歴歩

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太安万侶墓誌 銘文と同じ文字が毛筆で書かれていた

2012年10月05日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所は4日、「古事記」を編纂した奈良時代の官僚、太安万侶の墓誌(注1)に、銘文と同じ文字が銘文のすぐ左隣に毛筆で書かれていたことが三次元計測装置で分かったと発表した。
 墓誌は、名前の他、住所、死亡日など2列41文字が刻まれていた。発見当時の調査では、銘文のそれぞれ左横に、幅1mm程度の2本線が見つかったが、何かは分かっていなかった。
 今年の古事記編纂1300年に合わせて、最新のレーザー走査式三次元計測装置で墓誌を測定し、「安萬侶」など12文字の痕跡を読み取った。 毛筆を使って墨や朱墨で書いた文字の輪郭部分だけが錆、残ったとみられる。毛筆の文字痕は刻字の銘文と同じ内容で、字体も似ていた。
 古代の墓誌は、これまでに16例が見つかっているが、毛筆の文字は確認されておらず、ほかの墓誌についても詳しく調査し、誰が何のために書いたのか、調べる必要があるとしている。
 この研究成果が、6日から橿考研付属博物館(橿原市)で始まる特別展で一般公開される。

(注1)太安万侶:墓誌
 太安万侶の墓は、1979年に奈良市郊外の茶畑で見つかった。銅製の墓誌(縦約29cm、横約6cm、厚さ約1mm)が収められていた。 墓誌には、下記のように41文字が2列に刻まれていた。
 左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
  年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳
[参考:産経新聞、日経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

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