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奈良市・西大寺旧境内 8世紀後半のイスラム陶器の壺片が出土

2009年07月03日 | Weblog
 奈良市埋蔵文化財調査センターが3日、奈良時代に平城京内建てられた西大寺の旧境内(同市西大寺新田町)で、西アジアから伝わった「イスラム陶器」の壺とみられる破片が見つかったと発表した。
 住宅建設に伴い、4月から調査。旧境内西南の民家の敷地の溝の跡(幅約7m、深さ1・5~2m)から、土器などと共に破片19点が見つかった。
 「青緑釉大壺」と呼ばれる壺の破片には、外面は半透明の青緑色、内面は暗緑色か暗緑黒色の釉薬が厚く塗られ、壺の肩の部分には波状の文様がある。壺の底部と胴部で、最大縦約7cm、横約12cm、厚さ約1cm、復元すると高さは50cm以上になるとみられる。
 「神護景雲二年三月五日」(768年)と書かれた木簡と同じ層から出土しており、8世紀後半の陶器とみられる。 
 イスラム陶器は鴻臚館跡(福岡市)、大宰府跡(太宰府市)などで9世紀以降のものが見つかっているが、それより古く、平城京では初出土。正倉院に収められた宝物には、西アジアのデザインや技法の影響を受けた工芸品が多数残るが、ほとんどが中国製か国産で、西アジア製とわかるのはガラス器の「白瑠璃碗(はくりるのわん)」など数点だけ。
 釉薬や材料の土は、鴻臚館跡で出土したイスラム陶器片と一致した。
 大型の壺は重く、割れやすいことから、陸路ではなく海路を運ばれた可能性が高い。「海のシルクロード」と呼ばれる海上ルートで中国を経て遣唐使船か民間貿易で中国から運ばれたのだろう。イスラム陶器の生産や海上交易を考える上で貴重な発見としている。
 陶器片は6~31日に奈良市埋蔵文化財調査センター(奈良市大安寺西2)ロビー、8月10~31日に同市役所で展示される。
 見つかったイスラム陶器の壺は、油や香料を運ぶ容器として西アジアで広く使われていた。西アジアで作られていたナツメヤシを使った甘いジャム、あるいは化粧水などとして使われるバラ水が入っていたのかも。

◆イスラム陶器◆
 ササン朝ペルシャ(3~7世紀)で作られた陶器の流れをくみ、現在のイラクを含むアッバース朝(イスラム帝国、750年成立)の領土内で焼かれた軟質の陶器。8世紀頃に生産が始まったとされ、現代も生産が続いている。
 
◆西大寺◆
 西大寺は764年に称徳天皇が発願し、造営は翌年から開始し780年頃まで続けられた。
[参考:共同通信、時事通信、毎日新聞、読売新聞]

西大寺跡からイスラム陶器=8世紀後半、国内最古-海上交易知る手掛かりに・奈良(時事通信) - goo ニュース
国内最古のイスラム陶器出土 海のシルクロードで輸入か(共同通信) - goo ニュース
国内最古イスラム陶器片、西大寺旧境内で出土(読売新聞) - goo ニュース



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