歴歩

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霊岩郡・王仁祭り 110万人が訪れる 

2014年04月10日 | 韓国の遺跡・古墳など
 2014.4.8の聨合ニュースで、全南霊岩郡郡西面一帯の100里の桜並木で開かれた「霊岩・王仁文化祭り」(4月4~7日)が桜を楽しもうとする観光客や住民など110万人が訪れて、大盛況で終えたと報道した。
 郡民創作街頭演劇「王仁博士日本へ行く」をはじめ、マダン(庭)劇、フェスティバル、「王仁学灯点灯式」など様々な文化行事が開催された。
 「湖南の小金剛」と呼ばれる全南霊岩月出山の麓では、毎年4月になると周囲100里(約40km)(注1)の道に桜が咲く。霊岩郡鳩林里の道岬寺(注2)と王仁博士遺跡地(注3)を通って犢川里に至る15kmほどの区間である。桜並木の始まる鳩林村は、月出山の麓で最も歴史が深い。ここでは、古代からの現在まで韓•中•日の交易の中心地となった歴史的な故地で、1600年前の百済時代の王仁博士と道岬寺を創建した道詵国師(827∼898)(注4)が生まれた町である。

(注1) 日本での1里は4kmであるが、韓国での1里は0.4km
(注2) 月出山道岬寺(도갑사) 全南霊岩郡郡西面道岬里8番地
新羅末の道詵国師が建てたとされ、高麗後期に大きく発展したと伝えられている。旧は文殊寺という寺があり、国師が幼い時期を過ごしたところだが、道詵が中国から返って来た後、この文殊寺跡に道岬寺を建てたという。その後、朝鮮成宗4年(1473)に再建し、朝鮮戦争の時に大部分の建物が焼けてしまったものを新しく建て直して今日に至っている。
(注3) 王仁博士遺跡地は鳩林村の東にあり、王仁が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所である。王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成る。王仁博士は百済人として応神天皇の招聘により、日本に渡り典籍を教えたとされている。日本書紀では王仁、古事記では和邇吉師と記されている。
(注4) 第42代興徳王2年(827)に道詵は生まれた。早くに出家して九山禅門の一つである桐裏山禅法門を継承した。彼は唐の南宗禅の祖師である六祖・慧能大師(638-713)の法孫・馬祖と道一から法を受けた西堂の智蔵から禅法を学び、中国南宗禅を会得した。彼の法名は道詵、諡号は了空禅師である。後に光陽郡の白鶏山玉龍寺に長く居たため玉龍子と呼ばれたりもした。彼が高麗太祖の建国と後三国統一を予見し、大きい助力を与えたとされ、大禅師、王師、先覚国師を追封された。
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