てくてく日々是雑感

こんにちは。てくてくねっとの たま です。
日々のあれこれをつづります。

『夕凪の街 桜の国』その2

2005年08月31日 | 本棚

こうの史代『夕凪の街 桜の国』は、何度読み返しても新しい発見がある、と書きましたが、
こんな「深読みサイト」を見つけました。
ネタばれがあるので、作品を読んだ人だけ見てくださいね。

これを見ながら、本書を何度も読み返しました。
気づかなかった発見がいくつもありました。
というか、ほとんどのページに隠れネタが…。
ほんのすこしのしぐさにまで意味を見つけ出す読者もすごいですが、あらゆるところに意味を散りばめた作者もほんとにすごい。

おかげで、衝撃的な場面も悲しい場面も含め、何度も「ヒロシマ」と向き合いました。
こんなこと、高校以来かも。
(高校の担任の国語教師が広島出身だったので、毎年夏休みの宿題は原爆作品の感想文でした)

今回は「絵」だったこともあって、地理的なことに関心を持ち、地図を見比べながら読んだりもしました。
この角度にドームが見えるということは、立ち位置はこのへんかな?とか。
折りしも、テレビドラマ『広島・昭和20年8月6日』を観たので、ドラマに出てくる場所と、漫画に出てくる場所を確かめてみたりしました。
う~ん、一度ロケハンに行きたいですねえ。

それと、関連書物を読みたくなってきました。
大田洋子著『夕凪の街と人と』とか、福永武彦著『死の島』とか。図書館にあるといいなあ。

作者があとがきに書いているように、この作品に「育てられ」ていることを実感しています。



こうの史代『夕凪の街 桜の国』

2005年08月30日 | 本棚

こうの史代『夕凪の街 桜の国』を読んだので、何か書きたいなあと思っているところ。

スクリーントーンをまったく使わない、細い手描きの線を重ね合わせた描画で、素朴でほわほわした雰囲気の漫画。トタン屋根の連なるスラムの風景なんか、滝田ゆうの絵柄に似ているなあ、と思っていたら、あとで知ったけど、作者、滝田ゆうが好きなんだって、やっぱり。

物語は原爆投下10年後の広島を描く『夕凪の街』、その32年後の東京『桜の国(一)』、そして平成16年の東京『桜の国(二)』の短編三部作。

三篇の通奏低音として流れているのは、「ヒロシマ」。その重いテーマをほわほわの絵柄と飄々とした広島弁で描いている。

実は、1回読んだだけじゃ、よくわからなかった。
なぜ、皆美はノースリーブのワンピースを拒んだのか、とか。
3作目に出てくる「元春伯父さん」って誰だったっけ…?とか。
緑地でお父さんが会って一緒にお弁当を食べている人は誰だろう…?とか。
何度か繰り返し読んで、ああ、そういうことだったのね、と気づくと、その時、ずしん、と何かが刻み込まれる。

きっと小説だったら、これこれこういうわけで、と言葉で語られる事柄が、せりふのないひとつの絵で表現されている。
この感覚を味わうのは漫画の醍醐味のひとつだ、と思う。

そしてもうひとつ。
最近のデジタルな絵を見慣れた目に、この頼りないような手描きの線描は、古くさいというより新鮮だった。
それは大げさにいえば、ひとつの世界観を取り戻したような感覚。
定規で描いたような、コンピュータで色付けしたような街を、それが「普通」だと思ってふだん見慣れていた。
しかし、いったん、この「手描きの眼」とでもいうのだろうか、その眼で街を見ると、瓦屋根はゆがみ、電信柱はざらざらとした感触になる。
いや、こんな田舎町でさえ、そういう風景は少ないのだけれど。
きっぱりとした線で整然と並ぶ景色も、均一に塗られた背景も美しいとは思うけれど、息が詰まる。
そんなとき、ゆるやかな線で丁寧に描きこまれた、この絵を見ると、ほっとする。
その感覚は、自然素材の手づくり雑貨に心魅かれる感覚と似ている。
でも、最近のエコブーム、スローライフブームの中で、洗練されファッション化されてきたそれとは違う、もっと魂に深く触れるような根源的な感覚。
それは「ヒロシマ」というテーマが描かれているから感じることかもしれない。
だとしたら、主題に近づくための方法としての漫画が、まさに成功しているということなのだろう。


お祭り

2005年08月27日 | 近辺
来るぞ来るぞと身構えていた台風ですが、あっけないほど雨も風も大したことなく通り過ぎていきました。
飯田は、いつもだいたいこんな感じで、台風の影響はあまりないのです。
台風の被害が少ないのはありがたいけど、台風がそれるところは磁場が働いて地震が起こりやすいという話を聞いてからは、あまりありがたがってもいられなくなりました。

今日は近所のお宮のお祭りで、朝から青年会や婦人会のみなさんが、お神輿の準備をしています。
昼過ぎには子ども神輿の「きおい」があり、小中学生や園児たちが神輿をかついで町内を練り歩いたあと、お宮に奉納に行きました。

地域の行事は面倒なこともあるけれど、大人も子どもも一緒に作業をする中で、地域全体で子どもを見守る環境が育まれているのだなあと思います。
都会などで、こういう行事がないところでは、地域の大人たちと子どもたちが顔を合わせる機会がないと聞きます。
そういう環境では、隣の子どもがどんな子なのか、何をしているのか気にとめることもなく、子どもも大人の目を気にすることもないので、いろいろ問題も起こりやすいとか。

お祭りもだんだんイベント化され、形骸化されつつあるけど、本来の「祭り」の役目を忘れずに大事にしていきたい文化だと思います。

さて、6時から通行規制も始まって、お神輿の笛や太鼓の音があちこちから聞こえ始めてきました。
いよいよ「本番」が始まります。
だんだん近づいてくる音、遠ざかっていく音。
街の小さなコミュニティである公民館ごとにお神輿が出てきます。
全部で30台くらい?集まるんだろうか。
それらが街のあちこちで派手に動き回りながら練り歩き、神社に集まってきます。
電飾きらびやかなもの、煙をあげるもの、女性や子どもが乗っているもの、それぞれに工夫を凝らして派手に豪勢に仕上げたみこしを、上に下に振り回すパフォーマンスはなかなか見応えがあるものです。
お神輿と同時に花火も打ち上げられます。
火薬が落ちてくる真下で首が疲れるほど空を眺め続けることができます。




メチルパラベンを使わない化粧品

2005年08月25日 | Weblog
化粧品防腐剤、紫外線で老化促す作用 京都府立医大調査 (朝日新聞) - goo ニュース

パラベンには、メチル、エチル、ブチル、プロピル、ベンジルなどの5種類があります。

エチルパラベン、ブチルパラベン、プロピルパラベンは、環境ホルモン物質(内分泌かく乱化学物質)の疑いがあるとされていますが、メチルパラベンは比較的安全な保存料として、食品などにも使用されています。

化粧品の防腐剤として幅広く使われていて、刺激が少ないということで、自然化粧品などにも使用されていることがあります。
そのメチルパラベンが、紫外線を浴びると、シワやシミなどにつながる皮膚の老化を進めることが確認できたと、京都医科大の研究結果がニュースになっていました。

てくてくで取り扱っている化粧品は、基本的にパラベン類は使用していません。
防腐剤としては、エッセンシャルオイルなどの自然由来のものを使用しています。
例外としてミス・アプリコットの製品がありますが、原材料が植物性のため、パラベンの使用量もごく微量になっています。

100%安全な化粧品というものはありえませんが、成分表示やメーカーのコンセプトなどを参考に、できるだけ安全な化粧品を選んでいきたいですね。

パラベンを使わない化粧品はこちら




広河隆一 写真展・講演会 in松本

2005年08月20日 | Weblog
「広河隆一 写真展 講演会」

写真展
9/17(土)~22(木)10:00~20:00
松本美術館 1F 市民アトリエ 入場無料

講演会
9/18(日) 13:30~16:00
松本勤労者福祉センター 大会議室
チケット 前売・予約 1,000円 当日 1,200円

主催・問合 広河隆一写真展 実行委員会
      0263-27-4020(村井)

パレスチナで、難民キャンプの家庭に侵入するイスラエル軍。
アフガニスタンで、子どもを失った母親の暗く沈んだ表情。
一枚の写真が、遠い国のできごとを、「今ここ」に伝える。

今まで「他人ごと」だったことが「自分ごと」になる。
祈りや願いが生まれる。
そんな小さな積み重ねが、やがて世界の平和につながることを信じて
この写真展と講演会をお送りします。
あなたの目で見て、聞いて、感じてください。



迎え火

2005年08月14日 | Weblog

お盆に入って信州はにわかに人口が増えた。
車も増えたし、道行く人も明らかに地元ではないと思われる人が目に付くようになった。わが家にも義弟夫婦と姪っ子が来てにぎやかになった。

今日は迎え火。引っ越してはじめてのお盆なので、ご先祖様が家を間違わないように、大きめに火を焚くことになった。
迎え火を焚くとき、私の母の故郷の戸隠では
「じいやん、ばあやん、このあかりで おでやーれ、おでやーれ」と歌う。
飯田ではそんな風習はないらしいが、やっぱりこれをやらないとお盆になった気がしない。

玄関前で、松を細く割った「アカシ」に火をつける。
燃える炎を見ているうちに姪っ子が「花火をやりたい」と言い出す。
迎え火を使って花火をするなんて聞いたことないが、
「そんなことでウルサイ人(先祖)いないから、だいじょうぶだよ」とノブコばあちゃん。
お寺の娘が言うんだから、まあ、大丈夫なんだろう。
ゴミ袋を買ったオマケでもらったという花火で、ささやかな花火大会。

これでご先祖様も間違えずに来てくれることでしょう。
今夜はあちら側もこちら側もにぎやかにぎやか。



『「死の棘」日記』

2005年08月12日 | 本棚

『「死の棘」日記』島尾敏雄著を読む。
といっても、図書館の貸し出し期限2週間のうちに読み終わることができなかった。残念。

『死の棘』を読んだのも20年くらい昔のことなので、内容はほとんど覚えていないのだけど、そのインパクトだけは心のどこかに火傷のように残っていて、島尾敏雄、と聞くとつい反応する。

日記自体は、事件から1年後の暮らしなのだが、島尾夫婦にまだ平安は訪れておらず、毎朝、ミホ夫人の錯乱から一日が始まる。
誰もと同じ一日24時間とは思えないほど、一日のうちにいろいろなことが起こる。
感情の起伏だけでも相当な揺れ幅で、首をつろうとしたあとに、家族で食卓を囲み、風呂に行くなごやかな風景。読んでいるだけでジェットコースターに乗っているような感情の波を体験するのに、実際にこの暮らしの渦中にいた島尾氏とミホ夫人のエネルギーたるや…!

くたくたになりそうな毎日を、書き留めておいた島尾氏もすごいが、この赤裸々な日々の記録を公開することを許したミホ夫人には畏れ入る。
書くということ、それを人目に晒すということに、身を切るような覚悟をしながら、それをせざるを得ない作家の性を切々と感じる。



来たっ!ホワイトバンド

2005年08月09日 | Weblog

「ほっとけない 世界のまずしさ」が行っているホワイトバンドを身に着けようというキャンペーン。
なかなか身近で手に入らないと、わじわじ~していましたが、ようやく、飯田・下伊那で販売が始まりました!
はい、うちがやらなくて、どこがやる?

限定100個入荷です。
地元のみなさんに知ってほしい、買ってほしいので、基本的に店頭販売のみです。
ネット通販の買い物カゴはつくっていません。
(…が、もしご希望があればメールいただければ、それなりに対応いたしますね)

日焼けした肌に白いバンドが似合いますよ♪
夏が終わる前にぜひ入手を!
というより、9/10ホワイトバンドデーには、ぜひともみんなでアクションを!

ところで、こんなサイトを見つけました。
「自分は世界で何番目に裕福か」がわかるウェブサイト です。

「ほっとけない」のキャンペーンにお金持ちの有名人が出演して、貧困問題を訴えるというのは、どうなのかな?と感じる方もいると思います。
でも、世界的なレベルで眺めてみると…。

このサイトでは、年収を入力するだけで、世界中で自分が何番目に裕福なのかが一目でわかるようになっているのです。
世界的な貧富の格差の幅を見渡してみると、自分たちの「有り様」がつくづくわかるという仕組み。
なかなか興味深いです。


『ペルセポリス』

2005年08月08日 | 本棚

史実を基にした一代記が好き、と前にも書いたが、事実を基にした半生記ももちろん好き、それが、第三世界の女性のものならなおさら興味が湧きます。
世界の歴史がいわゆる先進国の男性を中心に形作られているからこそ、そのメインストリートには登場しない第三世界の女性が、自らの言葉で語り始めた現実は、ほんとうにリアルな人間らしい歴史の姿。

『ペルセポリスI イランの少女マルジ』
『ペルセポリス II マルジ、故郷へ帰る』
(マルジャン・サトラピ著・園田恵子訳)

1969年生まれのイランの女性の半生記。前衛的な両親の元で奔放に育った少女マルジは、小学生の時にイスラム革命に遭い、ヴェールをつけることを強いられる。弾圧、戦争、爆撃、拷問…混迷するイランを離れオーストリアに向かうが、そこでもまた、西欧文化に慣れ親しむことができず、故郷に戻る。そして結婚、離婚。

戦争を間近に体験し、西欧の享楽的な文化も経験し、アイディンティティを模索しながら成長していくマルジの赤裸々な告白…。
ここまであからさまにしてしまって大丈夫なのだろうか?と心配になるくらいだ。

その内容の過激な面白さもさることながら、このストーリーが漫画で描かれているということがまた素晴らしい。
ヤンソンのムーミントロルの原画のような、少し怪しげなモノトーンのシンプルな線描、しかしこれはファンタジーではなく、現代の若い娘の現実の物語なのだ。

イランという国のことも、そこで暮らす人々のことも、ほとんど遠い感覚でしかなかった私には、この本を1度読んだくらいでは、やはりわからないことがたくさんある。
それでも、この本は今年読んだ本の中でベストワン。


短い夏・・・

2005年08月05日 | Weblog
飯田では恒例の「人形劇フェスティバル」が始まりました。
街は一気にお祭りモードです。
うきうきと出歩きたくなる夏休み~~なのに…、

長野県の夏休みは短い!

今年は7月28日~8月18日まで。たった22日!
お盆が過ぎれば数日で学校が始まっちゃうのだ。
40日間たっぷり休みがあった私には信じられない短さ。
この短い休みの間、ラジオ体操、プール、公園掃除、お祭り…と、学校や地域がらみの行事がもりだくさん。
とにかく子どもたちをだらだらと過ごさせないように、という魂胆のスケジュール。
このスケジュールに振り回される親も大変!(これが言いたかったわけね)

お盆が過ぎれば秋風が吹く信州。
もう、夏も終わるのね…。はあ~~。