てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

『チベットを馬で行く』渡辺一枝著

2008年05月05日 | 本棚
池澤小説(※)読了後、やはり古本屋で105円で買った『チベットを馬で行く』を手に取る。正価で1,000円。厚さ2センチの文庫本。
一枝さんは椎名誠のツレアイで、長年保母さんをしていたんだけど、保母を辞めて子どもの頃からの夢だったチベット行きを果たし、それからずっとチベットにはまっている。
このエッセイは、一枝さんの初めての「馬」でチベット高原を横断する旅。
かつてしうさんが旅して、何度も話に聞いたチベットの地名が次々出てきて、行ったことはないのに何だか懐かしい。池澤小説の舞台となったヒマラヤの山奥の小さな王国ムスタンに、一枝さんも馬で訪れている。
しうさんに「ムスタンへは行った?」と聞いたら「近くまでは行ったよ」「どうやって行ったの?」「歩いて。あの頃はどこでもどこまででも歩いたよ」「この本では馬で行ったって書いてあるけど」「ああ、お金がある人はね」「そうなのか。馬で行くのがポピュラーなのかと思った」「どうかな。馬使えばお金がかかるのは当然でしょ」「王国へは入らなかったの?」「行かなかった。頼めば入れてくれるのかもしれないけど、頼み方がわからなかったし」(あとで調べたら、1991年まで鎖国政策をしていたとのことでした)。
言われてみれば、一枝さんの旅は、ガイドやコックを雇ってスポンサーもつけて、お金をたっぷり使った大名行列に見えてくる。でも、そうまでしなければ50歳の女性が半年近くもかけて馬でチベットを旅するなんて土台無理なのだ。誰もができることではないから、やはり凄いことだとは思う。
紀行文は、日を追って旅の毎日を書き綴っている。約2センチの厚さ分、ページを繰ると共に私もチベットを旅している気分になる。

(※)池澤小説とは、池澤夏樹著『すばらしい新世界』のこと。
  実は『夜明け前』のあと、手を付けたのが沢木耕太郎のエッセイだったのだけど、どうもこの人のハードボイルドな傾向が今の私にはそぐわなくて。一度手を付けたものを投げることは普段ほとんどしないが、今回は投げることにした。きっと沢木耕太郎なら、いつかまた気が向いた時に読みたくなるだろうから。で、次に選んだのが池澤夏樹の小説。以前古本屋で105円で買っておいたもの(正価で1,100円)。池澤氏の本は滅多に古本屋で見かけないので、見つけたら買っておくようにしている。
『夜明け前』でずっと暗い穴倉にいるようなテンションだったから、この人の明晰な文章にほっとした。
『すばらしい新世界』は、ネパールの山奥ヒマラヤのふもとに風車を建てに行く人の物語。環境問題や社会風刺や、いかにも池澤氏らしいテーマで物語が動く。
題材も描かれる土地(ネパール)も私にとっては身近。何より池澤氏の視点や語られるテーマが自分のそれに近くて、というのもオコガマシイが、同じものを見て、同じように感じていることを平明な本質を突いた言葉で表現してくれるので、「そうそう、そうなんだよね」と、同感を通り越してすっきりする感じ。
ただ、池澤氏の小説は、登場人物がみんな教養があって論理的。男も女も子どももネパール人も。池澤氏の分身みたい。自分が伝えたいことを登場人物の口を借りて語らせているという感じ。最初に伝えたいテーマがあり、それに合わせて登場人物を動かしている。だからなのか、登場人物の会話も、私は勝手に「池澤節」と名づけているのだけど、みんな同じような話し方。章の初めごとに作者自身が顔を出して内容の解説をするというスタイルも、いかにも作り物っぽい印象になってしまう。日常があんなにスムーズな論理で展開するわけはなく、不自然さは否めない。池澤氏はリスペクトしているし、評論や書評、エッセイはとても好きなのだけど。(だからこそ期待するものも大きいのかもしれないが)。それとも『すばらしい新世界』というわざとらしいタイトル自体に、現実性を裏返したものを含めているのだろうか。




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