道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

生活文化

2022年11月13日 | 人文考察
私たちの生活文化は、風土・民族性・生業・経済・歴史・宗教などの影響を色濃く受けて成り立つものである。

生活文化の違いが、人間同士の親交を妨げたり、家庭の平穏を乱したり、ハラスメントやイジメなどの原因となるをことがある。それは個人間の関係にとどまらず、国際関係にまで及ぶこともある。

私たちが、自分と同質なものを親和的に受け入れ、異質なものに排他的なのは、自然の本性であると思う。
それでも、異質なものに関心を抱く好奇心の強い人々というものは一定数居るのは心強いものがある。

異質な人々に出会ったら、先ず生活文化の違いに配慮し、その変異を尊重し、割り切ることが大切である。生活文化の違いに寛容であることは、大人として大切な対応である。

日本は戦前まで、文化人類学を重んじて来なかった。異民族・異人種の生活文化を研究し、それらの人々の自分たちとの違いを知り、同時に自分自身を理解しようとする考え方が乏しかったのである。江戸時代の鎖国が、文化人類学の芽を摘んだことは間違いないだろう。

明治以降に邁進した帝国主義・植民地主義も、侵出対象の国々への関心は経済と軍事に限られ、その国の文化への関心に及ぶまでの時間と意欲がなかった。一言で言えば、関心が偏頗だったのである。
異民族・異人種との接触も欧米人や中国人・朝鮮人に限られ、それも対等な関係を保つイコールパートナーたり得なかった。

インターネットが普及した今日でも、私たちは、海外の人々の生活文化に疎い。たえざる交流と関心があるようでいて、関心の幅と深さは、なかなか改まらない。
浅い情報は大量にあるのだが、踏み込んだ理解への道が拡がらないようだ。マスメディアの、近視眼的報道姿勢が改まらないのが、大きな課題であるように思う。


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