玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

ケヤキに想う 高槻成紀

2023-09-03 06:26:14 | 意見・エッセー
ケヤキに想う 2021.2/12

高槻成紀

 いま小金井の玉川上水は樹木がことごとく伐採され、殺伐とした景観が広がっています。これはサクラを育てるためには他の樹木が邪魔になるからだという考えに基づいています。確かに桜の周りにサクラよりも背の高い木があって光を奪えばサクラの育ちは悪くなりますから、そういう木を伐ることでサクラの育ちを良くしようという考え方は、小金井市が桜復活を謳う以上、認められるものだと思います。
 この考えの元になっていると思われるのは柚木英恵氏の「名勝小金井(サクラ)の現状と保護に関する研究(2009)」という論文のようです。この卒業研究を指導したのが亀山章氏で、「桜推進」に強い影響力を持ってきました。柚木論文の要点は上述のようにサクラ以外の樹木は伐採すべきということにありますが、その中でもケヤキに特定しています。私は論文の内容というよりも、基本的な植物に対する姿勢としてこの論文のことを考えてみたいと思います。
 ある植物を育てるために他の植物を除去すると言うのは、農業的、あるいは園芸的な発想です。そこには人間中心の考えがあり、自分たちに役立つものとそうでないものを峻別する価値観があります。農業は食糧生産ですから畑の雑草を除去します。園芸も同様です。では玉川上水の植物はどうでしょう。サクラは日本人の好む植物の代表です。もちろん私も好きです。ではケヤキは雑草のように排除すべきか。

ケヤキという木
 私は自分の名前の苗字が高槻で、「槻」はケヤキの大樹ですから、ケヤキが雑草扱いされると聞けばいい気はしません。それは私的な言いがかりのようなことですが、それを抜きにしても「欅」と言う字は木ヘンに手を挙げるの「挙」で、確かにケヤキの枝は美しい弧を描いて空に枝を拡げ、手を挙げているようです。


 私は小平霊園の近くに住んでいるのでよく散歩に行きますが、ケヤキの木は新緑も綺麗だし、紅葉も一本一本の色づきが違い、ほとんど黄色のものからほとんど赤のものまで、また褐色の様々な色調のものがあり、並木だと並木全体がシンフォニーを奏でるようです。

 ケヤキは学名をZelkova serrata(ゼルコーヴァ・セルラータ)と言います。ゼルコーヴァはゼルコフという植物学者の名前、セルラータは鋸のことで、英語ではserrateは動詞で、serratedが鋸のようにギザギザしたと言う意味です。確かにケヤキの葉の縁には粗いギザギザがあります。ある時イギリスの動物学者が来日して津田塾大学でタヌキの調査を紹介しました。その時にケヤキの幹を見て「この木はなんだ、樹皮が鱗のようにはげている、こんな木はヨーロッパにはない」と目を丸くしていました。欅の幹は若いうちは滑らかですが、直径が50 cmくらいになると、鱗状にはげていきます。その模様と色合いがえも言われぬリズム感があります。これはどうやら珍しいことのようです。


 思えば関東地方の広い範囲で街路樹として植えられているのはケヤキです。その意味では、名前は知らなくてもケヤキの姿は多くの人の網膜に焼き付いているはずです。
 というわけで、ケヤキは実にいい木であり、サクラを大切にすることを認めるにしても、ケヤキを雑草扱いにするのは違うのではないかという思いが残ります。

生き物に対する姿勢
 私の周辺の植物生態学者は、さまざまな植物の多様な生き方に感動を覚えながら、そのことを調査しています。雑草がなぜたくましく生きるかを調べている友人がいれば、土の中に眠っている種子の巧みな生き方を調べている友人もいます。私自身もシカとの関係でブナ林の更新や、シバとススキの関係などを調べてきました。特に珍しい植物とか、希少種というわけではありません。
 私が知る森林生態学の研究者は、森林に多様な種があり、常に動的に変化していることを明らかにしています。例えば台風などで林冠(キャノピー)に隙間(ギャップ)ができると、その下に生えていた若木が伸びてその隙間を埋めるのですが、同時に倒れた木が腐る時、周りにあった樹木の芽生えがその幹から芽生えることが知られていて、その木を「ナース・ツリー」(看護婦さんのような木)と言うそうです。これは客観的事実ですが、ネーミングに愛情が感じられます。
 そして生態学者が異口同音に語るのは「みんな一生懸命生きていて、そのことが明らかになるのは嬉しいよね」ということです。決してある植物は邪魔で、排除すべきという考えにはなりません。世間では自然科学者は良くいえば冷静、厳しくいえば冷徹で血も涙もないように思われている節がありますが、私は全く違うと思います。湯川秀樹博士の人生の後半は地球と人類に対する愛に満ちたものでした。寺田寅彦も同様です。物理学者でさえそうなのですから、生物学者は間違いなく生き物への愛を原点とし、そこから未知の事実や原理を解明しようとしています。その手続きとして客観的事実が不可欠ですから、徹底的に調べるわけです。その点、ケヤキをサクラの敵とみなし、伐採すべしと主張する姿勢に私は強い違和感を覚えます。

玉川上水の自然
 小金井の桜についてはさまざまな意見があります。桜を守り、他の木は伐採すべしという人もいれば、他の木も共存させるべきだという人もいます。玉川上水全体の樹木管理についても倒木の心配もあれば、管理主体が複雑であること、玉川上水に求めるものが人によって違うこともあり、一筋縄には行きません。
 私自身は玉川上水が全体として多様な動植物が暮らせる空間であって欲しいて願っています。危険木の伐採も、草原の植物の育成を促すための部分的伐採もあってよいと思います。
 ただ、一つだけ譲りたくないのは、すべての動植物に対していたわりや敬意を忘れたくないということです。それが、半世紀以上動植物に向き合ってきてようやくたどり着いたことかもしれません。
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