【インスリン投手】
Bill GULLICKSON
高校時代、2年で23勝をあげ、
ノーヒットノーランを3度も達成する怪童ぶりを見せつけ、
1977年、ドラフト1位指名で
モントリオール・エクスポズに入団したガリクソン。
80年、21歳の時に本格的なメジャーデビューを果すと、
この年、防御率3.00、10勝5敗の好成績で
新人王投票2位に付ける活躍を見せ、
チームのローテーション投手の座を獲得する。
その後、
82年防御率3.57、12勝、
83年は防御率3.75、17勝をあげるなど
エクスポズの主力投手として活躍。
80~85年の6年間、200イニング以上登板が3度、
10勝以上が5度、防御率は3点台を切った事はなく、
絶対的なエースとは言わないまでも、
ローテーションをきっちり守る、
優秀なイニング・イーターぶりを発揮する。
86年にはレッズに移籍するが、
ここでも防御率3.38、15勝をマークし、
87年はレッズとヤンキースで14勝をあげた。
88年、日本のジャイアンツへ通算101勝の実績をひっさげてFA移籍。
1年目は、防御率3.10、14勝をマークして
前年に現役を引退した江川卓の穴を埋める活躍を見せるが、
2年目は怪我に泣き、思うような成績を残せず、退団する。
アメリカに戻ったガリクソンは、
90年、アストロズで防御率3.82、10勝の成績を残すと、
翌91年はタイガースで防御率3.90、20勝。
キャリア唯一のタイトルとなる最多勝を受賞する。
その後、2年連続で10勝以上をマークし、
94年に現役を引退。
通算398登板、162勝、防御率3.86。
現役中は糖尿病を患っており、インスリンを打ちながら投球を続けた。
ジャイアンツ(日本)時代にチームメイトだった桑田真澄とは
固い友情で結ばれ、息子のミドルネームを『クワタ』とした程。
Bill GULLICKSON
高校時代、2年で23勝をあげ、
ノーヒットノーランを3度も達成する怪童ぶりを見せつけ、
1977年、ドラフト1位指名で
モントリオール・エクスポズに入団したガリクソン。
80年、21歳の時に本格的なメジャーデビューを果すと、
この年、防御率3.00、10勝5敗の好成績で
新人王投票2位に付ける活躍を見せ、
チームのローテーション投手の座を獲得する。
その後、
82年防御率3.57、12勝、
83年は防御率3.75、17勝をあげるなど
エクスポズの主力投手として活躍。
80~85年の6年間、200イニング以上登板が3度、
10勝以上が5度、防御率は3点台を切った事はなく、
絶対的なエースとは言わないまでも、
ローテーションをきっちり守る、
優秀なイニング・イーターぶりを発揮する。
86年にはレッズに移籍するが、
ここでも防御率3.38、15勝をマークし、
87年はレッズとヤンキースで14勝をあげた。
88年、日本のジャイアンツへ通算101勝の実績をひっさげてFA移籍。
1年目は、防御率3.10、14勝をマークして
前年に現役を引退した江川卓の穴を埋める活躍を見せるが、
2年目は怪我に泣き、思うような成績を残せず、退団する。
アメリカに戻ったガリクソンは、
90年、アストロズで防御率3.82、10勝の成績を残すと、
翌91年はタイガースで防御率3.90、20勝。
キャリア唯一のタイトルとなる最多勝を受賞する。
その後、2年連続で10勝以上をマークし、
94年に現役を引退。
通算398登板、162勝、防御率3.86。
現役中は糖尿病を患っており、インスリンを打ちながら投球を続けた。
ジャイアンツ(日本)時代にチームメイトだった桑田真澄とは
固い友情で結ばれ、息子のミドルネームを『クワタ』とした程。