てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

5月の読書

2007年06月24日 | 本棚
備忘録。

『沖縄からはじまる 』大田昌秀・池澤夏樹共著
春に東京のイベントに行った時に、古本屋で目が合った本。
古本屋でピキッときた本は、どうしたって買わなきゃね。帰りの荷物がどんなに重くなろうとも。

96~98年当時、沖縄知事だった大田昌秀と、沖縄に移住して数年たつ池澤夏樹との対談。
一番印象に残ったのは「基地汚染」の問題。
軍隊が出すゴミって、家庭ゴミとも産業廃棄物とも違う種類の厄介なゴミ。
基地がある今はもちろん、もし基地がなくなっても、そこには処理が難しいゴミが残ることになる。
汚れた土や水を浄化するためには、長い時間とたくさんのお金と適切な技術が必要。
私は思うんだが、環境汚染を浄化する技術や仕事が、これからの時代、うんと必要になってくるんじゃないか。
環境保護とか処理、整備、修繕という観点ではなく、「浄化」という観点から仕事を作ることを考えてみてはどうだろう。
将来を模索する若い人に、特に考えてほしい分野。


『池澤夏樹の旅地図』池澤夏樹著
池澤夏樹といえば、辺境をテーマに歩く人というイメージだったので、フランスに移住した時はちょっと意外だった。ただ、沖縄にいることがつらくなったのかもしれないな、と薄々感じてはいた。
沖縄は魅力的だけど、深く知れば知るほどつらくなる。

本書の新城和博との対談で
ここ数年の沖縄ブームは、「商品化された沖縄」の「消費」だ、という。
沖縄にはヤマトにないもの、ヤマトが失ったものがある、それを見つけたい、伝えたいと思っても、ヤマトンチュの手に渡ってしまうとそれは商品化され消費されてしまう。
池澤さんは、政治、文化、さまざまな面から、沖縄とヤマトをコミットさせようとしてきたけれど、どこか限界と虚しさを感じてしまったのではないだろうか。
浮かれたように沖縄への移住を夢見るたくさんのナイチャーたち(私も含めて)は、「沖縄イメージ」を食べてお腹がふくらめば、それでいいのだろうか。

ところで私は、どこかに出かけると、いつも「この土地に住んだらどうなるだろう」と考える。
寒い土地、暑い土地、海の近く、山の中、ビルの谷間、街外れの郊外…そこで暮らすとはどういうことか、を考える。
どこに住んで、どんな仕事をして、どんなものを食べて、どんなふうに遊ぶか、けっこう具体的かつ本気で考える。
池澤直樹にとっての「旅」も、同じものだと本書で知って、腑に落ちるものがあった。


『17歳のための世界と日本の見方』松岡正剛著
宗教のしくみについて勉強した。テキストは本書。
原始宗教・哲学から、変遷し枝分かれし発展し整備され利用され、姿を変え役割をもち、今の今まで力を保ってきた宗教の、そのたどってきた道筋をわかりやすく書いてあって、ほんとに勉強になりました。

宗教という大きな山の全体を見ることは大事だ!と思う。
宗教は富士山と同じ。
登山口はいくつもあるし、どこから登っても、同じ頂上にたどりつく。
キリストは道を作るのが上手。他の道から登っちゃだめだと言うけどね。
一神教と多神教の違いっていうのは、どうしようもないけど、これを超えなきゃいかんのだよ。



風間杜夫ひとり芝居

2007年06月11日 | 近辺
中川村に出かけた。片道30分ほどのドライブ。

このくらいの運転はふだんでもするのに、今日はいつもと違う気分なのは
「仕事」のためでも「子ども」のためでもなく
「自分」のために目的地に向かっていたから。

中川村文化センターで上演される
「風間杜夫ひとり芝居三部作」を観に。

飯田近辺で小劇場出身の役者の舞台を観ることができる機会は稀で
しかも上演日が休日で何も予定がない、なんてチャンスはほとんどない。
この希少価値を考えると、使えるチャンスは使わなければもったいない。
そもそも舞台を観にいくこと自体、はるかぶりなのだ。

風間杜夫といえば、蒲田行進曲の銀ちゃんは強烈だが、
私にとっては『熱帯楽園倶楽部』のタイ人化けっぷりが見事にツボ。
プロフィールにも載らない、レビューもつかない目立たない作品だけど
「おお、風間杜夫はこんな芝居ができるんだ。見直したぜ」と思ったものだ。

さて、今回の舞台だが
「ひとり芝居」しかも「3部作」これを58歳が3時間近くかけて上演する。
膨大な台詞、何種類もの歌、踊り、発声、活舌、衰えないパワー。驚異的だ。

接待のため派手な衣装でカラオケに興じる「カラオケマン」、
ある日突然記憶喪失に陥る「旅の空」、
少年時代の夢を頼りに第二の人生を歩みだす「一人」という3部作は
団塊世代のある一人のサラリーマンが繰り広げる人生劇。

劇中のサラリーマンが時折、風間杜夫ではなく「何処の誰か知らないおじさん」に見えるのは演技力か?
私たちは舞台で演じているその人を風間杜夫だと知って芝居を観ているわけだが、そこに違う人物が立ち現れる時、風間杜夫が消えたかのように錯覚する。が、その錯覚を作っているのは風間杜夫その人である。
演技というものがこういうことなら、昨今のテレビ・映画は演技力のないタレントが多すぎる。

加えて芸達者。演技と芸とは違うのだと、ここでも考えさせられる。
きちんとした演技で支えられた芸だからこそ奥深い。

惜しむらくは、構成。
「ひとり芝居」を観るのは初めてだったが、「ひとり芝居」の構成は難しいものだと思った。
冗長気味でカタルシスがない展開は、それが狙いなのか、それとも失敗なのか。

団塊世代の人生ストーリーということで、懐かしい歌や役者が出てくるが、
学生運動の場面は当時の雰囲気を(私は知っているわけではないけど)髣髴とさせてなかなかよかった。
そうか、芝居というのはこうやって、時代を切り取って編集して見せることができるんだ、と新たな発見。

それにしても多彩なカラオケ熱唱。これだけ歌えれば気持ちいいだろうなあ。
久々にカラオケに行きたくなった。帰りの車の中、ひとりで思い切り歌った。



利尻富士

2007年06月09日 | おでかけ
朝早く、お父さんと一緒に家を出た次男から
昼過ぎに電話があった。

私  「今どこにいるの?」
次男 「わっかんな~い」

そう。彼は今、稚内にいる。

この連休を利用して利尻富士に登ろうという計画なのだ。
本州は雨雲に覆われているが、北海道は天気がいいようでよかった。
利尻富士も円錐型のきれいな姿を見せてくれることだろう。
頂上にはまだ雪が残っているらしい。

セントレアまでの道中
暇だから三線を弾くと言って
三線抱えて車に乗り込んだ次男である。


「三線(さんしん)」

2007年06月08日 | 近辺
最近、下の子の「沖縄三線(さんしん)」熱が再燃。

うちには三線用の「工工四(くんくんしー)」という楽譜の本が十数冊ある。
Jポップ、沖縄ポップ、懐メロ、沖縄古典民謡など、かなりの曲数。
もちろん全部弾けるわけではないが、知らない曲でも、工工四をたどればなんとなく弾けてしまうので、レパートリーはけっこう増えた。

そうはいっても我流だし、楽譜を見ながら弾くだけなので、独特のリズムやテンポや抑揚などがやっぱりできていない。
せっかく覚え始めてきたところなので、変なクセがつく前に、ちゃんとした筋で教えてもらえるといいだろうなあ、と思うのだけど、飯田には三線教室はもちろん、同好会のようなものもない。
どなたか飯田で三線を教えてくれる方はいないでしょうかねえ。

三線は「歌三線」といって、歌いながら弾くのが本格的なんだけど、下の子はまだまだ歌いながら、は無理。
そこで私に歌うように要求する。
私の歌だってかなりでたらめだ。民謡など微妙なリズムやメロディーがつかめないし。
下の子はそれでも、人の歌に合わせて弾くことがおもしろくなってきたところ。
毎晩、三線を抱えて「ご一緒に」と誘う。

ちなみに、今ふたりで合わせられる曲は
「チョンチョンキジムナー」「童神」「安里屋ユンタ」「七月エイサー」「十九の春」「平和の琉歌」「オジー自慢のオリオンビール」「テーゲー」「てぃんさぐの花」「芭蕉布」「イラヨイ月夜浜」「赤田首里殿内」「月ぬ美しゃ」などなど。

「信濃の国」を採譜して歌えるようになりたいなあと思っている。



春困

2007年06月05日 | 近辺
先日の眠気についてですが
春になんとなくだるかったり眠かったりする症状を
中国では「春困」というのだそうです。
病気というわけではなく、季節の変化によって起こる生理現象なのだとか。

でも、昨今はそればかりではないような気がします。
私は花粉疲れだと思ってました。
なにしろ年末からずーっと、くしゃみ、連発。
半年近く続いているので、くたくたです。

それと黄砂も関係あるんじゃないかなあ。

「春困」の解決法としては、まずは適度な運動、なのですと。
しかし、だる~いときに、運動せえよ、と言われてもねえ。

それから十分な睡眠。
はい、寝てろと言われれば、いつまででも寝ていますよ。

そして入浴。
そっか…。温泉に行こうかな。

適度の苦味と軽い香りのある食べ物。
山菜ですね。しかし、もう山菜の時期も終わりだなあ。

なんだかナマケモノがうだうだ言い訳してるブログですね。


春眠

2007年06月02日 | 近辺
ここ数日、異様に眠いのだが、どういうわけか。
昨夜も「時効警察」も見ずに寝てしまったし、寝不足というわけではなさそうなのだが。
こう眠いと集中力が落ちて、ふだんやり慣れているささいな仕事でさえミスをする。
重要な案件を考えたり決めたりすることは、やらないほうがよさそうだ。
どうも、からだがゆるんでいるみたい。
甘いものを控えようかな。

忘却とは

2007年06月01日 | 近辺
6月になった。
もう6月と思うか、まだ6月と思うのかは人それぞれだろう。あっという間に1ヶ月たってしまったと思う人もいるだろうが、私にとって先月の5月は長かった。ゴールデンウィークからずいぶん時間がたったように思える。

5月に限らず、4月のこと3月のことも、はるか昔のことのように思える。いろいろあったはずなのだが、記憶がかすかだ。今年の正月はどこで何をしていたかも思い出せない。単に覚えていないだけのことかもしれない。

自分の年齢もしばしば忘れる。
実際の年齢より1歳多く人に伝えてしまい「お若く見えますね」などと言われたこともある。
ふだんは別段困ることもないが、役所などに提出する書類に記入する時、勘定しなければわからなかったりする。
先日、自分の卒業年を書かなければならない書類があったので、あらためて生まれた年から年表を作って数えてみた。
年表の数字がひとつずつ増えている当たり前なことに感心しながら、着実に年を重ねているなあと、思う。
よく、お店を始めて何年になりますか、と聞かれる。ちゃんと答えられたためしがないので、この際調べてみた。
数えてみたら、引き売りを始めてから16年。飯田に店舗をもってから14年だった。
特に長いとも短いとも思わない。ああ、16年たったんだなあ、と思う。
細かいことは覚えていないが、16年という時間を一瞬も無駄なく生きてきたということは感じる。そもそも、人生に無駄な時間などない。

まあ、数十年生きていれば、いやなこともつらいこともある。
でも、いやなことつらいことはほとんど忘れてしまう。
もの忘れがよくなって(もの覚えが悪くなったとはいわない)幸せなことだ。
うれしかったこと楽しかったことも忘れてしまうのかというと、その「ものごと」については、やはり忘れてしまう。
ただ、うれしかった楽しかった感覚だけは、覚えている。
何がどうなってうれしかったのか具体的な記憶はないが、感覚だけ思い出して、うれしかったなあ、などと思う。

そんな都合のいい記憶力だが、どうにも忘れられず、ふっと何かの折に思い出してしまうことがある。
人につらい思いをさせた傷つけてしまった記憶だ。
こう書くと善人っぽく聞こえて気まずいのだが、他人の心のこととなるとわからないのだから仕方がない。
相手は、気にもとめていないかもしれないし、根深く恨んでいるかもしれない。
どう思われても仕方がないが、傷つけてしまったという一点においては、気がかりが残る。まあ、そのくらいは覚えておいてもいいだろう。

もの忘れがよくなると、いつも新鮮でいい。昔観た映画も初めて観たような気になる。お得だ。
飽きっぽい性格の私が、仕事を続けていられるのも、もの忘れがいいからだ。
だんだん日常に支障がでてくるようになって迷惑をかけたりするが、それはもの忘れではなく失念というのだそうだ。ほんとかな?