てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

桃の木

2009年04月17日 | 近辺
桃の木に桃の精おり竹林に竹の精おり春来たるらし

花の咲く桃の木は、周囲の空気も桃色に染めて
ふんわりと精気をまとっているように見えます。
木にも草にも、あちこちに神様がいる日本。
その中でも、桃の神様はなんとなく格が上のような気がするのは
単なる先入観かしらね。

私が見ている桃の木は野生ではなく、
桃畑で人の手をかけられて育っている木。
神の宿る桃の木の手入れをする人のことを
なんて呼ぶのが適しているのだろう、とふと思ってしまいました。
生産者とか農家とか百姓とか、そう呼ぶのがふつうだろうけれど。



ただいまサイトメンテナンス中

2009年04月14日 | Weblog
ただいま、てくてくねっと(本店)ショッピングサイト サーバメンテナンスをしており、
一時、サイトが表示されない場合がございます。
ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、ご理解ご協力の程お願い申し上げます。

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どうぞよろしくお願い申し上げます。


初夏のきもの

2009年04月10日 | きもの
きものを着始めて、最初の初夏を迎えようとしています。
信州・飯田も20度を越える日が続き、
羽織はもちろん、袷でも暑いなあと感じるようになりました。
肌着を減らしたり、肌襦袢を薄くしたり、微調整を試みています。
5月までは袷の季節。
ですが、きものを着る人のブログを見ていると、
カレンダーではなく、体感の気候で、着るきものを選んでいるという方も多く
あまり堅苦しいことは言わなくなってきているのかなあ、と思ったりしています。

『幸田文 きもの帖』では、初夏のきものに
木綿のひとえ、お召、一越縮緬をすすめています。
そして「夏のきものは心意気で着るきものです」とも。
着付けは覚えても、心意気を会得するまでは、まだまだ遠いみちのり。
きものの奥深さに足を踏み入れる怖さも、だんだんと身に迫るようになってきました。


花粉続きます

2009年04月08日 | 近辺
昨夜から妙に息苦しいなあと思っていたら
今朝の新聞で、ヒノキ花粉飛散量が急増したって。
道理で…。
スギ花粉の時と違う症状の出方をするので、わかるんですよ。
喉の奥がかゆかゆするし、鼻症状もあくどいし。
これから入梅まで、まだまだ続く不快感。

にもかかわらず、無謀にもマスクもせずに外出。
桜がちょうど見ごろです。

飯田の丘の上(中心市街地)は、ひと頃空店舗が目立ち淋しかったのですが
最近は新しく食べもの屋さんが増えて楽しくなってきました。

ふだんパソコンと終日にらめっこの日々なので
お昼休みに時間がとれれば、できるだけ外に出るようにしています。

本日はこちらでランチ↓


妙琴公園そばの「のんび荘」姉妹店です。


入学式でした

2009年04月07日 | 近辺
今日は次男の入学式。
名簿順に並ぶので、整列も座席も何をするにも一番前、一番最初だ。

私も子どもの頃は、いつも1~2番目だった。
背も低かったので、名簿順でも背の順でも、前から1~2番目。
一番はじめ、というのは、周囲の様子がわからない状況ではいやなものだが
次第に慣れて、要領を得てくると、けっこうトクなこともある。
子どもの頃のことで言えば、黒板が近くて見やすい、先生の声がよく聞こえる、
先生が気をかけてくれる(一方、注意されやすい)。
引っ込み思案だったので、先生が物理的に近くにいるというのは、安心感があった。
順番に発言しなければいけないとき(自己紹介とかね)も
緊張するが、すぐに終わるのであとが気楽。緊張している時間が短くて済むのだ。

一番前は目立つ。
親からすれば、入学式、運動会などの行事で子どもを見つけやすくて助かるが
子どもとしては、あえて目立とうとしなくても注目されるので
自己主張する機会が減る。
でも、自分が目立っている、いつも人に見られているという感覚は特別なことではないので
人と違うことをしていても平気だったりする。

「最初」ということ、実は「独り」ということと似ている。
前には誰も見えないのだから。まず、自分ひとりから始めなければいけないのだ。
私はずっと一番前で独りだった。
背の高い人は、自分の前にたくさんの人が並んでいるのを見て育つが
私はそういう風景を知らない。
そのことが、自分の独立独歩な性格形成に
なんらかの影響を及ぼしているような気がしないでもない。