道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

蟠りの解消

2024年08月10日 | 人文考察
今日では共白髪で、一見柔和そうに見える我々老夫婦も、若い頃は、特に父親・母親に成る前は、感情の行き違いが激しく、仲が好い割には諍いが絶えなかった。共に情熱的で自己主張が強く、忍耐力と理解力が乏しい未熟な者同士の結婚は、そうなりがちなものである。よくも60年の間、家庭を保つことができたものである。

円満で無難な人たちが大半を占める世の中の、難も癖も無い温厚な男女の婚姻を、私たちは理想と考え祝福する。しかし現実は、無難な者同士の理想的な結婚でも、歳月を経るうちに、双方が予想もしなかった根深い不満が蟠ることは稀でない。実直で勤勉という長所の基盤とも言える気質が、他方で夫婦の蟠りを解き難くする要因になることは、比較的見逃されている。
私たちの本性は打算的で、好い面に目を奪われると、長所や美点の裏側には必ず短所や欠点が貼り付いているという普遍的事実を、忘れたり無視してしまいがちである。

感情というものは、日常的に表出させ発散させていないと、心裡(こころうち)に沈潜し蟠りの核になりやすいもののようである。
多くの社会行動の中に、人々の心裡に潜む蟠りの解消を目的としそれに著効のある慣習斯くも沢山あるのは、その事情によるものだろう。
伝統行事祭礼が絶えることなく連綿と催行されて来た理由も、社会的意義と共に個人的な意義も大きかったからに相違ない。

お盆が近い。花火と盆踊りは夏の風物詩である。「お盆」は宗教色の薄くなった今日でも、私たちには重要なアクティビティのひとつである。
「盆踊り」は、仏教がこの国にもたらされる以前からあった民俗行事で、仏教の伝来以後に、盆供養にあやかって国中に繁衍したためその名があるが、明らかに宗教行事ではない。

明治時代に、盆踊りに伴う風紀紊乱ぶりが、欧米先進国の人々の目に触れるのは国辱ものと問題視され、それまで国中の集落で毎夏行われていたこの民俗行事を、明治政府が権力で禁止してしまった。
戦後復活した現在の盆踊りは、禁止前のそれと較べると、アルコール分を抜いたお酒に喩えるようなものに変わったと言える。健全ではあるが、禁止前に意義のあった、人々の心裡の蟠りの解消にあまり寄与しないのではないか?
現代は、蟠りの解消にはスポーツ・レジャー・旅行その他様々なアクティビティがある。古(いにしえ)の民俗行事「盆踊り」は、姿形を変えて、今も私たちの生活の中に遺存しているに違いない。












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