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file.175 Bob HORNER【ボブ・ホーナー】

2007-03-15 | GHI
【赤鬼】
Bob HORNER

アリゾナ州立大学で通算56本塁打.....の実績を引っさげて
78年、全米1位指名でブレーブスに入団したホーナー。

マイナーでプレーする事なく、即メジャー入りを果たした超エリート、ホーナーは、
5月16日のデビュー戦、バート・ブライレーヴンから本塁打を放つ活躍で、
大器の片鱗を大いに見せつけた。
結局この年、打率.266、23本塁打、63打点で新人王を獲得。
翌79年は、打率.314、33本塁打、98打点の好成績、
21才にして、リーグを代表するスラッガーに成長する。

80年も35本塁打を放ち、MVP投票で9位にランクされる活躍を見せたホーナー、
86年には1試合で4本塁打の離れ業を演じるなど、
78年から86年まで7度の20本塁打以上をマークした。

86年のシーズンオフにFA宣言をしたホーナーだったが、
高額のFA契約を敬遠したい各球団のオーナー陣の共謀に遭い、
どのチームからも獲得の声はかからなかった。
足許を見たブレーブスは、減棒での再契約を提示していたが、
ホーナーは、これを拒み、年棒3億円で日本のスワローズと契約、
87年、海を渡った。

現役バリバリのメジャーリーガー、ホーナーは、日本で暴れまくった。
5月5日、タイガース戦で挨拶代りの一発を放つと、翌日には3本塁打。
結局、初めの4試合で6ホーマーの大活躍を見せ、その力を大いに見せつけた。
日本球界は騒然となり、『赤鬼』『ホーナー旋風』....の文字が
連日のように新聞各誌をにぎわせた。

結局、怪我もあり93試合の出場に終わったホーナーだが
打率.327、31本塁打、73打点は堂々たる数字であった。

が、相手投手陣の執拗な四球攻めや、チームの練習方法、追い回すマスコミなど、
日本球界に嫌気がさしていたホーナーは、
『ベースボールとは、とても呼べないようなスポーツをプレーするために
 地球を半周もさせられた』....と捨て台詞を残し帰国。
翌88年、カージナルスでメジャーに復帰した。

カージナルスでは60試合に出場し、わずか3本塁打しか打つ事が出来なかったホーナー。
30才の若さながら、この年限りであっさりと現役を引退してしまった。


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