自己愛と自意識過剰とはどういう関係だろう。端的に言って何の関係もない。自己愛が強いから自意識過剰というものではない。共に自己防衛本能に由来するものではあるだろうが・・・自己愛は先天性のもので、他人を意識しない。他人を気にしない。自分を優先するから遠慮はない。総じて自己愛傾向の強い人は、当然乍らエゴも強い。自意識過剰は後天性のもので、自分が他人の目にどう見えているか、どう映っているかに強く拘泥する。 . . . 本文を読む
運命は人の幸・不幸に大きな影響を与える。人の運は、最終的に皆平等であると考えるのが、確率からいうと正しいだろう。それが事実かどうかを、データで示すことができないのだから、そう考えても矛盾はない。好い運命を願い、悪い運命を避けようと希うのは、運命の女神の裁量を否定するものである。その人間の越権行為は運命の女神に歓迎されるものではないだろう。八百万の神々に無病息災やご利益を祈ることは、運命の女神の存在 . . . 本文を読む
春は卒業・入学・就職で、若者が送迎されるシーズン。長い祝辞を聴くのが苦手な若者がほとんどだろう。大勢の若者の前で祝辞を述べることは、大人には欣快この上ないことのようだ。だが日本の若者は、大人たちの祝辞の常套語「前途洋々」の美辞麗句に踊らされてはいけない。日本の大人は、このような白々しい無責任な言葉で、若者たちを未来に送り出す悪弊をキッパリ断つべきである。人の前途は、紆余曲折があるのが普通であろうし . . . 本文を読む
中学に入る前後のことだったと記憶しているが、舊くから家族同様に親しくしていた年配の婦人から「アンタは笑顔が好いから、いつもその笑顔を忘れないように」と言われた。その後肉親に死なれたり失恋したりする度に笑顔は減って、高校を卒業する頃には、柔らかみのない顔になっていた。その頃の写真を見ると笑顔が少ない。笑顔が多少元に戻ったのは、成人し、恋人を得てからのように思う。幸せは外に顕れる。人は境遇によって、心 . . . 本文を読む
川の土堤の枯草の色が、ほんの僅か赤みを帯びている。よくよく注意していないと変化に気づかない。節分を過ぎる頃から、雨が降る度にほんのり赤みがさしてくるのである。早春の先駆けを、林床の草花や木々の芽吹きに見るのでなく、枯草の赤らみに認めるようになったのは、ここ数年のことである。まさか土に還るほかない枯草に、春の先駆けを見出そうとは、思ってもみなかった。車での遠出も山歩きもできなくなって初めて知ったこと . . . 本文を読む