テトキチワールド

 松山在住のテトキチの食べたり、旅したりの記録。ときどき、シャム社長のおともをします。

駆け込み尾道行~尾道ラーメンとIWGPベルト

2010-04-14 09:25:20 | 国内旅行ー中国
 小沢幹事長の足をひっぱる人というイメージしかない仙石由人さんですが、本四連絡橋上限3000円の新料金には噛みついていたようです。それはともかく、シャム社長は、意地でも1000円のうちに、橋を渡りたいと考えました。そこでお供を。



 いった先は対岸の尾道。放浪の女流作家・林芙美子像。左手の格好が、なんか「放浪者」らしくなくてヘンです。



 尾道の観光名所といえば「朱華園」。



 案の定、開店前から行列です。



 きょうは何軒も回るわけではないからと、餃子(460円)も頼んでみました。かなりニンニクのきいた餃子でした。



 そして中華そば(550円)。濃口の醤油スープに、コシのある平麺です。大粒の背脂ミンチがいいですね。



 こちらはチャーシューメン(770円)。薄切り大判のチャーシューが増量されます。チャーシューメンにはレンゲがつくのが面白いですね。「差別化」というやつでしょうか。相席になった不倫風の年の離れたカップルでは、「レンゲがない」というお姉さんに、オッサンの方が「丼ごとぐぐっと飲むんだよお」などといっていました。しかし、2人とも、背脂ミンチもスープもほとんど残していました。次に来る機会があったら、焼きそばも頼んでみたいところです。



 商店街を歩いてみると、シャム社長がIWGP世界ヘビー級のチャンピオンベルトを発見しました。猪木が「宝石をちりばめて、ベルト自体に価値をもたせた」といっていた代物ですね。ベルトが飾ってあった建物は閉まっていたので、なにゆえこのベルトがここに展示されているのか、さっぱりわかりませんでした。



 尾道ラーメンのみやげものは何種類もあります。前に尾道にきたとき、「朱華園」のお持ち帰り用ラーメンを注文したら、熱々のスープをビニール袋に入れて渡されました。自動車の中がラーメンスープのにおいで充満して帰ることになってしまいました。「お持ち帰り用」で「おみやげ用」ではなかったんですね。今回は、なぜか本屋さんの店先で売っていた「幻の元祖尾道ラーメン」を購入してみました。もちろん、本屋さんのレジで買います。



 もう一軒、尾道バイパス入口近くにある「味龍」にいってみました。前回は、移転情報を知らずに、前のお店があった場所周辺をぐるぐる探索して、結局見つからずじまいだったお店です。郊外型の店舗なので、広い駐車場があります。



 2人とも味龍ラーメ(504円)を注文しました。麺は平麺ではなく細めの縮れ麺です。自家製麺を謳っていました。スープは、「朱華園」とくらべると薄い感じがしますが、魚介出汁の入った複雑な味わいです。背脂ミンチは小粒ですね。



 お腹も太ったので(伊予弁)、桜の名所・千光寺公園にいってみました。花見ができる最後の週末ということで、臨時駐車場が開設されるにぎわいでした。尾道市美術館では、恵比寿の山種美術館所蔵の日本画の展覧会が開かれていたので、入ってみました。さすがに栖鳳の「斑猫」や御舟の「炎舞」などの大物は来ていませんでした。それにしても、個人で重文を含むコレクションを築いたのですから、すごいものです。



 美術館を出てみると、雨が降り出していました。花見客もひきあげていました。花見がてら、坂の街を散策してみたかったところですが、われわれも尻尾をまいて帰ることに。



 これで、今年の桜も終わりですね。

山陰周遊⑧(食べもの)

2009-11-10 09:02:41 | 国内旅行ー中国
 今回の山陰旅行で食べたもののなかから。まず、出雲名物の出雲そばです。店の正面に「献上そば 羽根屋」とあります。なんでも大正天皇だかに、献上したそばだとか。出雲市内にある有名店です。 



 注文したのは、よく出るようである三色そば(840円)。たぬき、山菜、とろろの3種類の味がたのしめます。たしかにコシのあるそばでした。



 津和野駅の改札口をでて右手にいったところにあった「あおき」というエビフライとかも出すお寿司屋さん。田舎だと、なんでもありになっていくのでしょう。とにかく、午後7時で街中真っ暗だったので、開いていたよかったという感じで入りました。店内にはけっこうお客さんが入っていました。そこで頼んだ刺身定食です(2100円)。



 この定食についていた「いも煮」が、津和野の郷土料理なのだそうです。柑橘類が浮いていますが、ゆずの味がしっかりと出汁に出ていて、初めての味でした。



 翌日の昼。これも津和野の郷土料理うずめ飯(1200円)。「ふるさと」というお店で食べました。出汁をはったご飯の下に具が埋められているので、うずめ飯というわけです。「かきまぜてたべてください」とのことでした。



 いわれたとおりかき混ぜると、細かく刻んだ豆腐や山菜が現れます。正直、うずめて隠すほどのものかとは思いました。出汁は、これまたゆずが強くきいていて、二日酔いの朝などには、かなりよさそうなお味でした。



 山口市では、ガイドブックにも載っていた「昭ちゃんの店」。国の重文指定も受けていて、山口市内の観光名所の一つである八坂神社の前にあるので、ついでに立ち寄れます。



 上が名物のコロッケ、下の角ばっているのがメンチカツです(どちらも100円)。どちらも濃厚な味わいで、たしかにおいしいです。ややつくり置きしてあったので、衣のサクサク感が失われ加減でした。出来たてだったら、そうとうのものでしょう。



 山口市の中心部は、宿泊施設もろくにないのですが、飲食店もあまりみあたりません。そんななかで飛び込んだ「春来軒」。



 名物とあったバリソバ(750円)。偶然入った店だったのですが、実はこのお店、何度もマスコミからの取材を受けている有名店で、バリソバは山口のB級グルメだということを、後から知りました。中華麺をいったん油で揚げたものの上に、鶏がらベースのあんがかかります。これで1人前かと思うほどの量がありました。固焼きそばと異なり、食べているうちに麺があんを吸うと、ふつうのつるつるの中華麺に変わっていきます。ぱりぱりの食感とつるつるの食感を、両方味わえるのがバリソバなのだそうです。このお店にいきあたって、よかったです。



 やっと三津浜港に帰ってきました。



 三津浜港上陸。ここも、また寂しげな場所です。「真中」で味噌つけめん(820円)を食べて帰ることに。麺の量を増やしても値段は一緒なので、最大の500gを注文。けっこう苦しくなるかと思いきや、ふつうに食べられました。ほんとうに500gあるのかあ?



 さて、今回感じたこと。郷土料理といっても、海辺だとエビやら、カニやら、刺身やら、ということになって豪勢な感じがします。ところが山間に行くと、山菜やら、きのこやら、漬物やら、ということになって、どうしてもわびしい感じは否めません。まあ、1950年代まで、日本の農村地帯はろくなものを食べてなかったのだから、しかたがありませんね。現代に生まれて、よかったです。




山陰周遊⑦(柳井)

2009-11-09 09:24:21 | 国内旅行ー中国
 山陰旅行も最終日。このなんの装飾もない建物は山口県立美術館です。香月泰男のシベリアシリーズのコレクションをもっているので、行ってみました。館内はがらんとしていました。切符を買おうとしたら、「常設展は通常300円ですが、教育文化週間(とかなんとかいったと思います)なので、無料で観覧できます」とのこと。なんか得した感じ。常設展示場は、愛媛県立美術館よりも狭く、3部屋だけです。1部屋がシベリアシリーズ、もう1部屋が重文を含む雪舟関連の展示でした。最後の1部屋は抽象彫刻で、「トルソ」という名の得体のしれない木彫りが何体もおいてありました。



 山口市の商店街は、通路に服をおいて販売していいのかと思ったら、ジーンズのデザインコンクールが開催中でした。商店街も、いろいろ知恵を絞っているようです。



 さて、松山行きのフェリーがでている柳井めざして出発です。その柳井方面へ向かう列車の反対方向に、津和野行きの蒸気機関車が入線してきました。客車はお客さんでいっぱいでした。


 
 柳井駅から伝建地区に至る道路は、商店とオフィスビルが混じるなんの変哲もない道です。しかし、電線が地中化されて、歩道も整備されていました。



 この道路につけられた名前が「麗都路通り」。はあ~、なんのこっちゃ。「レトロ通り」だけでもおかしいのに、暴走族かぼったくりスナックみたいな当て字にてのご命名です。これがおしゃれだと勘違いしているのが、田舎の人の感覚なんですよねえ。



 町並み資料館です。



 2階は、流行歌手の松島詩子さんの記念館になっていました。テトキチは全く知らない人ですが、なんでも紅白歌合戦に第1回から連続10回以上出場したとありましたから、そうとう活躍された方なのでしょう。レコード大賞の特別賞も受賞しています。レコード大賞の受賞の楯を見たのは、初めてです。



 こちらが伝建地区に指定されている白壁の街並みです。



 このような石組みの排水路が現役で残っているのは、珍しいとのことでした。



 再び「麗都路通り」を歩いて駅までもどりました。途中、このようなヘンテコリンな郵便ポストを発見。「麗都路」な街並みにあうように特別に製作したそうです。このポストを使用しても、投函先に郵便物は届けられます、とわざわざ断り書きが書かれていました。ちなみに「麗都路通り」は、前に述べたとおり、単なるさびれた駅前通りで、街並みにあうもあわないもないような街路です。



 駅前の郵便ポストは、全国各地で氾濫するマヌケな置物つき。柳井では、柳井の伝統的なおみやげものの金魚ちょうちんが乗っていました。



 このあと、柳井港から三津浜港行きのフェリーに乗り、帰ってきました。毎日、けっこう歩き回ってくたびれましたが、たまには国内旅行もいいものですね。「鉄っちゃん」のように、連日、鉄道に乗ったのもひさしぶりでした。

山陰周遊⑥(山口)

2009-11-08 06:51:00 | 国内旅行ー中国
 午後、津和野から山口へ。山口駅は県庁所在地の駅なのにこじんまりしています。その上、駅周辺のホテルがネットでみつかりませんでした。というわけで、駅2階の観光案内所へ。聞くと、1軒だけホテルがあるといいます。「観光案内所を通すと千円割引になるから、空き室があるか、聞いてみましょうか」とのこと。イギリスでは、観光案内所を通したら手数料をとられたのですが、山口では割引になるので、稲成神社の狐につままれたかのようです。



 市の真ん中を走る道路です。電線が地中化されてすっきりしていて、歩道が広くとられ、並木が美しく、まるでヨーロッパの道路のようです。しかも、湾曲していたりするところがいいですね。日本道路百選に選ばれるのもわかる気がします。松山にもこんな道があればいいのだけど。この道路の名前が「パークロード」です。とたんに力がぬけました。もう少しましな名称をつけられないのでしょうか。東京の渋谷に「公園通り」という名前の道がありますが、こちらの方がずっといいでしょう。田舎の人の感覚というのは、ちょっと、と思うことが多々あります。



 ザビエル記念聖堂。



 ザビエル像です。井戸端で説教したという故事のとおり、傍らに井戸がつくられています。



 愛媛県の県庁も立派な建物が今日に残っています。山口県の場合、機能的な新庁舎を建て、かつての庁舎は県政資料室として使用していました。



 こちらも資料室になっている旧県会議事堂です。休館日だったため、なかは見れませんでした。



 山口市内観光の目玉・瑠璃光寺五重塔です。国宝に指定されています。



 こちらはザビエル記念碑。ここには、観光客は一人もいませんでした。



 市内を1周してくたびれたのでベンチで休んでいると、「何しているの。一緒に遊ぼ」と近寄ってきたガキ1匹、ではなくて僕ちゃん1人。この頃は、子どもとなんて遊んでいたら、すぐさま不審者扱いされるので、丁重にお断りし、這這の体で逃げ出しました。




 最後に、大内氏の館跡に建てられた龍福寺へ。ガチョ~ン、修復中でした。出雲大社本殿につづき、最後にこれかよ。



 こうして、観光案内所でとってもらったホテルに向かいました。山口では、ビジネスホテルは新幹線の通る新山口駅周辺に、旅館は近くの湯田温泉に立地しているようです。そのため、山口駅周辺は宿泊施設の空白地帯になってしまっているようなのです。しかし、観光名所は山口駅近くに固まっています。ふつうの人は、観光後、湯田温泉にてご宿泊とするのかな。


山陰周遊⑤(津和野)

2009-11-07 09:59:23 | 国内旅行ー中国
 第4日目。朝8時に宿を出て、津和野を散策しました。駅前の交番には、津和野の象徴・鷺があしらわれています。警察官が「おはようございます」と挨拶してきたのにはびっくりしました。警官が挨拶してくると、たいていは「ちょっと自転車見せてもらっていいですか」てな具合につづくのでありまして、要するに職務質問の導入にすぎません。津和野の場合は、純粋の挨拶だったので驚いたのです。



 おそらく、街全体に、観光客に好印象をもって帰ってもらおうという意識が浸透しているのでしょう。その津和野の警察署です。瓦葺で周囲の景観に合うような外観につくられています。森鴎外の作品にちなんだという安寿と厨子王の記念撮影用顔出しパネルが置かれているのが、牧歌的といおうか、マヌケといおうか…。



 津和野でも、駅前から電線地中化が行われており、すっきりした街並みです。



 駅前商店街(というほどのものでもないのですが)をぬけていくと、昔の街並みが現れます。



 水路には鯉が。この鯉は、かなり大きかったです。



 津和野の伝統行事・鷺舞の銅像。この鷺舞をかたどった置物を購入しようと思ったのですが、つくっていた人が亡くなったとのことで、もうないのだそうです。後継者がいなかったということなのでしょうね。残念です。



 自称「日本五大稲荷」の一つ・太鼓谷稲成神社への道です。奉納された鳥居の列の中を行きます。この神社だけ、「稲荷」ではなく「稲成」と表記するのだそうです。



 坂道を登ったところに、神社は現れます。



 津和野が生んだ文豪・森鴎外の旧居です。



 こちらは、永明寺にある森鴎外のお墓です。



 萩・津和野といえば、70年代のアンノン族がくりだした代表的な街です。テトキチもディスカバー・ジャパンしてしまいました。しかし、今回見た限り、若いOL風の観光客はほとんどみかけませんでした。むしろ、かつてのアンノン族とその旦那、という感じの初老の夫婦をよくみかけました。昔の風情ある街並みを訪ねるなんていうのは、今の若い女性には流行らないんでしょうか。