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file.085 Tommy HENRICH【トミー・ヘンリック】

2006-09-17 | GHI
【RED ASS】
Tommy HENRICH

1948年頃、ヤンキースと対戦していたブラウンズの監督ザック・テーラーは
トミー・ヘンリックを打席に迎えて、自軍のピッチャー、フレッド・サンフォードに
マウンドでこう聞いた。
「お前、何を投げるつもりだ??」
「速い球を四つ投げます」
「どういう意味だ??」
「ストレートの四球で歩かせるんですよ。勝負にいったらカモられる。」

ヘンリックは、もともとはインディアンズの
マイナーチームに所属していたが、
1937年、ヤンキースに加わった。
41年には31本塁打を打ち、そのパワーを見せつけるが
43年から45年は兵役に就くため、プレーは出来無かった。

ヘンリックの選手としての価値は
残した数字だけで測れるものではない。
ここぞという場面で必ずと言っていい程打つ.....。
試合の終盤の方はよく打つ.....。
大試合に強い.....。
ランナーを進めるための進塁打は当たり前.....。
チームを支える精神的支柱でもあった.....。
『オールド・リアイアル(頼れるベテラン)』
これは人気アナウンサーのメル・アレンがヘンリックに
つけたニックネームだ。
1949年、怪我でディマジオを欠いたヤンキースが
代りに四番に据えたのは誰あろう、ヘンリックであった。
そしてこの年、ヘンリックは自身も足の怪我と戦いながら
24本のホームランと85打点をたたき出した。
走る事が苦痛であったため、二塁打や三塁打は減ったが、
86個もの四球を選び、打率.287にして出塁率は.416にも昇った。
ディマジオのいないチームを満身創痍の身体で
率先して引っ張り優勝に導いた。
MVP投票でも6位にランクインされた。

守備面においても練習を欠かさず、
風の強い日などは、フライ打ちの上手い同僚を
打席に立たせ、ノックを入念におこなっていた程だ。
強肩であったが、特別足が速かったわけではない、
が、自身の持てる最大の能力を、打撃面だけでなく
守備面においても、惜しみ無くチームに捧げた。

ディマジオやマントルのような華やかは光は放ってはいない、
だが、このような『いぶし銀』の選手が、
チームの勝利に飽くなき執念を持った選手が、
どんなに劣勢であろうと絶対にあきらめなかった選手が、
ヤンキースの黄金時代を支えていたのも事実である。