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file016 Harmon KILLEBREW 【ハーモン・キルブリュー】

2005-08-02 | JKL
【キラー】
Harmon KILLEBREW

ハーモン・キルブリューは
1954年、当時としては破格の
30000ドルという契約金で
セネターズに入団した。

マイナーを経ずにメジャーデビューするが、
全く打てず、以後は苦しむ事になるが
1959年、いきなり42本の本塁打を放ち、
本塁打王を獲得、三塁手のレギュラーに定着する。

以後、苦手な守備では
三塁/一塁/左翼とコンバートを繰り返すも打棒は絶好調、
61年、46本塁打、122打点の好成績を残すと、
62年には、48本塁打、126打点で2冠王に輝く。
63年、45本塁打.....64年、49本塁打で3年連続のホームラン王、
オールスターの常連になった。

1965年はワールドシリーズの舞台も体験するが
サンディー・コーファックスを擁する
ドジャースの前に3勝4敗で敗れている。

66年から71年の6年間は、怪我で
シーズンの後半を棒にふった68年以外、
全ての年で100打点以上をマーク。
67年、44本塁打、113打点で5度目の本塁打王に輝くと、
69年も、打率.276、49本塁打、140打点で、
二冠王と、シーズンMVPに輝く大活躍を見せ、
チームを地区優勝に導いた。

72年から、その打棒に衰えが見え始め、
75年、ロイヤルズでそのキャリアを終えた。

キルブリューが活躍した60年代、
ナショナル・リーグはブラック・パワーが席巻、
ウィリー・メイズ/オーランド・セペダ
/ハンク・アーロン/ウィリー・マッコビーらが
凌ぎを削って本塁打を量産した。
60年代に本塁打王に輝いた白人は、
ナショナル・リーグにおいては皆無である。
逆に黒人選手の門戸開放が遅れたアメリカン・リーグは
キルブリューとフランク・ハワードを中心に
白人が本塁打王をほぼ独占していた。

3割を打つ事は無かったが、
40本塁打8回、100打点9回........
相手投手からは“キラー”と恐れられた。

通算本塁打573本を放ち1984年には
殿堂入りを果たしたキルブリューも、
引退後は破産や離婚を経験、
私生活では“キラー”ぶりは発揮できなかった???

ちなみに現在のMLBロゴのシルエットは
キルブリューがモデルだという説がある。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=killebrew