てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

『六ヶ所村ラプソディー』映画試写会に行ってきました

2007年12月10日 | 映画
1月12日に飯田で上映予定の映画『六ヶ所村ラプソディー』の試写会を観に行った。

この映画の舞台になる青森県六ヶ所村には日本各地の原発から出る放射性廃棄物を処理するための再処理工場が建設されている。
今現在はウラン試験というテスト段階にあるが、2007年には本格的に稼働する予定があるという。
映画は、再処理工場を取り巻く人々の暮らしを、反対派賛成派同じように取材した2年間の記録だ。
公式サイトはこちら

タイヤを冬タイヤに付け替えていたら出発の時間に遅れてしまい、会場に着いたときにはもう映画は始まっていて、漁師のおじさんが海域調査に反対抗議している場面からだった。
漁業を生業として海から糧を得ている漁民、核燃の中で働く労働者、核燃との共存共栄に今後を賭ける街の業者、土と共に生きる農業者・・・
それぞれの立場、生き様と、核燃との関わりを淡々と描く。
核燃との関係を、ある農夫がこんなふうに語っていた。
「ここに土地がある、そこに家を建て、家庭を築いて幸せに暮らそうとしているその敷地内に地雷があるのと同じ。もしかしたら、地雷を踏まずにずっと幸せに暮らすことができるかもしれない。でも、もしかしたら地雷を踏んでしまうかもしれない。いつも地雷があることを頭の片隅、心の片隅にずっと思いながら暮らさなくちゃいけない・・・」
イギリス・セラフィールド再処理工場反対グループの女性は「被害が出なければ気づかない」と語る。
この映画には病人は出てこないし人も死なない。何も起こっていない。
稲田が広がり、海は波高く、チューリップは風に揺れる。
でも息が詰まる。重いものを飲み込んでしまったような息苦しさ。
それは、核燃の建設を許してしまった自分のあり方を照らし返されるからだ。
「中立という立場はない。何も言わず何もしないことは、賛成しているのと同じ」
何も知らない、知ろうとしないことも同じだ、と思う。
まず、知らなければいけない。そのためにこの映画がある。


この映画の上映会はてくてくスタッフのたろうくんやその仲間たちが熱心にすすめている。
少し前なら、私たちが主催していたような企画だが、もうどんどん後進に道を譲っている。いろんな人が関わったほうがいいし、経験になるし勉強になるはず。
まあ、種はまいたよね。手伝えることは手伝いつつ、彼らの動きを見守っていきたいと思う。

ということで、宣伝。

『六ヶ所村ラプソディー 上映会』
1月12日(土) 長野県飯田市松尾公民館にて
開演 1回目  午後2時~
    2回目  午後6時30分~
前売り  1000円
当日   1200円
高校生以下 500円
託児あり 300円(1名につき)
連絡は てくてく 宮崎まで


高野文子

2007年12月06日 | Weblog
高野文子という漫画家が学生の頃から大好きです。
とても寡作な方で、あまり作品を目にする機会がありません。
広告にも乗らないので、新作が出ていても気づかないことが多いです。
私も好きなわりにはあえて捜し求めることもせず、たまたま書店やネットで見つけては、その出会いを喜びつつ購入することをひそかに楽しんでいます。

その高野文子が、先月末からA新聞の連載小説の挿絵を描く、ということを、たまたま知りまして。
知ってしまったからには、動かないわけにはいかないでしょう。
長年愛読していたM新聞からA新聞に切り替えました。
本因坊戦が載っているから、と、かたくなに他社の新聞勧誘を断り続けていたというのに、なんという尻の軽さ。

いつもいつも気にかけているわけではないのだけど、こんなふうに、ふっと気にし始めると、またいろいろ読んでみたくなるもので、ネットで検索したりしてしまったら、単行本の新刊はないものの、雑誌やムックで新作が掲載されていたことがあったことを知ってしまいまして。
うふふ、と頬がゆるむのを抑える間もなく、ポチッと購入ボタンを押してしまうのでした。