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file.048 Pee Wee REESE 【ピー・ウィー・リース】

2005-12-30 | 2013年映画『42』
【生涯の友】
Pee Wee REESE

40年代~50年代のブルックリン・ドジャース黄金期において、
名遊撃手として、チームのキャプテンとして、
絶大な人気と影響力を持っていた選手である。

40年にメジャーデビューを果たしたリースは
41年に152試合に出場し、
ドジャースの遊撃手のポジションを手にした。

43年~45年は兵役でチームを離れるが、
46年に復帰、打率.284、5本塁打、15盗塁をマークした。
47年には、打撃にパンチ力が付き、
打率.284、12本塁打、73打点と、
この年に入団したジャッキー・ロビンソンから
刺激を得たかのようなブレークぶりを見せた。
49年には、打率.279、16本塁打、73打点、
51年には、打率.286、10本塁打、84打点.....と
勝負強いクラッチヒットと堅実な守備でチームを支え、
41年~53年の間、5度のリーグ優勝に貢献したが、
ワールド・シリーズでは、いずれもヤンキースに敗れる...という
屈辱を味わった。

55年、リースは、36才のベテランになっていたが
打率.282、10本塁打、61打点でチームのリーグ優勝に貢献、
ワールド・シリーズでは、打率.296、2打点をマーク、
ドジャース念願の、ヤンキースを破っての世界一に大きな役割を果たした。

オールスターに出場すること10回、
盗塁王と得点王を一度ずつ獲得している。
通算安打数や通算打率など、特に突出した数字を残したわけではないが、
チームの勝利に貢献した印象度が高かったのか、84年に堂々の殿堂入りを
果たしている。

1947年、ニグロ・リーグから
ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグ入りを果たす。
ジャッキーは他球団の選手・監督のみならず、
同僚からも嫌がらせや反発を受けた。
ジャッキーのポジションは遊撃手、下手をすると
黒人選手に定位置を奪われるかもしれないリースは
当然ジャッキーの入団に反発するものと思われた。
しかし、リースは
「彼が自分よりも才能がある選手なのだったら仕方が無いね。
チャンスは誰にでも平等にあるものだよ」
と平然と言ってのけた。
ジャッキー入団後も、リースは彼をかばい続け、助けた。
アトランタで行われたある試合、
敵軍ベンチやスタンドから容赦ない罵声がジャッキーに浴びせられる。
ジャッキーはファーストの守備位置でジっと耐えていた。
すると、リースがスタスタとジャッキーに歩み寄り、
腕をジャッキーの肩に回し、たわいのない話を始めた。
その時の会話の内容は、ジャッキー自身も覚えてないような、
本当にたわいのない話だったのだが、
その行為には大きな意味があった。
リースは観客や相手チームのベンチに
「こいつは俺の仲間なんだ」と
アピールしたのだ。
罵声は一瞬のうちに消えた――――――――。

ジャッキーはこの時、リースを生涯の親友と決め、
二人の友情は生涯変わらなかった。

ジャッキー・ロビンソンは、1972年のオールスターゲームの記念スピーチで
「個人的な話で恐縮ですが....」と前置きし、
会場にいたリースに感謝の念を述べたのだった。

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