藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

カネミ油症は、過去の事でなかった。

2012-01-07 20:20:41 | 社会・経済

妻と食事中、TVを見ていると、ネミ油症事件の、その後のことを放映していた。

の中では、ネミ油症は過去のこととして存在し、ての人々が救済されたように思っていた。 かし画面に展開された事実は、しくもなんら解決されていない、害者の姿であった。かもそこには、世代を超えて存在し続けるダイオキシンの恐ろしさが存在したPCBが高熱で化学変化を起こし、イオキシンとなり、代を超えて影響し続ける恐ろしさ。の中で、ら実名で活動する勇気を持たれた人々、思わず涙してしまった自分が其処にあった。イオキシンは、盤までもすり抜け、さな命までも犯し続け、在も被害者が増え続けている現状を見るにつけ、減期を持たない学物質や自然鉱物の持つ毒性の怖さにあらためて考えさせられた。もそもPCBがもてはやされた一因は、力業界に起因する。定的科学的物質としてのPCBの利便性に、番に取り付いたのは電力会社であった。圧器の充填材として、量に使用された。

かし、法のような物質は必ずどこかに牙を持ち、最後には人間を始めとする自然界に復讐してくる。PCBが高熱によってダイオキシンとなり、体をも蝕むとは、れも予想もしなっかた事であろう。葉剤としてのダイオキシンは、トナム戦争を思い起こす。れと同じ事が、日本の中に起きていた事に、衝撃を受けると共に、害者の救済に今日まで、政治がり組んで来なかったことに、りさえ覚える。スベスト、PCB一度、去の公害や、件を洗い直し、来に向けて我々が何をすべきか、える必要がある。の中には、発や過剰労働による疾病も当然含まれてしかるべきである。こそ政治の力を必要としている時、無いのではなかろうか。我田引水の政治から脱却し、派を超えて取り組んで貰いたいものである。

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名車 パブリカは、アスベストまみれ

2012-01-07 14:46:19 | 社会・経済

本日土曜日は、のアスベスト肺の診察日。 島市内まで、22kmの道程である。 月気分も今日まで。 日は、年第一号の康管理手帳綿請を行った。 請者と共に労働局を訪れ、請を手伝ったが、 口業務の担当者が、んと私が以前住んでいた団地の、住人でのことをよく知っているとのことであった。 間は狭いとゆうけれど、 んな形で再会するとは。 の方は、労働監督署にお勤めであったが、年退職後、 の職場で嘱託職員として、いておられるとの事であった。 災の事は専門で、スベスト肺についても、かなり深く強されておられるように感じた。 年前に亡くなった弟の労災申請についても、熱心にアドバイスいただき感謝の日であったが、日は今日とて、 察していただいた宇土広大教授と、アスベストについての、報交換の時間が診察より長くなった。和三十年代後半、ヨタが販売した国民車と呼ばれたブリカはアスベストまみれの動車で、

冷二気筒、平対向エンジンで、の自動車の暖房部に大量のアスベストが使われており、 に寒冷地用仕様車は、 くのアスベストが使用されていた。 の事実を教授は、存じなく大変興味を示され、の暖房装置の図解までしてさしあげた。

って、の車に乗っておられた方、 なたも中皮腫の発症の危険性があります。 度専門病院を訪ね、康診断を受けられる事を、勧めします。 

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