てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

ラオスの旅

2008年02月20日 | 旅日記
え~、実はただいま、しうさんはラオスに行っています。
それで、けっこうまめに「旅日記」ブログを更新しているので
ここでもご紹介しようかな、と思います。

「ほどほど旅日記 ラオス編」

よかったらのぞいてみて下さい。





沖縄5日目

2008年02月14日 | 旅日記
だいぶ間が空いてしまったけど、沖縄話。つづきます。

5日目の夜は、北谷町にある美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジへ。
三線唄者 よなは徹さんのライブがあるのだ。

下の子にとって、マジシャン界のスターは前田知洋、三線界の心の師匠は徹さん。『よなは徹の三線教室 初級編』をぼろぼろになるまで眺めているのだ(弾けよ)。

ライブハウスの入口の狭い階段の両脇に貼られているチラシ、ポスターの中に、勇造さんのチラシを見つけて少しうれしくなる。
客席の後ろの方に、古謝美佐子さんの姿が見える。

開演7時半。最初にcoi-naという女性3人グループ。独特のアレンジのコーラスが波のように打ち寄せる不思議なニュアンスの楽曲。なかなかよかった~。

休憩を挟んで8時半頃からようやく徹さんの登場。すでに私も子どもたちも眠い。。。
徹さんの唄は、腹からの声が太い喉をまっすぐに通って力強い。
クールな外見と裏腹な?はじらいのあるMC。ギャップが受けた~。

アンプが効きすぎて、せっかくの声が機械を通して加工されて、もったいない感じがした。もっとアコースティックな感じで聴きたかったな~。

終演は9時半過ぎ、CD発売記念ということで、CDサイン会もあるということだったし、古謝さんにTシャツのお礼も言いたかったけど、もう眠さに限界で、速攻で帰った。那覇までタクシーで40分。


沖縄4日目

2008年01月09日 | 旅日記
午前中は宿題タイム。

午後からゆっくり、知念半島に向かいます。
ほんとはコマカ島に行きたかったけど、午後は波が高くて船が出ないとのこと。
そうだった、海は午前のうちに行動したほうがよかったんだった。
すっかり海感覚を忘れてしまった、というより、海については素人だもんなあ、私ら。

せっかくなのでグラスボートで海底の珊瑚の死骸を見たり、海ぶどうの養殖について話を聞いたりして、軽く食事をしてそそくさと宿に戻りました。

そうそう、宿なんだけど、
今回泊まったのは「ウィークリーマンション」という長期滞在者用の宿。
1週間とか1ヶ月とか、長期滞在できるように、家電や家具、調理器具など一通り揃っている。
普通1週間単位からでないと借りられないんだけど、1日からでも借りられるところがあり、私たちはそこにしたわけ。
割安だし、値段のわりには部屋は広いし、風呂とトイレは別だし、外出時いちいちフロントに寄らなくてもいいし、実際、アパートの一室を借りているような感覚で使える。
まあ、ゲストハウスでいろんな旅人や地元の人と出会う楽しみも捨てがたいけど、それぞれ活動のペースが違う子どもたちとまわりに気兼ねなく過ごせる点では、気楽でよかったかも。

で、ひとつ疑問が。
ここのお風呂なんだけど、浴槽にたまった水を排水しようとして栓を抜いたら、中の水が洗い場のほうに、だーだー流れてきたんですよ。最初は「漏れてるのか?」とびっくりしたけど、あまりに堂々と流れてくるので、もしかしたらこれが標準装備なのか?と思い込むことにしたわけ。いまだに謎なんだけど。どうなんだろうね。



那覇初日

2008年01月03日 | 旅日記
那覇に来ております。
昨日は曇天でけっこう寒かった。

ゆうべのディナーです。


正面から右回りで、沖縄野菜のサラダ、ハンダマのおひたし、ンジャナの胡麻和えとつるむらさきのおひたし、きのこの煮物?、豆サラダ


デザート。紅芋のタルトとか、タンカンクリームのケーキとか、名前を全部覚えてないけど、甘さ控えめでおいしかったですよ!

ここです。


いつか行った台湾 その2

2006年03月28日 | 旅日記
その1からつづく

 高雄


 島影が近づく。
 漠とした黒い大きな影に点々と明かりが見える。
 ざわざわと心が沸き立つ。
 これが、台湾。  
 しかし、寄港地・高雄までは
 さらに島をぐるっとまわって南下しなければならない。
 島が見えてから到着するまでの長かったこと。
 港に入ってからがまた、長かった。
 すぐ近くに見える岸になかなか近づかない。
 聞くところによれば、船を泊める場所がないから
 空くのを待っているのだと!
 そんなこともありか、台湾。

 入国の手続きがまた、時間がかかった。
 船を下りたときはすっかり夕暮れになっていた。
 船の揺れがからだに残り、多少ふらつきながら
 港のまわりに立ち並ぶ港湾建物が夕日に染まるのを見上げた。

 留学青年に案内され、くだんのおやじと3人タクシーに乗り
 高雄の街中に入り込んだ。
 銀行はもう閉まっていたが、青年がどこからか両替をしてきてくれた。
 その上、おすすめの宿まで紹介してくれた。

 宿に荷を下ろし、屋台の並ぶ繁華街へ繰り出す。
 牡蠣の卵とじと青島ビールでまずは乾杯。

 屋台の看板、道路標識、店に並ぶ商品・・・
 漢字フェチの私は漢字がたくさん並んでいるだけで
 うっとりしてしまう。
 しかも、簡易中国語ではなく、旧字体。
 それらの文字が、赤や黄色の電飾で派手に飾られ
 屋台に並ぶぎらぎら光る魚介類とともに
 これでもか、とまでに迫ってくる。

 立ち上る湯気の向こうの小姐の笑い声、額に光る汗。  



いつか行った台湾 その1

2006年02月14日 | 旅日記
はじめに
  もう、いつのことだったかも覚えていない。
  当時のメモもパスポートも手元に残っていなくて、
  あやふやな記憶でこの旅行記を書くことになる。
  半分フィクションのようなものになっちゃうかもしれない。
  でも、うっすらとでも記憶が残っている今のうちに
  あのときのことを書いておかなければ。
  初めての海外ひとり旅は、台湾だった。


旅のはじまり
  そのとき、私は日本という国の一番西の端っこにある島で暮らしていた。
  その島からは、年に数回、天気のいい日には台湾が見えた。
  私も1回だけ見たことがある。
  うっすらと見えた島影は思っていたよりもずっと大きくて
  こんなに近くに台湾があるなら、行ってみようじゃないの、と
  思ったのが、はじまりだった。
  当時の私はまったくお金がなくて
  旅のために絞り出した費用は10万程度だったか。
  これで、ビザが必要ない期間・・・約2週間たっぷり遊ぼうという魂胆。
  もちろん交通費込み。
  お金の不足は体力で補え。
  これが、貧乏旅行の鉄則だ。
  1ヶ月前からジョギングと縄跳びでからだを準備した。
  安く行くなら船。
  船なら、石垣島から乗ることが出来る。
  しかし、離島の悲しさ、パスポートは那覇まで行かなければとることができない。
  私の台湾への旅は、まず那覇へ向かうところからはじまった。

  1987年6月のことでした(たぶん)。


 とりあえず那覇
  船を乗り継いで那覇へ。
  港に着いたのは早朝。港から国際通りまでリュックを背負って延々歩く。
  小さい離島から来ると、なんと都会であることよ。
  パスポートを入手するまでの数日、那覇に滞在することになる。
  国際通りのどん詰まりにあるユースホステルに荷を下ろし
  毎日ぶらぶらと那覇の町を出歩いた。
  無駄遣いはできないので、食事といってもパンを買ってきて
  ユースに備え付けのコーヒーで済ませた。
  少ない予算ではあるが、さんざん迷った末やっぱりほしい、と
  小さなカメラを買った。
  石垣・白保の空港建設反対運動をしている市民グループの事務所に行って
  一晩泊めてもらったりした。

  那覇から台湾へ行く船は、基隆行きと高雄行きがある。
  私は高雄行きに乗る。
  南から逆S字形に北上して台北から帰るルートを計画したのだ。

  乗船の日。
  チケットとパスポートを見せると乗務員が
  「ちょっと待ってください」と呼び止める。
  え、何かまずかったのかな?と一瞬不安になったが
  乗務員は1通の絵葉書を手渡してくれた。
  遠く内地にいる友人からだった。
  旅の予定なんて全然知らせてなかったのに、
  この船に乗船することをどうやってつきとめたのだろう???


乗船   
  船は空いていた。
  客室は私ひとりだった。 
  石垣までの航路を、伴走するトビウオを眺めながら過ごした。
  石垣で停泊。いったん下船して、出入国管理の手続きを取る。
  港の脇のプレハブのような小屋で簡単なチェックを済ませる。
  船に戻ると、一気に人が増えていた。
  ほとんどが台湾から来た「かつぎ屋」のおばちゃんだ。
  化粧品や服、薬やお酒などを石垣で買い込み台湾で売るのだ。
  そんな中で、声をかけてきたのが
  日本人の一人旅のおやじと、台湾人の青年だった。
  日本語の達者な青年は留学を終えて帰るところだと言った。
  「速読の勉強をしている」と言って本を貸してくれた。
  船に乗るときは、ジューシー(炊き込みご飯)のおにぎりを
  持ち込むのが私の定番だ。
  船内の食堂に行かず、おにぎりを食べていたら
  青年がかつぎ屋のおばちゃんからもらったと言って
  お菓子やお惣菜をわけてくれた。
  カエルの足のから揚げを、初めて食べた。
  おやじの方は、
  当面の台湾での目的地が同じだったため、同行することになった。
   --それで、ちょっと頼まれてくれないか。
  耳打ちされて船内の免税店に連れて行かれた。 
  台湾へのお酒の持ち込みはひとり1本となっている。
   --お金は払うから。
  私も1本買え、と言うのだ。
  持ち込んだお酒はどこぞに売るルートがあるらしい。 
  アブナイ話でなければいいけど・・・。
  あとで聞けば、よくある話であったようだけど
  当時の私はそういうことにはまったくの無知だったので 
  どこか気分に後ろめたさを感じながら
  お酒を買うこと自体は問題ないわけだし、と購入したのだった。

  船中2泊。 

  八重山の鮮やかなリーフを離れると
  海はどんよりと群青が濃く
  深いうねりが何度も押し寄せる。

  遠く水平線まで細かい白波がいくつもいくつも立っている。
  ここから台湾まで、島はひとつもない。
  風が強く吹き、船は傾いたまま航路を西に向かう。


→その2