てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

『癒しの時代をひらく』上田紀行著

2007年11月11日 | 本棚
『癒しの時代をひらく』上田紀行著
97年に発刊されたこの本を購入したのは、実はもう数年前なのだけど、その時はなぜか読む気にならず、ずっと本棚に並んだまま埃をかぶっていた。
最近、上田紀行氏とダライ・ラマとの対談『目覚めよ 仏教! ~ダライ・ラマとの対話』を読んで、(この本の感想もいずれ書きたいと思っているが!)あらためて上田さんの著書が読みたくなり、本棚から引っ張り出してきた。

いやもう、10年前に書かれた内容とは思えない。読みながら、今起こっているさまざまな事件や現象が思い浮かび重なる。時代は癒されていない、というより、事態はより複雑に露骨に剥き出されているのではないかとさえ思えてくるのだ。

昨今の『癒し』ブーム。
先だって私も東京で催された『癒しフェア』に行ってきた。そこでは、パワーストーン、オーラ測定器、水、タロット、ヒーリング、セラピー、・・・などのさまざまな癒しグッズやメソッドがあふれていた。商品見本市なのだから仕方ないかもしれないけど、しかし、これのどこが「癒し」なんだ?という違和感は感じていた。

「癒し」という言葉を世に広めた草創期の一人である上田さんは、「癒し」と「治療」とは異なる意味合いがある、と言う。「治療」が障害のある部分の回復であるとすれば、「癒し」とは存在全体に関わる言葉である。治療が癒しになるとは限らないし、治療が失敗しても、つまりたとえ亡くなることになっても「癒された死」を迎えることもあり得る、と。

こんな導入から展開される上田さんの「癒しのコンセプト」はこうだ。

「『癒し』というコンセプトがわれわれを導くのは、一方では地球全体にまで視野を広げ、地球大に発想しながら、他方では自分自身の自我の構造を見つめ直し、自己を深く探求するという、非常にダイナミックな視点であり、それを現実に自分が生きている場で形にしていくという実践的な行動なのである」

このセンテンスだけで、私などは短絡的に、癒しフェアに魅力を感じなかった理由を見つけてしまうのだけど、上田さんは癒しブームを否定せず、さまざまな角度から「癒し」を読み解き、可能性を探っている。

目次には、多重人格、マインドコントロール、人格改造セミナー、宗教とセックス、カウンセリング、トランスフォーメーション、などなど、当時の精神世界系のキーワードが並ぶ。

自己啓発セミナーやマルチビジネス、絵や石などの「呪術的商品」にたくさんの人がはまっていくのはなぜか・・・とか

マインドコントロールの受け手は被害者であると同時に、コントロールを加える側でもありうる・・・とか

やはり10年前はまだのんびりしていた時代なのか、問題が今ほど複雑ではなかったような感じがするが、今でも十分有効な視点が随所に見られるし、この視点から今の状況を上田さんがどう観ているかを知りたいとも思う。

最終章“「愛と生と死」の癒し -「傷ついた私」をいかに癒すか-” は圧巻だ。

ここでは、尾崎豊と上々颱風という異色のアーティストの世界観を「愛と生と死」をテーマに論じ上げている。

尾崎豊という歌手に私は全然惹かれないので、この本で初めて歌詞をじっくり読んだ。
連想するのは太宰治や坂口安吾などの破滅的な芸術家たちだ。芸術のために身も心も焼き尽くし自分を滅ぼす。尾崎豊の垂直な自己追求は、芸術を追い求めてもそれによって癒されることのない苦悩の作家たちを思い起こさせる。

一方、上々颱風のアニミズム的な世界観は、境界を超越し、楽観的に外に向かって開いていく。

学生の頃は太宰を読みふけっていたけれど、ある時から、芸術は命を魂を輝かせ花開かせるものであってほしいと思い始めた私は、今では上々颱風のお気楽・ノー天気・楽観主義的な世界観が大好きだ。
で、実はこれはまさしく上田さんが論じる「癒しのプロセス」そのものだなあと気づく。
この「癒しのプロセス」とは、いったい・・・?
これは本書をぜひ読んで味わってほしい、と思う。

女性である私から少し厳しい目で見れば、もう少し「からだのもつ自然性」について触れてほしかったところなのだが、10年たった今では、「一番身近な自然」として「からだ」を見つめなおす著書もさまざま出てきている。
思い起こせば、布ナプキンの取り扱いを始めたのもこの頃で、そもそも私としては、自分のからだと仲良くなることが世界と仲良くなることにつながる、という飛躍的なイメージを持っていたのだが、その感覚は、上田さんの「覚醒のネットワーク」からもヒントを得ていたものだった。
布ナプキンを「気持ちいい」「かわいい」という安易な癒しグッズとしてだけではなく、自分のからだが地球とつながっていることを深く感じるためのきっかけとして手にとってほしい、と強く願わずにおれない。




もうすぐ新月

2007年11月06日 | 近辺
歳時記カレンダーを使うようになって3年。
だいぶ、月の満ち欠けのリズムが自分の中に定着してきました。
自分のからだのリズムとも連動して、
そろそろ新月だな、とか、満月が近いな、とか
なんとな~く感じるようになってきた。

旧暦は、月と違って引力がないので
からだに直接影響してこないせいか
まだ、今ひとつフィットしてきません。

「明日は立冬です」と言っても
毎日部屋の中にひきこもってパソコンに向かっている生活では
実感が足りませんなあ。
空気、風、水、樹木の香り、太陽の光、土の匂い
そういうものに毎日触れていればこそ
暮らしの中のひとつのリズムとして感じることができるんだろうなあ。

さて、秋ふかし。
毎夜、寝る前に数ページずつ本を読むのが、入眠前の習慣。
いま読んでいるのは瀬戸内晴美「かの子繚乱」
明治から大正にかけての個性的な女性たちの話は本当におもしろい。
夜になると、昼間にあったごたごたもすべて忘れて、かの子に会いに行く。