国立伽耶文化財研究所が慶南昌寧郡昌寧邑松峴洞15号墳でイヤリングをつけた1千500年前の人骨を発掘し公開したのは2007年12月20日だった。
「伽耶人復元研究」は文化財庁責任運営機関研究課題に選ばれて2008年7月に開始された。
プロジェクトは伽耶文化財研究所主管の下、国立文化財研究所保存科学研究室、カトリック医科大学カトリック応用解剖研究所、忠清文化財研究院、韓国考古科学研究所が共同研究として合流した。
復元研究過程で、殉葬者4人中唯一イヤリングを着けたまま発見された人骨は女性であり、しかも16才あるいは16.5才で亡くなったとことがわかった。また、この女性のふくらはぎと向こう脛の骨と歯の分析を通じて、ひざまずくことが多かった侍女と推定した。
108個の複製した骨で人体を組み立ててみると身長は151.5㎝となり、人体を復元した後の身長は153.3㎝であった。
伽耶文化財研究所は25日、国立故宮博物館でこの1千500年前の伽耶女性を、伽耶服装を着用し、頭は真ん中で髪を分け、右手は握手するように前に差し出し、左側1ヶ所にだけ金のイヤリングを着けた姿で公開した。
[参考:聨合ニュース]
過去のニュース
■2007.12.22昌寧・松峴洞古墳 1500年前の伽耶人の骨発掘
国立伽耶文化財研究所は20日、慶尚南道昌寧の松峴洞伽耶古墳群(注1、송현동 가야 고분군)第15号古墳で金銅冠の破片、金耳輪、金の指輪、金の玉などの豪華な装身具と馬具類、土器類などの副葬品と殉葬された4体の人骨を発掘したことを発表した。調査団は、新羅の典型的な金冠形式である「出」字模様の金銅冠彫刻と墳墓の築造形式などから、新羅の影響を大きく受けた非火伽耶の王陵級墳墓と推定した。墳墓の内部は盗掘が著しく、被葬者の人骨は残っていなかったが、殉葬された人物が埋葬された墳墓入口には骨や土器などが残っていた。このうち身長140cm程度と推定される人骨は、左耳に直径2cmの金製の耳飾りを付けていた。
22日に現地説明会が開かれた。
(注1)松峴洞古墳群
これまでに、直径が20mを超える大型古墳2基、中型古墳2基、小型石槨墓6基、祭儀と関係する埋納遺構2基、墓地造成と係わる周辺施設などが確認されている。
2004‾2006年に 6・7号墳を本格発掘調査して舟模様のクスノキ製木棺と 800点以上の遺物を発掘した。
特に金銅冠と、これまで発見された例がなかった鋸歯模様の金の指輪からみて、隣接する校洞古墳群と同様に王陵級墓と確認することができた。それだけでなく、完全な状態で残っている殉葬者1体の遺体(注2)は金耳輪(直径 2cm)を着けた状態のまま確認され、大きい注目を引いた。他に国立慶州博物館に所有されている土器の動物文様の柄が刻まれた土器の破片が高杯などの他の土器とともに出土した。
15号墳は横口式石室構造(長さ 856cm 幅 170cm 高さ 225cm)で北に横口部が出ていて、 底と天井、そして壁面まで灰漆をして内部を締め切った特徴を持っている。ただし、横口式石室に対しては竪穴式石室であるとの主張もある。
(注2)石室内部北壁で発見された殉葬者4体のうち北壁面と並んで横になった人骨は 20-30代の成人女性で身長は 135cmほどでしかなかった。
[参考:2007.12.22~23 聨合ニュース、朝鮮日報]
(注3)松峴洞の「峴」は日本のJIS第一水準漢字になく、表題などで止むを得ず「硯」を使用している場合がある。
「伽耶人復元研究」は文化財庁責任運営機関研究課題に選ばれて2008年7月に開始された。
プロジェクトは伽耶文化財研究所主管の下、国立文化財研究所保存科学研究室、カトリック医科大学カトリック応用解剖研究所、忠清文化財研究院、韓国考古科学研究所が共同研究として合流した。
復元研究過程で、殉葬者4人中唯一イヤリングを着けたまま発見された人骨は女性であり、しかも16才あるいは16.5才で亡くなったとことがわかった。また、この女性のふくらはぎと向こう脛の骨と歯の分析を通じて、ひざまずくことが多かった侍女と推定した。
108個の複製した骨で人体を組み立ててみると身長は151.5㎝となり、人体を復元した後の身長は153.3㎝であった。
伽耶文化財研究所は25日、国立故宮博物館でこの1千500年前の伽耶女性を、伽耶服装を着用し、頭は真ん中で髪を分け、右手は握手するように前に差し出し、左側1ヶ所にだけ金のイヤリングを着けた姿で公開した。
[参考:聨合ニュース]
過去のニュース
■2007.12.22昌寧・松峴洞古墳 1500年前の伽耶人の骨発掘
国立伽耶文化財研究所は20日、慶尚南道昌寧の松峴洞伽耶古墳群(注1、송현동 가야 고분군)第15号古墳で金銅冠の破片、金耳輪、金の指輪、金の玉などの豪華な装身具と馬具類、土器類などの副葬品と殉葬された4体の人骨を発掘したことを発表した。調査団は、新羅の典型的な金冠形式である「出」字模様の金銅冠彫刻と墳墓の築造形式などから、新羅の影響を大きく受けた非火伽耶の王陵級墳墓と推定した。墳墓の内部は盗掘が著しく、被葬者の人骨は残っていなかったが、殉葬された人物が埋葬された墳墓入口には骨や土器などが残っていた。このうち身長140cm程度と推定される人骨は、左耳に直径2cmの金製の耳飾りを付けていた。
22日に現地説明会が開かれた。
(注1)松峴洞古墳群
これまでに、直径が20mを超える大型古墳2基、中型古墳2基、小型石槨墓6基、祭儀と関係する埋納遺構2基、墓地造成と係わる周辺施設などが確認されている。
2004‾2006年に 6・7号墳を本格発掘調査して舟模様のクスノキ製木棺と 800点以上の遺物を発掘した。
特に金銅冠と、これまで発見された例がなかった鋸歯模様の金の指輪からみて、隣接する校洞古墳群と同様に王陵級墓と確認することができた。それだけでなく、完全な状態で残っている殉葬者1体の遺体(注2)は金耳輪(直径 2cm)を着けた状態のまま確認され、大きい注目を引いた。他に国立慶州博物館に所有されている土器の動物文様の柄が刻まれた土器の破片が高杯などの他の土器とともに出土した。
15号墳は横口式石室構造(長さ 856cm 幅 170cm 高さ 225cm)で北に横口部が出ていて、 底と天井、そして壁面まで灰漆をして内部を締め切った特徴を持っている。ただし、横口式石室に対しては竪穴式石室であるとの主張もある。
(注2)石室内部北壁で発見された殉葬者4体のうち北壁面と並んで横になった人骨は 20-30代の成人女性で身長は 135cmほどでしかなかった。
[参考:2007.12.22~23 聨合ニュース、朝鮮日報]
(注3)松峴洞の「峴」は日本のJIS第一水準漢字になく、表題などで止むを得ず「硯」を使用している場合がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます