てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

幸田文の しつけ

2009年03月10日 | 本棚
両親をはやく亡くしたせいか、人と比べて、生活の箍(たが)がゆるんでいる自覚がある。
義母と一緒に暮らしているので、それなりに保っているが
もし同居していなかったら、果てしなくだらしなくなってしまうのではないだろうか。
そんな私なので、「しつけ」についてなど、とても言えた義理ではないが。

44年間、幸田露伴という重く厳しい箍にはめられてきた幸田文の
「しつけ」に関する本が、立て続けに出版された。

『幸田文 しつけ帖』(幸田文著・青木玉編)
『幸田家のしつけ』(橋本敏男著)

前者は、幸田文の随筆や執筆の中から、28編。
掃除、食事、身だしなみ、言葉遣い、性、死生観などなど、
露伴が文に仕込んだ生きる姿勢が綴られている。

後者は、文と露伴の言葉を元に、時代背景や経歴も含め
ときに現代と照らし合わせながら、幸田家のしつけの本質を探る解説書。

露伴が残した暮らし方の教えの数々を、文はたくさんの随筆に記しているが
私はそれを「実用」書として読んでいる。
ロハス、エコ、シンプルライフ、と志向される暮らしのあり方のノウハウが詰まっているし
ひとつの指針になりうる。
実は、畏れ多くも、私もいつか、できるものならやりたいなあと思っていた。
幸田文のノウハウ本の編集。
やはり時代のニーズがあったのだろうか。玉さんの編集なら申し分ありません。

露伴の家事指南について、少し書いておく。

「掃いたり拭いたりのしかたを私は父から習った。掃除ばかりでなはない、女親から教えられる筈であろうことは大概みんな父から習っている。パーマネントのじゃんじゃら髪にクリップをかけて整頓することは遂に教えてくれなかったが、おしろいのつけかたも豆腐の切りかたも障子の張りかたも借金の挨拶も恋の出入りも、みんな父が世話をやいてくれた。」(『あとみよそわか』)

男親が娘に家事を仕込むという、ちょっと特殊な状況は
幸田家特有の事情があった。

文の実母は、文が六歳のときに亡くなった。
継母は教育者であったが、からだが弱く家事ができなかった。
また継母との関係も心通うものではなく
露伴が文に家事を教えざるを得ない状況にあった。
もともと露伴の家は、江戸時代、大名の取次を職とする表御坊主衆で
武家のしきたりや行事に詳しい。露伴は兄弟の多い貧困の中で
朝晩の掃除、米とぎ、洗濯、火焚きなど家事一切をやらされて育ったから
露伴の教えには実践が伴っていた。
しかも博識の露伴の教えは理屈、筋道が通っている。
封建的・絶対的な父の教えに、時には反抗しながらも
露伴の教えの真髄をものにした文の素養も並みではない。

文が本格的な掃除の稽古についたときの様子が『あとみよそわか』に書かれている。
まず道具を持ってきなさい、と言われ、
三本あったほうきのうち一番いいのと、はたきを持っていくと
「これじゃあ掃除はできない。ま、しかたが無いから直すことからやれ」と言われ
その日ははたきの改造とほうきのゆがみを直して終わる。

まず道具を整える。
「どうしてだか使ってみればすぐ会得する」
道具には、なんのためにどのように働くのか、ちゃんと意味がある。
手の動かし方、からだの使い方にも意味がある。
その意味を、物事の道理を理解せよ、というのが、露伴の家事観だ。
掃除や家事を通して、露伴は物事への向き合い方、ひいては生き方そのものを
伝えようとしていたのだ。これが格物致知だ。

露伴は、雑巾がけひとつ、薪割りひとつとっても、真剣さと渾身を要求する。

「面倒がる、骨惜みするということは折助根性、ケチだという。露伴家ではケチということばは最大級のものである。ケチなやつと叱られた時は、もっとも蔑まれ最も嫌われ、そしてとどめを刺されて死んじまったことを意味するのである」。(『水』)

日々の家事を、少しでもラクに便利に、と現代の私たちが思うのは、なぜかといえば
そもそも、格物致知を知らず、渾身を知らないからだ。
逆に言えば、格物致知と渾身を理解するために、家事があり技術の修練があるのだ。
このことが腑に落ちれば、迷うことなどなくなるのだろう。
家事の「実用」を越えて、生き方の「実用」書である所以だ。




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