てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

いくつかの好き

2006年09月26日 | 近辺
ビデオ屋で映画をレンタルするとき、書店で本を買うとき、
もちろん自分の見たい読みたいものを選ぶのだけど、それだけでなく
家族の誰かもきっと好きだろうな、と思うものを、つい選んでしまう。
自分の好きなものと、家族の誰かの好きなものの、最大公約数的なもの。
どうせお金出すなら、一人だけじゃなく、何人かで楽しめたほうがお得♪という
セコイ考えがもちろんベースにあるが
それだけでなく、家族で同じ話題を共有できるというメリットもある。
子どもも中学生になって、だんだん親と語らうことを避けつつあるので
少しでも共通の話題をもっていようという親の浅はかな魂胆。
その結果、この集団は、同じ映画を見て同じ本を読んで、だんだん似たような嗜好・志向になっていくのだ。


でも時々、自分がほんとに好きなものは何だったっけ?と思うことがある。
もちろん、家族で一緒に楽しむものも好きなものには変わりないけど、
私個人が大事にしたかったものって何だったんだろう、と。
昔、子どもがまだ小さかった頃、独身の友人の家に遊びに行ったとき
彼女はミルクをお皿にぽとん、ぽとんと垂らして
そこに出来る「ミルクの王冠」をこよなく愛しているの、と幸せそうに語っていた。
当時3歳児を抱えて子育てと仕事にぱんぱんだった私は、
そんなふうに座って何かをじっと見つめるということをしばらくしていなくて、
独り者ゆえの悠長さにあきれながらも、
私もかつては、つまらないものに熱い思い入れを持っていたものだと思い返した。
もう、そんな日は訪れないのかな?


家族が増えることで、自分の考えや好みや信条が、少しずつ侵食される。
それを受け入れたり反抗したりしながら、今の自分がある。
それはそれで不満はないし、茨木のりこの詩もそんなに痛くはないけれど…
子どもが間もなく離れていく予感に、心が何かを準備しようとしているのだろうか。



罪を憎んで人を憎まず

2006年09月03日 | 近辺
人間は完璧ではないから、失敗することもあるし間違えることもある。
そのことで批判されることもある。
批判された「こと」については真摯に受け止め反省し、今後の改善へ努力していくべきだが、時折その批判が「ひと」にまで向けられることがある。
批判する側は「こと」から及んで人まるごとを批判することがあるし、批判を受ける側は、「こと」について批判されているにも関わらず全人格を否定されたかのように思い込んでしまうことがある。

話は大きくなるが、同様に、日本が批判されると日本まるごと非難されているように感じてしまうことがあるのではないだろうか。
批判を受け入れると、国としての誇りまで失われると思ってしまっているのではないだろうか。
日本人である自分自身も否定されると思い込んではいないか。

批判されている「こと」は、その「ひと」の一部でしかない。
まず「ひと」ありき。
「ひと」を認め愛し尊ぶ意識あってこそ批判が成り立つのではないか。



・・・というようなことを、ふと思っていた。

昔から「罪を憎んで人を憎まず」という言葉はあるけれど。
「ひと」を愛し尊ぶ心の強さがベースにあってこその理想論だとは思うけど。

ガンジーやマザー・テレサが思い浮かぶ。
他者への「愛」から起こる判断、行動。

凡人には無理?

しかしね、自己に向かう「愛」が、他者への「憎」に翻って起こる問題のなんと多いことか。
身近な瑣末なことから、国家間の問題まで、見渡せばそんなのばっかりだ。
わかっちゃいるのに、やめられない。
わかっちゃいるのに、やめられない。