藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

教員間のいじめ

2019-10-04 13:44:11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 神戸市須磨区の市立東須磨小学校では、四人の教員が、若い教員をいじめていたという。 教員の風上にも置けない集団がいたものだ。 うち一人は女性教員だそうだ。 内容はともかく、こんな教員など即刻首にすべきだと思うが、ただ単に自宅待機だという。 いかなる理由が存在しようとも、人を導き教える立場の人間のする事ではない。 このような人間に、人を導き指導など出来ようはずもなく、即刻「首」。 その決断ができない教育委員会なら、教育長を即刻「首」。 現在の地方自治の欠点、教育と行政の合体が、教育の在り方を政治的に曲げてきた結果、こうした事犯が起こってくるようになった。 行政に都合よい教育は、反人間性を持つことが多い。 知らず知らずの内に、教員までも反人間性を持ってしまうことが起きる。 太平洋戦争中、国内の学校から英語の書物が無くあった。 陸軍の方針であったそうだが、終戦と同時に再開された広島高等師範学校には、呉兵学校の図書館から、英語教育に必要な書物が運び込まれたそうである。 海軍は、常に世界を相手に戦うために外国語を取得すべきだという気風を最後まで持っていたそうである。 学問の独立性を封鎖した結果は、自ずからその行く末が狭められていく。

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世の中不思議なことが有るものだ

2019-10-04 09:06:07 | 日記・エッセイ・コラム

 関電役員に3.2億円送った助役関係企業から、32万円の政治資金を貰ていた稲田議員の言い分が振るっている。 面識がないそうだ。 面識のない人から政治資金を貰う魂胆が解からない。 銀行強盗からでも、くれるものは誰彼関係なくいただくのが、自民党議員の姿勢なのだろうか。 問題が発覚したらその時返せばいい。 そんな考えなのだろうか。 そもそも32万円の政治資金を助役関係企業から貰うこと自体に問題が有る。 地方の補助金の配達役、そんな自民党議員に、地方自治体の助役が、政治献金をしていたとは、「恐れ入谷のこんこんきち」だ。 godとgold  Lが有るかないかで大違いと思いきや、Lを一番欲しがっているのが、god なのかもしれない。 多額の歳費と給料をもらって、それ以上のお金が何にいるのか不思議でならないのだが、公開資料の中身は支払先が書かれているだけのはずで、その目的は書かれていない。 「国会議員ほどいい商売は無い」そう感じるのは私だけだろうか。 そう言えばどこかの国で、大型の橋が崩落した。 TVを見ていて気が付いた。 長年橋の建設をやって来た私からすると、今まで落ちなかったのが不思議である。 橋を支えていた橋脚の貧弱なこと。アーチ型の橋の一番の弱点は、アーチを支える橋脚が強度が有るかどうかだ。 通常は、両端が山であったり、強度のある重量物でその重さを十分に支え切れるものだが、今回の構造物はそんな物等無い。 両側に押し広げようとする力を、食い止めるだけの強度が有ったとは思われない。 こうした建造物は良く韓国の業者や、中国の業者が作るが、もしも日本の業者が作っているのなら、その計算過程で、大きな思い違いが有ったのか、はたまたコンピューターに故障が有ったのだろう。 それにしてもお粗末な橋の崩落ではある。 何だかあの橋が、今の自民党に見えてきた。 来年のオリンピック後、景気が回復することなく後退した時、日本沈没が起きる気がする。 50年前の感覚政治が、日本の足を引っ張っている気がしてならない。 その張本人は、森元総理であることは、間違いない。 テコンドー連盟の理事の皆さんも、同じ穴の狢としか思えないのは私だけだろうか。

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これはおかしいぞ

2019-10-04 03:13:18 | 日記・エッセイ・コラム

  午前三時前、目が覚めた。 やはりと言った方がよいのだろうか。 目が覚めるのは良いのだが、あまりにも早すぎる。 そんなことを考えていたら、「むーむ」そうか、小学校五年生の頃から、この時間に起きて新聞配達をしていたことを思い出した。 その生活は、高校一年生の五月まで続いた。 朝の朝礼で倒れたのだ。 そのまま大学病院に入院。 三年間入院生活を送った。 「再生不良貧血」だろうというのである。 三年間結論が出なかった。 数値が回復したり悪化したりを繰り返したからだ。 その間の検査で、大腿骨の骨髄だけは、常に正常な数値だったことが、私の命を救ってくれた。 その骨髄を胸板骨に移植したのだ。 その当時は、移植した人間は国内には居なかったし、アメリカだけで行われていたことだ。 その顛末は以前ここに書いたので省略するが、考えてみると、この時間目が覚めるのは、私が子供帰りをしているのでは、という疑問が湧き始めた。 そう考えると全てに納得いくのだが、それにしては、年齢的に早過ぎはしないだろうかと思い始めた。 今現在74歳と半年。 幼児帰りには早すぎだろうと思われてくる。 それにしても、この早い時間に目が覚めてしまうと、することが無い。 せいぜい読書くらいだが、それでなくても毎月の本代が夫婦で一万円を超える。 それも古本で頑張ってである。 金のかからぬ趣味は無いものか、大きな課題が出てきた。

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