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file.063 Carl YASTRZEMSKI 【カール・ヤストレムスキー】

2006-02-16 | YZ
【YAZ】
Carl YASTRZEMSKI

3419安打は歴代6位、塁打は5539で8位、
二塁打が646で7位、1844打点は11位、
選んだ四球は1845で6位、輝かしい記録の数々は、
歴代2位の3308試合をかけて積み重ねてきた数字である。
23年間の長きにわたり、チームの中心打者であった証しでもある。

『ヤズ』ことカール・ヤストレムスキーは、
二塁手として1958年にレッド・ソックスと契約した。
60年に外野へコンバートされると、
翌年、かの大打者テッド・ウィリアムスの後継者たる
レフトのレギュラーを与えられる。
63年には早くも打率.321で首位打者の栄冠に輝くが、
66年までの6年間、ホームラン20本台が65年の一度だけと、
いまひとつパワフルな打撃には欠けていた。
ヤズに転換期が訪れたのは67年、かねてからの
ウェイト・トレーニングが効を奏したのか
この年いきなりリーグトップとなる44本のホームランを放つ。
打率.326 打点121もリーグトップで
1966年のフランク・ロビンソンに続く三冠王に輝いた。
また、チームの21年ぶりの優勝の立て役者としてMVPも獲得、
結局は敗れたワールド・シリーズでも打率.400、3本塁打を打ち気を吐いた。

両リーグを通じて、圧倒的に投高打低68年には
リーグでただ一人、打率.300台(.301)を打ち、首位打者を獲得。
以後69年、40本塁打、111打点、
70年、打率.329、40本塁打、102打点と好成績を残し
いよいよテッドの後継者たる大打者への道を歩むかに見えた。

が、71年に15本塁打に終わると、
以後、ヤズの長打力は影を潜め、83年の引退まで13年間、
20本塁打以上が3度、80打点以上が5度に終わるなど、
元の中距離打者に戻ってしまう。
また3割以上の打率も74年の.301しか記録できず
三冠王の面影は無くなってしまっていた。
しかしながらヤズがレッド・ソックスの主砲及び、
精神的支柱であることには何の疑いもなかった。
事実、23年のキャリアにおいて、100安打以上が22度、
唯一、それを逃した81年はストライキで試合数が少なかった年である。
この安定感こそがヤズの最大の武器であった。
加えて、ヤズは打撃だけのプレーヤーでは無かった。
ゴールド・グラブは7回受賞し、最多捕殺も7回を記録している。

レッド・ソックスの監督を勤めたラルク・ホウクはこう言う
『殿堂入りしている強打の打者はたくさんいるが、ヤズはそれだけの選手ではなかった。
1塁の走者を3塁まで進めるバッティングや、必要とあらば盗塁もした。
ダブルプレーを阻止する果敢なスライディングだって出来た。
敵のチャンスを奪う強肩も見せた。彼は全てが素晴らしかった。』

1983年ヤズは引退を決意、その最後のゲーム、
セレモニーで自分の後継者ジム・ライスをしっかり抱き締めると
自身も試合で1安打を放ち、8回にベンチに下がった。
悲しみにくれるファンを喜ばせたのはライスの決勝の3ランホーマーだった。

試合後の記者会見、ヤズは明るい笑顔でこう語った。
『今、全てが終わって10歳は若返った気分だ。』

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=YASTRZEMSKI


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
YAZ (べラジオ)
2006-02-16 13:01:57
大リーグ史上、最も長期にわたって安定した数字を残した偉大な選手。特に67年は、優勝を争う最後の数試合で.500近い打率で優勝に貢献、神がかりな活躍を見せた。最も過小評価されている選手の一人であろう。

彼の実力は、ラルフ・ハウクの言葉に凝縮されている。いつも有難うございます。
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こんにちは! (管理人)
2006-02-20 16:33:11
殿堂入りの大打者の中でも、ヤズは渋い存在ですよね。掲載されたカードの写真のような、後期のオヤジ顔がカッコイイです!!
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Mr. (ボストン)
2007-07-30 23:16:57
Mr.redsoxとは言われていなくても球団の歴史でYaz以外に居ないでしょう。真にpeople's hero in Boston!打った!走った!捕って投げた!
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