てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

ファッションの幅

2012年10月29日 | Weblog

ファッションの幅が狭いなあと あらためて思う。

昨日は とある式典があって
自分ではかなりふだんよりおしゃれを意識して服を選んだつもりなんだけど

考えてみたら、
きっとわたし、これと同じ格好で
上野の文化会館にロシアのバレエ観に行くよなあ。

おでかけ用の服のつもりで買っても
それを着る機会があまりないので
だんだんふだん着になっていっちゃうし

それならいっそ
ふだんも使えるちょっといいもの みたいな
中庸なレベルに落ち着くわけで。

 

 

 

 


チョコと頭痛

2012年10月27日 | Weblog

ううう、チョコの食べすぎで頭が痛い。。。

新商品・新入荷のチョコの写真を撮って
カートを作成して
試食をしてメルマガを書く、という仕事なのです。

昨年までは、板チョコ一枚くらいぺろっと食べてたのに
チョコを食べて頭が痛くなるなんて初めてです。


これ経年変化か、それとも 「冷えとり」効果か!!??

なんにせよ、からだが変わっているということなので
無理しないのがイチバンです。

 

 




同じことを続ける

2012年10月26日 | Weblog

去年や一昨年と同じことをやるってことが
だんだん大変なお年頃になってきています。
目や手先や記憶力や、いろんな機能が衰えてくるので・・・。
つまり、今までと同じレベルのものを提供できるかというと
そういうわけにいかなくなってきているのですね。

だから、同じことをずーっと続けている職人さんとか見ると
そのレベルを維持するためには
たいへんな努力をされているのだろうなあと思います。

一方、年齢を経るごとに
ころころとやることが変わる方もいらっしゃいます。
いつも新しいことを始めて、それを提供している。

年をとると、新しいことを始めるのも覚えるのも
なかなか大変です。

同じことも続けられない
新しいことも始められない

だんだんそんなふうになっていっちゃうのでしょうか。

年とともに変化する、のは必然であるならば
それとどう付き合っていくか。

今まで積み上げてきた技術や知識を維持し、さらに磨き
いぶし銀のようになっていくか

心やからだの変化に応じて、その時々の最善を探し
きらめきを発するのか

まあ、たいがいは、どっちつかずなんでしょうけど。

このブログでやってることは、そんなどっちつかずの試行錯誤。


 

 

 



 


「強み」発掘

2012年10月25日 | Weblog
ええと
今週末、起業について話をしなければならないので
その下準備のためにつらつらとネットをチェックしていたのですが

「強み発掘セミナー」というのを見つけました。

 

へえ、おもしろい

 

そう、よくね、個人ブランディングとか強みとかって
教わるわけなんですが、
強みってどういうことかっていうことがいまいちよくわかってなかったりします。

この方の提言では

「強み」ははじめから「できてしまうこと」。
「能力」は「できるようになること」だ。

強みには「できてしまう」と同じように「なってしまう」というものもある。
 
なのだそうです。
 
「できてしまうこと」は最初からできてしまうので、努力や訓練が必要ない。
「強み」はできてしまう特徴があるので、いつも「自分から」はじまる。
社会で必要かどうかとか、誰かに評価されるかどうかとか、偉業を残すかどうかとか、
そういうことはひとまず関係がない。

だから強みにはストレスと競争がない。全部自己完結してしまう。
 
なんとなく、わかるような気がしますね。
 
「強み」は哀れにも、本人が全く「気づいていない」「指摘されても否定する」というという特徴がある。
 
なるほどねえ。
 
「強み」は誰もがなにかしらもっていて、でも自分では気づかない。
だから「発掘」が必要だ、ということで、この方のセミナーがあるわけです。
発掘した「強み」の使い方も教えてくれるわけです。
 
ふううう~ん。
 
自分の「強み」ってなにかな?と考えてみるのは
ちょっとおもしろそうです。
 
発見した「強み」を、どう使うか。
そのへんになるとノウハウが必要なんですね・・・。
ちょっとめんどくさそうです。ははは。
 
で、ちょっと思ったのですが
「強み」は「自分から」はじまるということはわかるんだけど
それが、必ずしも人道的であるとは限らない場合もあるんじゃないかな?
つまり、はじめから「できてしまうこと」が、人道的ではない場合、
犯罪をおかしてしまう、ということもあるんじゃないの?この理論によると。

そう考えると「強み」という言葉、概念自体、はまらなくなるね。
はじめから「できてしまうこと」が、その人の人生を生かすいいことばかりとは限らない。
逆にいえば、絶対に人道的なことであるという根拠がないからね。

 

 

 

 

 
 
 
 
 

 


習いごとが続いている理由

2012年10月24日 | Weblog

先日わたしは、「ひとにものを教わるのが苦手」と書きました。

そのわたしが、なんと「フラ」を習い始めて、まる3年。
もうじき4年目に突入しようとしています。

大人になって、こんなに長続きしている習い事は初めてです。

なぜこんなに続いているんでしょう。

それは、当初から
「考えない」「目指さない」つまり「がんばらない」ことを
目標にしているからです。

勉強家のわたしは、なにか新しいことを学ぼうとおもったときに
まずそのことに関する本を最低でも5冊は読みます。

しかし、「フラ」に関しては、まったくそれをしていません。
レッスン中に先生が教えてくれることだけがすべて。
それ以外にも学ぼうと思えば、たとえばハワイ語だったり音楽や楽器のことだったり
いろいろあるはずなんですが、そういう知識や情報をあえて入れないようにしています。
他のダンサーの踊りを観ることもほとんどありません。

そして、発表会やステージなどの機会もあるけれど
そこに出ることを目指さない。
フラをやる目的は人それぞれいろいろあるだろうけど、
わたしはフラによってなにかを得ようなどと思わない。


もともと、まじめでがんばりやだから
それに輪をかけて一生懸命になってしまうと疲れちゃうのです。

だから、適当に、ほどほどに、気分転換程度に。

負担が少なければ、続けやすい。
そういうことだと思います。

がんばっていないけれど
腰痛がなくなったのは、ラッキーだったかな。

 

 

 


ひとりでおでかけ

2012年10月23日 | Weblog

新しいレストランがオープンしたとか
興味のある映画が上映されてるとか
おもしろそうなライブがあるとか
ためになりそうな講演会があるとか

そんなときに、ひとりででかけることは
全然、苦ではありません。

「行きたい」と思い立てば、ひとりでもすんなり行ってしまいます。

ひとりで行かないとすれば
あとで相方に「ぼくも一緒に行きたかった~」とスネられるか
ペアで入場したほうが安いチケットがあるか
長距離の運転をしないといけない場所にあるか。

そんなところ。

なので、
自分たちが講演会やライブの企画をした時に
「ひとりで行かれない」人がいることに、軽く驚きます。

新しいレストランに行く時も、まず「誰と行くか」を考えるんですね。
女子学生がトイレに連れ立って行くのをふと連想してしまいます。

いや、いいんですけどね。
人それぞれですから。
ただ、もったいないなあ、と思うだけです。

 

 

 

 

 


ひとにものを教わる

2012年10月22日 | Weblog

ひとにものを教わるのが苦手です。

「Aをしなさい」と教わって
その通りにすれば、上達したり成果が出たりするのでしょうが
それができない。

さまざまなハウツー本も、まずは斜めに見る。

素直じゃないですね~。

損な性格だと思いますが
「わたしもそう」と同意してくれるひとも多いような気がします。

さて、わたしの場合モンダイなのは
たとえば、「A」と聞けば、
自然に自分なりに解釈しアレンジされた「A'」が自動生成されることです。

ずっと独学でやってきたので
ある意味、自分の発想だけでやってきた、とも言えるわけですから
まず自分の発想が立ち上がる、というクセがついちゃってるんだと思います。

で、そうなると、自分の中で
「A」も正しい、「A'」も正しい という
ダブルスタンダードが生じます。

これは、けっこう困ります。

そこからあらたな発想が昇華すれば、それはそれでおもしろいのですが
いつもそう、うまくいくとは限りませんし。

無駄に悩みます。




「アキンド女」と「サムライ女」

2012年10月21日 | Weblog

「アキンド女」と「サムライ女」
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20121010/136921/

うまいこというなあと思ったら
「草食男子」で流行語大賞をとった深澤真紀さんの造語でした。

自分の存在を「物語」にして「商売」にしていく女を「アキンド女」
一方で、成功していながらも、自分の「女」の「物語」を売りにすることをよしとしない「サムライ女」
と、説明されています。

元祖アキンド女として、瀬戸内寂聴、岡本かの子、林芙美子、宇野千代、
元祖サムライ女として、白州正子、幸田文、向田邦子、須賀敦子、沢村貞子
などを、上げています。

なんとなく傾向がわかりますね。

「生き様」をさらすのが「アキンド女」で
「生き方」を示すのが「サムライ女」なのかな、と
わたしは解釈します。

若い頃は、アキンド女もおもしろいと思ったけど
いまはサムライ女のほうに興味をひかれます。

白州正子にしろ幸田文にしろ須賀敦子にしろ、もともと物書きではなく
多筆になったのは50代くらいから。
自分がその年齢に近くなっているので、なおさらでしょう。

 

さて近頃、ネット関係の講座で「個人ブランディング」が大切だ
ということを教えてもらいました。
セキララに自分を売り出すという「アキンド女」的な方法です。

若いうちはそれもいいけど、この年になるとね・・・。

無理せずにやっていきたいものです。

 

 

 


近況報告

2012年10月20日 | Weblog

なんと1年以上放置していたようです。
記事を更新しないとテンプレートが使えないということなので
とりあえず、久しぶりに書き込んでみます。

 

Twitterを始めた頃から、ブログに書くより手軽なTwitterに気持ちが移り
Facebookをやるようになって、そこになにか書けば気が済むようになってしまい
また、このブログとは別に、ショップの公式?ブログにも
チカラを入れないといけない状況になり
ほんとうにご無沙汰してしまいました。

 

このまま放置でもいいかと思っていたのですが、
それでもこのブログはけっこう古く、
なんと2004年9月30日が最初の投稿であったりするものですから
もったいないなあという気もしていたのです。

 

SNSはほんとに便利で手軽なツールですが、その一方
ブログの重要性も見直されてきているようで
それと同時に、やはりわたしには「書く場所」が必要なようで、
それならばと、掘り起こしてみた次第です。

 

そんなわけで復活の兆しのあるこのブログ、
いつまで続くかわかりませんが
TwitterにもFacebookにも、ましてやショップブログにも書かないような
「裏たまちゃん」的なことでも書いてみようかなと思ったりします。

 

それにしてもブログって不思議な媒体。

 

Facebookのように、相手が見える媒体と違い
ここに書いた言葉がどこに届くかもわからない。

 

どこに向かって言葉を発したらいいのかわからない。

 

まあ、ブログを書き始めた頃から
読む人との距離感(まあ、読む人がいれば、の話ですけれどw)
落ち着きどころが見つけられずに
これは独り言なのか?対話なのか?それとも表現なのか?
はたまた情報発信なのか?
といつも悩ましく思っていたことでした。

 

考えすぎるのは、クセですから仕方ないですが
ま、かっこつけずにそういうことも書いていってもいいのかなあと
思うようになったお年頃でございます。

 

それから、もうひとつ。
TwitterやFacebookばかりやって
長い文章を書かなくなると、やっぱりだんだん書けなくなってしまうので
そのリハビリも兼ねて、というところでしょうか。

 

自分なりの文章のリズムを取り戻したいのですね。

 

おそらく、こんなに放置したブログ
誰も見てないでしょうから、
練習がわりに、ぼちぼちと気ままに書いてみましょうかね~。