【1950】
Walt DROPO
NBA、NFLのチームからも契約の打診があったという、
スポーツの才能に恵まれたドローポは、
1947年、レッドソックスと契約を交わした。
49年に一塁手としてメジャーデビューを飾り、11試合に出場、
打率.146に終わったが、
翌50年、打率.322、34本塁打、144打点と大爆発。
ルーキーにしてオールスター出場を果たし、打点王に新人王も獲得。
チームメイトのテッド・ウィリアムスと並ぶ、主力打者として、
おおいに期待を抱かせる、ド派手な活躍ぶりを見せた。
が、51年、打率.239、11本塁打、
これまたド派手に成績を落とすと
52年、シーズン途中、タイガースへリリースされてしまった。
この年、新天地では、打率.279、23本塁打、70打点をマークし
元新人王の面目を保ったが、
53年は打率.248、13本塁打、96打点。
勝負強さは発揮したものの、
かつての栄光を考えると、地味と言わざるをえない成績に終わってしまう。
55年、ホワイトソックスへ移り、
打率.280、19本塁打、79打点をマークしたが、
その後はジリ貧。
レッズ、オリオールズとチームを変え、
61年、現役を引退した。
結局、30本塁打も100打点も
新人王を獲得した1950年しかクリア出来ず、
超一流選手にはなれなかったドローポだが、
12打席連続安打のメジャー記録保持者である。
通算1113安打、152本塁打、704打点。
Walt DROPO
NBA、NFLのチームからも契約の打診があったという、
スポーツの才能に恵まれたドローポは、
1947年、レッドソックスと契約を交わした。
49年に一塁手としてメジャーデビューを飾り、11試合に出場、
打率.146に終わったが、
翌50年、打率.322、34本塁打、144打点と大爆発。
ルーキーにしてオールスター出場を果たし、打点王に新人王も獲得。
チームメイトのテッド・ウィリアムスと並ぶ、主力打者として、
おおいに期待を抱かせる、ド派手な活躍ぶりを見せた。
が、51年、打率.239、11本塁打、
これまたド派手に成績を落とすと
52年、シーズン途中、タイガースへリリースされてしまった。
この年、新天地では、打率.279、23本塁打、70打点をマークし
元新人王の面目を保ったが、
53年は打率.248、13本塁打、96打点。
勝負強さは発揮したものの、
かつての栄光を考えると、地味と言わざるをえない成績に終わってしまう。
55年、ホワイトソックスへ移り、
打率.280、19本塁打、79打点をマークしたが、
その後はジリ貧。
レッズ、オリオールズとチームを変え、
61年、現役を引退した。
結局、30本塁打も100打点も
新人王を獲得した1950年しかクリア出来ず、
超一流選手にはなれなかったドローポだが、
12打席連続安打のメジャー記録保持者である。
通算1113安打、152本塁打、704打点。
相互リンクの件、了解いたしました。
これからも宜しくお願いいたします。
もしよろしければ、相互リンクをお願いしたくご連絡致しました。宜しくお願い致します。
ブログ名「TAMPA MANIA」