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file.080 Eddie MATHEWS【エディ・マシューズ】

2006-07-13 | MNO
【863】
Eddie MATHEWS

1949年、ボストン・ブレーブスと契約を交わしたマシューズは
52年にはレギュラーの座を獲得、25本のホームランを放った。
翌年53は打率.302、47本塁打、135打点と爆発、
メジャー2年目にしてホームラン王に輝いた。

以降、54年、打率.290、40本塁打、103打点、
55年、打率.289、41本塁打、101打点をマーク。
早熟の天才は25才にして通算200本に到達していた。
57年には打率.292、32本塁打、92打点でチームのリーグ優勝に貢献
ワールドシリーズでは第4戦の10回にサヨナラホームランを打ち、
ブレーブスの優勝におおいに貢献した。

マシューズのシャープなスイングは、かのタイ・カッブをして
「完璧」と言わしめる程だった。
アメリカの有名なスポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」の
記念すべき第1号の表紙を飾ったのもマシューズの完璧なるスイングであった。

1954年、ハンク・アーロンがチームに加わると、
人種差別的な扱いをするチームメイトもいる中、
マシューズはアーロンを良きライバルと認め、彼を歓迎した。
「両雄並び立たず」という言葉があるが、
マシューズとアーロンには当てはまらなかった。
二人はチームの勝利のために競い合い、
結局チームメイトとしてプレーした12年間で863本の
アベック・ホームランを打った。
これは、ルース/ゲーリックのコンビを上回る数字である。
マシューズは、そのプロ生活において最高の誇りが
アーロンと打った863本のアベック・ホームランだと語り、
アーロンにとっては、マシューズが語ったこの言葉が自分の誇りであった。
「自分が良い打者になれたのはマシューズのおかげだと確信している」
誰あろう、アーロンの言葉である。

59年、打率.306、46打点、114打点、
60年、打率.277、39本塁打、124打点....と
活躍を続けていたマシューズ。

が、62年、肩に故障を抱えるようになると、
この年以降、以前の打撃が出来なくなってしまう。
結局68年、通算2315安打、512本塁打、1453打点、
本塁打王2回、オールスター出場9回の実績を残し、
現役を引退、78年に殿堂入りを果たした。

1974年、ハンク・アーロンがベーブ・ルースの本塁打記録更新に迫ると、
ルース信者や人種差別からの非難や脅迫に苦しむ彼を気づかい、庇ったのは
他ならぬ、ブレーブスの監督になっていたエディ・マシューズであった。


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