てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

NHK・BS1「シリーズ あなたの知らない食の話」

2009年08月29日 | 気になる言葉
NHK BS1「BS世界のドキュメンタリー」
<シリーズ あなたの知らない食のはなし>と題し
6夜連続で世界の食について放映されるようです。
いずれも興味深い内容。
深夜なので、録画しておきたい。

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
巨大ピッグ・ビジネス
8月31日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
世界の食肉の生産、流通は、わずかな数の企業に握られているとされる。こうした企業は「世界の人口が増える中、食肉を大量に、安く、衛生基準を満たす形で生産し、社会への貢献度も高い」と胸を張る。
しかし食肉産業が急激にグローバル化し、大量生産を進める中、新たなひずみも生まれ、EUに加盟したポーランドでは、農村の小規模農家とアメリカの巨大豚肉会社との間でもめ事が起きている。
小規模農家が支えてきた従来の食肉生産システムの崩壊と、巨大企業による寡占化にスポットをあてた。

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
“苦い”紅茶
9月1日 火曜深夜[水曜午前] 0:10~1:00
世界で急速に普及するフェアトレード食品。通常の市場価格よりも高めに設定した価格で継続的に取引することによって、途上国の生産者の生活を安定させる目的を持つ。
番組は、その代表的な商品の一つ、紅茶を取り上げる。ヨーロッパの企業やフェアトレード団体が取り扱う紅茶の生産地であるスリランカ、インド、ケニア、バングラデシュの20に及ぶ農園を取材。フェアトレードの紅茶と、一般の紅茶を生産する農園を比較し、果たして生産地の労働者がフェアトレードの恩恵を受けているかを検証する。

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
低価格食品はお得?
9月2日 水曜深夜[木曜午前] 0:10~1:00
不況が庶民の家計を直撃しているイギリス。主婦たちが食費を切り詰める中、大手スーパーは軒並み、わずかながらも業績を上げ続けている。その原動力が自社ブランドなどの低価格ライン食品。
番組は、この低価格ライン食品の中身に注目。ミートパイや精肉、ソーセージ、野菜など、イギリスの家庭に欠かせない品目を徹底調査する。低価格と引き換えに消費者は何かを犠牲にしているのか、そして、その価格は本当に妥当なのかを問いかける。
同時に、同じ地域に住む2家族の協力を得て、スーパーの低価格ラインだけで1か月暮らした場合と、スーパーに頼らずに1か月暮らした場合では、食費や食生活にどんな差が生じるかを実験する。

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
キング・コーン ~とうもろこしの国を行く~
9月3日 木曜深夜[金曜午前] 0:10~1:00
「食習慣を変えなければ、寿命が短くなってしまう。」そんな危機感を抱いたアメリカ人の若者2人が、“食”を知る旅に出た。彼らが選んだのは、トウモロコシ。そのまま食べるだけでなく、甘味料の原料として、また家畜のエサとして幅広く利用されている。
そのトウモロコシはどのように生産され、どのように食卓に上っていくのか。2人は、アメリカ最大の生産地アイオワ州でトウモロコシの栽培に挑戦。さらに全米30州で生産者や学者などを取材し、トウモロコシの大量生産と大量消費の実態を明らかにしてく。

<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
世界に広がる飢餓の怒り (再)
9月4日 金曜深夜[土曜午前] 0:10~1:00
南北格差の進む中、世界的な食糧危機が進んでいる。その理由は温暖化や干ばつといった自然災害では無い。富める国が途上国の食のシステムを崩壊させようとしているのだ。この番組は、途上国からのリポートを交え、2008年にローマで開かれたFAO(国連食糧農業機関)の総会での各国の対応を分析。市場の自由化が進む中、農業に対して手厚い保護政策を行っている先進国から安い食糧が大量に輸出され、その結果、途上国の農業がダメージを受けているという現実を描く。


<シリーズ あなたの知らない食のはなし>
ソイルラッシュが村を襲う ~ルーマニア・農地の争奪戦~ (仮)
9月5日 土曜深夜[日曜午前] 午後11:10~翌0:00


衆議員議員立候補者へのフェアトレード意識調査

2009年08月29日 | 気になる言葉
今回の選挙にあたって、東京経済大学の渡辺教授や、学生ネットワーク、フェアトレード団体などで作る
「フェアトレード推進会議」が、立候補者にむけてフェアトレードに対する関心・支持の実態調査を行いました。

こちらが調査の趣旨説明と簡単なまとめ。

こちらが各立候補者の回答です。

120選挙区の352人の候補者を調査対象にし、
回答を得たのは、71選挙区の87人の候補で回答率は25%ということです。

一般的な認知度が17%程度ということなので、
比較的いい反応だったと思われます。

地元の候補者の回答はありませんでしたが…(悲)

これまでの分権的な国際関係から、地球規模の取り組みが必要になってくる時代ですから
フェアトレードについても、関心をもってほしいですね。


息をすること 歌うこと

2009年07月02日 | 気になる言葉
身体さえあれば、何かが生まれる。
息を吸って吐くだけで、歌が生み出せる。
今この瞬間も何かを表現できる。
私たちは、そんな可能性と希望に満ちた身体を持って生まれてきた。
(7月2日 朝日新聞 坂本美雨さんのコラムより)

息を吸って吐く、それは生存の基本だけど、
それだけで「歌が生み出せる」、何かを表現できる、ということは
存在すること、自分であること、他者とつながれることを意味する。
すごいことだね。身体への全き肯定だ。

人はつい、自分の身体を否定的に見てしまう。
過剰なダイエットや健康ブームに走るのは、自分の身体を肯定できなくて
あらまほしき姿を追い求めてしまうからではないか?

呼吸する身体を持っているだけで、十分。

なかなか、そんなふうには思えないかな?



一器多様

2009年02月28日 | 気になる言葉
「一器多様」
これは、ひとつのモノや道具をさまざまな用途に使う、という意味で
もともとは「器」について使われる言葉のようですが
器以外のモノや道具についても「一器多様」な使い方をする、というのが
私は基本的に好きです。

一枚の布を、包んだり結んだり広げたり巻いたり引っ掛けたり…と
いろいろに使える「風呂敷」などは、その典型。
畳めばコンパクトにしまえるし、旅行のときなどは本当に重宝します。
でも、はさみも入れず針も使わず、用途に応じてさまざまに変形させるその使い方は
実はけっこう技術がいることです。
結び方ひとつとっても、知っているようでちゃんとわかっていないこともあります。
風呂敷を扱いながら、包むものにふさわしい結び方を少しずつ習得していくのも、
また楽しいものです。

「石けん」「重曹」なども、これひとつで家中の掃除、洗濯をまかなえるスグレモノです。
洗剤売り場に並ぶ「○○用」「△△用」と用途に分かれた洗剤類を
いくつも買わなくてもいいし、台所や洗面台にボトルがごちゃごちゃ並ぶこともありません。
ただ、これも、使い方に知識と技術が必要です。
子どもや夫にも家事を分担させたい時は、使い方をしっかり覚えてもらわなくては。
用途別洗剤は手軽でわかりやすいけれど、応用がききません。
「石けん」や「重曹」の幅広い使い方を知っていれば、
いろいろと役に立つこともありそうです。

用途に適ったモノや道具は、使いやすく、便利で安全。
でもおかげで、からだに染み込んだ生活の技術は急速に廃れ、
考えることをしなくなる、とは、よく言われることです。
たしかに、適材適所の道具の、目的にぴたっとはまった合理性には
納得させられるものの
無用に過剰にモノが増えすぎているということも感じざるを得ません。

民族資料館でさまざまな民族が使っている道具の展示を見ると
人間が生きていくために必要な道具には、
どこか共通するデザインや機能があるのに気づきます。
身のまわりの自然を活かした素材、シンプルなフォルム。
たったこれだけのモノで、人間は生きていける、と思えます。

少ないモノで暮らしたい、と想うとき、
必要なのは知恵と技術と体力。
現代は、そのことが見直されつつあるのかもしれません。


フェアトレードと環境問題

2008年03月07日 | 気になる言葉
しうさんのタイ・ラオスの旅をきっかけに、また、フェアトレードについていろいろと考えが広がっている。
しうさんもブログに書いているように、(一部)フェアトレード団体の、融通の利かなさ、世間常識からずれた流通に対する認識、商品の粗悪さ(昔に比べればだいぶよくなったけど)、不透明さなどで、フェアトレード商品の取扱いに次第に躊躇するようになってきていたところだけど、それでも、ここ十数年のフェアトレードの取り組みは、少しずつ成果を出してきているし、今後も必要とされていることは間違いないと思う。

グローバル・ヴィレッジの代表サフィア・ミニーさんのブログに時々目を通すのだけど、今週はネパール訪問の様子が書かれている。
http://www.peopletree.co.jp/safia/index.html

「今のネパールで経済的にうまくいっているのは、フェアトレードぐらいではないでしょうか。経済はすっかり後退してしまいました。政治的に不安定な状態が続いたことで、インフラは崩壊し、マオイスト(毛沢東主義過激派)によって移住を余儀なくされた人々で、カトマンズの谷の人口はわずか5年のうちに倍増しました。物価の高騰に加え、石油燃料、水、電気の供給が制限され、市内では断続的にしか使用できない状態です。私の知るかぎり、この土地でこれほど暮らしが困窮したことはいまだかつてありません。」
「この国に必要なのは、優れた政府と計画です。フェアトレードだけではどうにもなりません。」
「ネパールには、伝統技術のを受け継いだ、優れたダッカ手織り職人がいますし、すばらしい天然の繊維と生地があります。」
「(イラクサ、ヘンプ、バナナの幹と根からとった繊維など)こうしたすばらしい糸を開発できたのは、フェアトレードのパートナーシップによる長期的な取り組みがあったからにほかなりません。」
「ほとんどは手仕事による生産ですから、唯一の強味といえば、定期的にやってくる停電にも直接の影響を受けないことです。」
「オーガニック・コットンの認証を提示できなかったために、企業から注文を取り消されたこともあると聞いて、ショックを受けました。なんとばかげたことでしょう!社会正義と環境正義は、どちらも並行して取り組まれるべきものです。」(一部抜粋)

さらに、今回の訪問を元に書かれた報告がこちらです。
http://www.wftday.org/japanese/about_wftday/nepal/index.htm

「「南」の国々で手工芸品を生産しているフェアトレード団体にとって、環境問題や高くなっていく環境基準に対応していくことは、彼らが国際貿易に参加していく際のさらなる障壁となるだろう、と(議論されている)。それでも私には、今こそフェアトレードで広く使われている環境負荷の低い生産方法が認められ、売上や社会的影響力を上げていく絶好のチャンスだと思われるのです。フェアトレードで扱う手工芸品はほとんどが手作りで、石油による動力より人の手仕事が生産の中心になっています。」
「また、フェアトレードの手工芸品は、ほとんどは現地で調達できる自然原料を使い、より多くの生産者の生計を支えられるよう、最大限の生産が行われていることで、その「付加価値」を最大限に高めています。つまり、大量生産ではなく、大衆による生産を優先しているのです。おおざっぱに言えば、地球からの搾取をおさえて、より多くの人びとの生活を支えることができるのです。」(一部抜粋)


これらの報告を読みながら、
確かに、ネパールなどの最貧国では、大量の石油燃料を使わず(使えないのだが)、原料の調達から製造、流通まで、ほとんど人間の力で行われていることを思い返す。
フェアトレード団体はその状況下で、技術や品質の向上、オーガニック認証の取得等、支援し続け、世界に通用する商品へと育て上げようとしている。
このネパールの報告を読むと、その成果が確実に現れているのだとうれしくなる。(もちろん、まだまだの部分もあるけれど)

そして、現地で調達できる自然素材を使い、環境に負荷のない方法で、高品質の製品を作る技術は、逆に、今後の環境問題を解決する手立て、モデル、ヒントになり得るのではないか。
使用後は土に帰る原料を使う、廃棄物をリサイクルする、などのネパールの生産者の取り組みが、もっと注目を集め、環境にやさしい活動として展開していけるのでは。
という提言は、貧困問題と環境問題を同時に考え、ひとつの方向性を見出して価値あるものだと思う。

さらに、これを読んで私が感じたこと。
今、フェアトレードは「先進国」と「途上国」という縦の関係で動いているわけだけど、今後、途上国どうしの横のつながりに発展すれば、それはまた、大きな力になるのではないだろうか。
フェアトレード団体の支援を得て、それぞれの現場で身に付けた技術や知恵は、他の現場でも役に立つことかもしれない。それらをシェアし合うことによって、さらにオルタナティブな自立の道を創造することができるのではないか。

世界の方向性は、突出すること、人よりも先に高く頭を出すことに向かっているけれど、首を回して、横に手を広げることで、得られる豊かさも求められているのではないだろうか。



ただのマジシャンじゃない― 前田知洋さん

2007年08月26日 | 気になる言葉
少し前のことになるが、NHKで『だまされたい脳・マジックの快楽 -奇跡の指先・前田知洋-』という番組をやっていた。
息子がマジック好きなので、付き合っていろいろなマジシャンを見ているが、中でも前田知洋さんは最高だと思う。テクニックはもちろん、知性、品性も兼ね備えているし、ただのマジシャンじゃないことは確かだ。
この番組でもすばらしい話術とテクニックに「ほ~~っ」とさせられた。
一応タイトルが「脳」なので、脳科学者・茂木健一郎さんが出演していて、「脳はサプライズを好む」とコメントしていたが、それに対して前田さんが「マジックはモノを扱っているのではなく、心を扱っている」とコメントしていたのが印象的だった。

ところで、私の現在の仕事では、カウンターで接客することがほとんどないのだが、
先日、久しぶりにカウンターに立ってお客様とやりとりをした。
その時、自分の中から前田さんの話し方、手さばき、間合いの取り方がふっと出てきたのである。
別に真似しようと思ったわけではないし、マジックをしているわけでもない。何より自分がびっくりした。
そして、ああ、前田さんが「心を扱う」といっていた感覚はこれだな、と思った。
クローズアップ・マジックと、カウンターをはさんでの接客は、意外と似ているものだな、とも思った。

接客とはつまり、お客様との心のやりとりなのだ。
お客様に喜んでもらう、満足していただく、その瞬間をお客様との心のやりとりで創り上げる。
上等なサービス、おもてなしとは、そういうことなのだろう。

その時、私は、お客様にモノではなく何か想いを伝えたかった。
その感覚が、番組で見た前田さんの感覚と重なって、無意識のうちに前田さんの所作が自分から出てきたのだ。

自分で言うのもなんだが、こういうところが…、つまり理屈や考えではなく、からだや行動で理解して反応するところが、自分でもすごいところだと思う。
前田さんの細かい感性には程遠いけどね。

ともあれ、この接客感覚は、おもしろいぞ、実験の価値アリ。
接客に少しだけ、マジックの要素を取り入れてみたらどうだろう。
実際にマジックをするわけではなく、ちょっとしたサプライズを用意するとか、好奇心をくすぐってみるとか。
番組では「潜在的欲求」について話があったが、お客様が何を欲しているかを細やかな気持ちでくみ取ってあげることはもちろんだけど、そこにちょこっと味付けしてみる。スパイスを利かせてみる。
些細なことだけど、あなたも私も楽しくてうれしい、そんな時間が共有できるのではないだろうか。

・・・なんてことを考えていたら、前田知洋さんの新刊『知的な距離感』という本が出版されていた。
読んでみたい・・・けど、はまりそうで怖いから、手が出せないでいる。

高橋哲哉さんの講演会

2007年08月21日 | 気になる言葉
4日間かけて行われた「平和のための信州・戦争展in飯田」最終日。
高橋哲哉さんの講演会を聴きに行った。

高橋さんのお話は、的確な言葉で、曖昧な部分がなく、だからこそ説得力があり、納得がいく。
煽るような刺激的な言葉を使うのでもなく、感情に流れることもなく、事実と考察を刻み込むように述べていた。
その淡々とした姿勢と論理の力強さが素敵だった。
この人は信頼できる、と思った。
もしお近くで高橋さんの講演会があるなら、「彼は素敵だからぜひ聴きに行って」とおすすめしたい。

講演は、改憲の問題点についてわかりやすく説明されていて、聴けば聴くほど、戦争に近づいている危ない現状を思い知る。
為政者は国のことも国民のことも守ろうとなんかしていない。自分のことしか考えていないし、そのためにどんなに犠牲者が出ようとかまわないのだ。

沖縄の米軍普天間飛行場の移設に反対する市民団体に向けて、海上自衛隊の掃海母艦が派遣されたという。
機動隊ではなく自衛隊が、市民に対峙することはかつてなかったことだ。
沖縄県知事は「県民に銃剣を突きつけるような連想を生む」と危惧している。
かつて沖縄県民が友軍と思っていた日本軍によって命を失ったことがあるということを思い起こさせるのだ。
これは、教科書検定で沖縄戦の「集団自決」の記述が修正・削除された問題とも関係する。
改憲によって為政者が国民に対してどうふるまいたいのか、ということが、沖縄ではすでにこんなふうに見え始めている。


話の中で高橋さんが、ちらりと「天皇制ではなく共和制になればいい」と言っていた。
「共和制」について勉強しましょう、と思った。



医療とケア

2007年07月21日 | 気になる言葉
ここ数日の、田口ランディさんのブログが、すごいスリリングで、どきどきしながら読んでいる。

「認知症などの脳障害があり、なおかつ内臓疾患がある患者の治療を
受け入れてくれる病院」をさがしている様子が、ここ数日書かれているのだが、
リアルタイムな書き込みで、
ジェットコースターに乗っているような
洗濯機の中でかき回されているような
振幅の激しい状況に、読みながらも、ついていくのがやっとだ。

冷静に書いているけど
きっと実際の現場は、ものすごいぐちゃぐちゃなんだろう、と思う。
でも、現実が厳しくて辛いほど、物書き根性が奮い立つというか
もう、書かずにおれないんだろうなあ、と思える。
書くことで、自分自身を保っているという部分もあるんじゃないか、と
思える。

当事者として、医療とケアについて日々向き合って、分析して、
書かれている内容は、結果として、その情報を公開することで
医療とケアの問題を多くの人と分かち合うことになる。


「学び」の本質

2007年02月19日 | 気になる言葉
2/19毎日新聞コラム「学校と私」(脳科学者・茂木健一郎さん)

「答えが決まっていることを、どのくらい早く分かるようになるかというのは「学び」の本質ではない」
「知識の本質は『開放性』だと思います。それは、何をどこまで学んでも必ずその先はあるということ」


という論旨に、共感!

「日本の教育がもたらした弊害の一つは、希望の学校に入れなかった多くの人たちが、学びに対して大きなトラウマを抱えているということ」

試験で振り落とされることは、「学歴」だけでなく「学び」についてもトラウマになるんですね。
それはつまらないことだよなあ。
「学歴」は変えられないけど、「学ぶこと」は生涯続けることができるのに、その楽しさを味わえないなんて。

  「Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.
  (永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ)」マハトマ・ガンジー


一応これでも受験生の親なので、
つい「模試の点数」とか「偏差値」とか、子どもに問いつめてしまうのだけど
できるだけ「それがすべてじゃないのよ」というニュアンスを醸し出そうと
日夜努力しているのです。


さて同日の「ほぼ日」ダーリンコラムでも
<面接試験の傾向と対策とつまらなさ>というタイトルで
「受験用の傾向と対策に必死になる受験生たちは、
なにかものすごくムダなことに自分を賭けているのではないか」と語っていて
それはやっぱり、「学び」の本質を勘違いしているために
起こってしまうことなのかな、などと思ったりしたのだ。