紙屋さんブログ

土佐の自然を愛する親父です。

此の一週間、曇り空と小雨続きで雑草が元気よすぎるのです

2016年07月26日 17時23分15秒 | 日記
 今日は薄曇りから弱い晴れもようでしたので、急遽、庭の雑草退治で除草剤を散布しました。此の一週間、曇り空と小雨続きで雑草が元気よすぎるのです。昨日は黒豆を植える庭の畑の肥料やりや、整備で、畑の雑草は片付くて有るのです。かみさんは老人会のお歌の練習で留守・・・私は車で7km奥の同級生のスーパに「オカラの炊き込み」(火曜だけ)を買いに行き、美味しそうな自家製の「じゃこテン」も買いました。写真は、土佐ロイヤルの早朝です。隣は土佐カントリーと、黒潮カントリーのゴルフ場です・・・朝6時半からチェックアウトのゴルフ組客達がフロントで行列してました。

  私も、ゴルフ付きで「宮崎・シーガイヤ」(朝食付き2名・ツイン2万5千円前後)や、「指宿・いわさきホテル」(朝食付きツイン2名・2万円台)等に数回行っていますが・・・・2回程宿泊した事が有る鹿児島市内・桜島等展望の良い、100m小山の上の「城山観光」運営の「城山観光ホテル」です。
 此のホテルの施設やサービスを利用者の目線で改善・向上のために、社外の経営者らでつくる委員会を立ち上げたそうです。(2カ月に1度)
 「ないでんかいでん委員会」は岩元則之・さつま無双会長や島津忠裕・島津興業社長ら6人の委員で、このうち「4人が女性」とは・・・。良くなるでしょうね・・・展望露天温泉「さつま乃湯」も良かったし、もう一度泊まってみたい良いホテルです。(朝食付きツイン2名・3万円台・・・夕食は下の商店街へタクシーで降りて地元料理が良い)

  昔、高知市内「200カ所」以上あった銭湯が、今は「6カ所」(水質検査や設備修理に補助金有り)まで減ったそうです。県内ではほかに、四万十市と土佐清水市に1カ所ずつあるだけです。・・・それでも、「なんとか高知に銭湯文化を残したい」と各経営者は頑張っているそうです。
 わたしの高知大学・苦学生時代「三助」(しまい風呂の23時頃の湯船の清掃・番台の手伝い、裏の木材ボイラー炊き)をしながら下宿させてもらっていた・・・高知市桜馬場「清水湯」ですが・・・。常連客が居て湯船で世間話に花を咲かせ・・・「湯の中では肩書に関係なく地域や社会の話をする。体も洗うけど、同時に心も洗ってます」と、いっているそうです
1964年創業・高知市小津町の「城下湯」・・・番台の森沢林平さん(82)は、「1970年代までは1日に500人が来よった」、今では60人ほどだとか・・・。(此の清水湯や、城下湯は直ぐ近くに、旧制高等師範の「南溟寮」(終戦後の高知大学)が有りました・・・2年後、私も奨学金を受け、家庭教師をしながら此の寮で「バンカラ」学生生活でしたが・・・)
 
 続、私の昔話・・・高大卒業後,紙会社の工場長だった叔父の紹介で大阪中央区(船場近く)の紙代理店に就職しましたが、2年後大学の恩師が市内の有名私立高校に就職先を決めてくれました。・・・会社を止めて高知に帰ると云った所が、和歌山高商出身の常務(後の社長)が「ハヤ0よ、石の上にも3年というんじゃー」・・・なにを気に入ってもらったのか?懐に入れたかったのか(後社長の未亡人に恩返しできました)?(先輩部長に共産党とあだ名された反骨青年?無遅刻・無欠勤)経理1年では残業は毎晩夜中10時頃まで一人で(珠算が不得手)・・・後,1年店頭営業、そして営業へ・・・。先輩は得意先くれず、紙商組合の名簿を頂き!自分での問屋や、主に「直需」先の新規開拓のみ・・・)、常務の「骨を拾うから思いっきりやってみよ・・・」で、38歳で(6人抜き)取締役・営業部長にまで上げてもらいました(食事時は先輩に敬意を払い、“上座”には絶対に座らなかったです)。
 当時会社では、生玉様・天神さんのお祭りの日では「半ドン」でした・・・25日大阪の夏の風物詩「天神祭」は本宮、夕方から「船渡御(ふなとぎょ)」があり、約5千発の奉納花火が夜空に打ち上げられたそうです。