翻訳者は仏教語のプールのなかから借り出してくれば、たいがいうまくいったのですが、この場合はそれができなかったようなのです。仏教があんまり「幸福」を重要視しなかったものですから。<o:p></o:p>

 

河合 でしょうねえ、日本の古代は「海幸」「山幸」ですからね。<o:p></o:p>

 

中沢 そのとおりです。「幸」という言葉は大変に古くからあったもので、「幸弓」とか、大体狩猟に関わっているようです。「海幸」「山幸」とか。古代語では「さ」という音は「境目」や「境界」をあらわしています。これに対して「ち」は「霊力」をあらわしていますから、「境界の領域に渦巻いている霊力をうまくコントロールすると、獲物を得られる」という意味ですね。ですから、縄文時代以来の狩猟生活のなかから生まれてきた言葉なのだと思います。<o:p></o:p>

 

河合 それは納得のいく解釈ですね。<o:p></o:p>

 

中沢 森や山の神に気に入られていると、この「さち」を得ることができて、獲物を手に入れることができるから、豊かに暮らすことができる。そこから「幸」という意味が生まれたんでしょう。<o:p></o:p>

 

 「福」の場合には、折口信夫などの言う「常世」の考え方が関係しているかもしれません。海の彼方にあるという他界、古代日本人が考え出した「常世」は、オーストラリア先住民アボリジニなどの言う「ドリームタイム」によく似た概念で、そこには長い寿命、つきることのない豊かな富、無尽蔵の生命があふれているのです。そういう空間とつながっているのが「福神」です。だからどこか不気味なところがあります。やたらと過剰であるのが、この神様ですからね。そういう「幸」と「福」がくっついて、「幸福」になった。まったく古代的な現世肯定的な生活感覚のあふれた言葉なんですね。ですからもともとこんな言葉が仏教で使われるはずがないというわけです。<o:p></o:p>

 

河合 うん、仏教はもともとそんな人間生活の実利的なことを考えていませんから、それはあるはずないんだ。<o:p></o:p>

 

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