道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ずいき(芋がら)

2022年11月14日 | 食物・料理
芋がらを炊いてもらった。好物である。
ちょっと毒気のあるサトイモの葉柄「ずいき」は、日本のソウルフードのひとつでないかと思う。

何十本ものサトイモの葉柄の皮をピーラーで剥いたのは老生、これが面倒だ。天日で干して刻んだのは老妻。翁嫗夫婦の共同作業で、芋がらは漸く調理できる状態になる。

街のスーパーでは売っていないが、山里の道の駅などで見かけることもある。農山村では、大昔から食べられていた食材だが、飲み会で訊いてみたら、その名も味も知る人はいなかった。

この芋がらを水で戻し、油で炒め、油揚げと共にだし汁で煮含ませた「ずいき煮」は、「ゼンマイの煮浸し」に似て、野菜嫌いの私には美味しい逸品である。初老になって初めて口にし、忽ち好物になった。遠い縄文の時代を想わせる食材。飢饉の時の救荒食でも、戦時の携行食でもあったらしい。

サトイモ科の仲間には毒草が多く、サトイモもアクが強い植物だが、少し毒気(アク)のある植物の毒を中和して食べる方法を、先祖たちは早くから知っていた。

人間が毒気のある食物を好むは、食糧の少ない時代の必要からなのか、それとも体内の寄生虫を駆除する為であるのか、食性の謎である。ヒガンバナを食用にした時代もあったらしい。アイヌがウバユリの根を食べていた記録もある。

若い頃、柳沢文正という農学博士の食物研究家が「先祖が大昔から食べていた食物は、現代人が食べて安心な健康食品」と書いている。
この先生は、人種・民族によって好む食物が異なるのは、合理的な理由があると説き、戦後の日本人が欧米型の食事に傾倒することに警鐘を鳴らしていた。栄養学的に必要を満たしていれば良いとする栄養学偏重の食事にも、疑問を呈していた。

芋がら料理は、先祖が食べていた食材だから老人の好みに適う。
下拵えに手間暇のかかる食材を使った料理に不味いモノはない。食べたいから手間暇を厭わないのである。逆説めくが、現行の食品は手間を省き過ぎ、電子レンジでチンのレトルトやお湯をかければ食べられるフリーズドライの食品に、美味しいものがあるはずが無い。

孫たちは、手作り料理を敬遠する。先祖たちが馴染んだ味覚を教えるのは、もう祖父母しか居ない。食文化の混乱は、必ず他の文化にも及ぶだろう。どうすることも出来ない。


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