韓国文化遺産研究院は22日、安城竹山面長院里(안성 죽산면 장원리)一帯を調査した結果、横穴式石室墳(횡혈식 석실분)3基をはじめとして、三国時代初期の断面がフラスコ形あるいは円筒形のくぼみ遺構や、三国時代の石槨墓、高麗・朝鮮時代土壙墓を確認したと発表した。
このうち、石室墳3基は全て漢城百済時代(BC 18~AD 475)末期に築造されたが、100~150年ほど過ぎた後に新羅人らが再利用した墓である可能性が大きいとみられる。
玄室内部土層面を確認した結果、百済系遺物が安置された床面に約10㎝ほど覆土して2次整地面を設けて、その床面に新羅系遺物が置かれていることが確認された。
石室墳3号墳では、玄室底面から百済系遺物の卵形土器3点が壊れたまま確認された一方、これより約10㎝ほど上の床面から付加口緣台付長頸壺をはじめとする新羅系土器が収集された。
これら石室墳は、丘陵の中腹にあり、玄室は両側壁面が外側に若干飛び出した方形形状で、天井はなくなっているが穹形だったとみられる。外部から墓内側に通じる羨道は半地下式であり、玄室長軸中央に連結された構造のようである。
[参考:聨合ニュース]
このうち、石室墳3基は全て漢城百済時代(BC 18~AD 475)末期に築造されたが、100~150年ほど過ぎた後に新羅人らが再利用した墓である可能性が大きいとみられる。
玄室内部土層面を確認した結果、百済系遺物が安置された床面に約10㎝ほど覆土して2次整地面を設けて、その床面に新羅系遺物が置かれていることが確認された。
石室墳3号墳では、玄室底面から百済系遺物の卵形土器3点が壊れたまま確認された一方、これより約10㎝ほど上の床面から付加口緣台付長頸壺をはじめとする新羅系土器が収集された。
これら石室墳は、丘陵の中腹にあり、玄室は両側壁面が外側に若干飛び出した方形形状で、天井はなくなっているが穹形だったとみられる。外部から墓内側に通じる羨道は半地下式であり、玄室長軸中央に連結された構造のようである。
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