分かり始めた香川県の、アスベスト医療ネットワークの生い立ち。
日本エタニットという会社が嘗て存在した。ここに香川県のアスベスト医療ネットワークが作られた経緯が、見えてきた。日本エタニットは、高圧コンクリート管を製造していた会社である。アスベストを使い、高圧に耐える安価な、水道管を開発しその特許を持っていた会社である。その主力工場が、嘗て高松市に存在した。そこで扱われた、アスベストの量は計り知れないが、記録が残っているようである。その特許が切れると同時に、秩父セメント、久保田鉄鋼がこの事業に参入し、三社で大量のアスベストを使用したようである。この中で、一時期久保田鉄鋼は、アスベストコンクリート管の製造で50パーセントの生産を誇っていたようである。ここに、アスベストクボタショックと呼ばれる公害が発生したようだ。同じように、日本エタニットも従業員を中心に、アスベスト被害者を大量に作り出していった。秩父セメントも同じ運命をたどった。日本エタニットは、高松、大宮、鳥栖の三工場、クボタ鉄鋼は、尼崎工場、秩父セメントは、秩父にそれぞれ工場を持ち1984年まで生産を続けたようである。その過程で、高松の日本エタニット工場の労災裁判が行われ、その過程で県上げての、アスベスト対策がなされたようである。詳細は、現地調査の上また報告したい。この様な状況を省みると、なぜ広島市が、アスベスト問題に無関心であったのか、不思議である。広島市には、嘗て三菱重工広島造船所、宇品造船所があり、また戦後急速に拡大した町並みに付随して水道事業も拡大して行った。おそらくその過程で、アスベスト高圧水道管が使用されたであろう事は、容易に推測できる。其処に広島市行政が、踏み込まれる事が一番恐れている事かもしれない。この事は、戦後の復興の時期に、大きく需要を拡大していった、アスベスト高圧水道管の存在を考えると、日本の国土全体に水道事業により、ばら蒔かれたアスベストは、計り知れません。皆さんも毎日アスベスト入り、水道水を飲んでいる可能性が高いのです。このブログでは、これからも入手したアスベストに関する資料を、公開し続けます。石綿セメント高圧管についてをぜひ訪れてください。皆さんの周辺にこれからも、起こり続けるであろうアスベスト問題の、深刻さが実感できます。
追記 因みに、過去日本で使用されたアスベスト量は、1,000万トンです。(国の輸入記録から)