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加古川市・古大内遺跡 「賀古駅家」の門の礎石・唐居敷を発見

2009年07月18日 | Weblog
 兵庫県立考古博物館(播磨町大中)は17日、奈良、平安時代に都と太宰府を結ぶ古代山陽道沿いの中継施設「賀古駅家(かこのうまや)」跡とされる古大内遺跡(加古川市野口町古大内)で駅家表門に続く進入路を初確認し、「唐居敷(からいじき)」と呼ばれる門の礎石を発見したと発表した。唐居敷が見つかったのは同県上郡町の落地(おろち)遺跡に次ぎ全国で2例目。
 賀古駅家は奈良時代以前に整備された古代山陽道沿いに設置され、奈良、平安時代に貴族らの宿泊施設などとして利用されたという。
80m四方の築地塀で囲まれ、馬40頭がいる日本最大の駅家だったとされる。
 今回の調査では、駅家東辺の南寄りの部分を発掘。見つかった道が東辺と直交して東に延び、山陽道と直交することから進入路と判断した。この結果、賀古駅家は東辺に表門を持つ構造と判明した。
 唐居敷は、表門跡とされる場所から西約60mの大歳神社境内で発見。約70年前の同神社の社殿建築の際、表門跡から運んだとみられ、ほかの礎石20個とともに庭石に使われていた。落地遺跡の野磨駅家跡(上郡町)から出土した唐居敷よりひと回り大きいという。
 礎石は、地元で産出される竜山石(凝灰岩)。2個ともほぼ同じ大きさで、縦115~130cm、横60~85cm、厚さ40~50cm。それぞれ「軸摺穴(じくすりあな、礎石に掘り込まれた扉の軸受け穴)」と「方立穴(ほうだてあな、扉との隙間を埋めるための木材を立てる穴)」とみられる方形の穴が2つあった。間口約10m高さ約5mで、開閉式の扉2枚が付いていたと推定している。
 礎石の大きさなどの特徴から、賀古駅家が「八脚門」と呼ばれる格式の高い大きな門を備えていたとみられる。
 20日午後1時半から現地説明会があり、8月8日午後1時半~3時半、同館講堂で調査報告会が開かれる。
[参考:共同通信、神戸新聞、産経新聞]
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 賀古駅家

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