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file017 Maury WILLS 【モーリー・ウィルス】

2005-08-03 | VWX
【ドジャース戦法の要】
Maury WILLS

60年代、3度のリーグ優勝と、
2度のワールド・チャンピオンに輝いたドジャース。
投の要は間違い無く、ドン・ドライスデールと
サンディ・コーファックスの2人だが、
打の要はモーリー・ウィルスであろう。

メジャー2年目の60年、打率.295、50盗塁で
チームのリードオフマンに定着。
62年には打率.299、104盗塁の大活躍でシーズンMVPを獲得、
ドジャースのみならず、リーグを代表する選手となる。

65年は、打率.286で94盗塁を決め、本塁打0ながら
MVP投票では3位にランクされた。
チームは、ワールドシリーズを制覇し、
ウィルス自身もシリーズは絶好調、打率.367、3盗塁と
大活躍であった。

当時のドジャースには圧倒的な長距離打者が不在で、
ウィルスや、ウィリー・デービスら、
俊足好打の打者が出塁し、塁上をかきまわし、
ようやくもぎ取った最少得点を、
ドライスデールや、コーファックスといった投手陣が守り抜く...
というような機動力野球を展開していた。
そんな中、ウィルスは結局、60年から65年にかけて
6度の盗塁王に輝き、打線を牽引した。
ドジャースの打線はウイルスを中心に繋がっていたのである。
このドジャースの戦い方は「ドジャース戦法」と呼ばれ、
牧野 茂によってV9時代の読売ジャイアンツに導入された。
そしてウィルスは、こうした組織野球戦術には
欠かせない選手だったのである。

67年にパイレーツに移籍、68年には52盗塁を決めるなど
スピードに衰えは見られず、その後、エクスポズを経て
1972年、古巣ドジャースで現役を退いた。

80年、マリナーズの監督に就任したウィルスだったが、
こちらの分野では全く振るわず、
81年途中で解雇の憂き目にあっている。
また、息子のバンプもレンジャーズなどで6年間に渡りメジャーで活躍、
通算196盗塁を記録し、父親譲りの俊足を披露した。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=124371