道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

葬祭音痴

2024年05月07日 | 随想

 私は若い頃から、社交生活の中で、葬祭儀礼への参列が最も苦手だった。(得手の人は少ないだろうが・・・)
御霊前に額づく心や哀悼の念いは人並みにあると思うが、儀礼の作法や所作が日常生活には無いものなので、どうしても馴染めなかった。
世慣れた人なら、何の差し障りもなく済ませている葬祭儀礼が何か不自然で、自分らしくない振る舞いが気になっていけない。
対する冠婚儀礼となると、これは目出度いことなので、常日頃の自分と変わらぬ態様で臨むことが出来気易い。

遺族が悲嘆に暮れ、故人の友人・知己が哀切の思いに沈んでいる葬祭の場は、日常には決して無い独特の特異な空間である。其処は、宗教(多くは仏教)というより、宗教由来の習俗が支配する葬送儀式の場である。生前の故人の生活と無関係の、一種異様な儀礼に戸惑いを覚えることが多い。この儀礼は、人生で何回累ね繰り返しても身に着かない。儀礼というものは、人と違うことをしてはいけないから、間違わないよう緊張を強いられる。同調圧力の最たるものである。

生来神妙とか敬虔とかいうものを身に備えていないためか、それを身をもって顕すことがひどく負担で苦手である。普通の人なら、粛然と右へ倣えで作法通り難なく儀礼を済ませるところだが、真似ぶ意欲がないから、何十遍となく葬儀に参列していても、この葬祭儀礼というものには慣れない。儀礼というものは、演技性を必要とするものかもしれない・・・

顧みれば、中学生の時に肉親の死で初めて葬祭を体験して以来、数多くの葬儀に参列した。慣れてよいはずだが、こればかりは全然慣れない。根本的に死というものに慣れたくない気持ちが働いているからだろうか?
葬祭に限らず、儀式というものにともなう厳粛さ重々しさというものに違和感を感じる。その場の雰囲気に馴染めない。感情移入は人一倍強い方だが、こればかりは手懸りがない。

儀典とはそういうものだと割り切ってしまえば良いと思うのだが、やることなすこと語ること、全て常の自分でないことづくめとなると、とても堪え難いことに感じてしまう。
目下NHK大河ドラマ「ひかる君へ」で、朝廷貴族たちの活動を映像で見ると、有職故実と儀礼だらけで雁字搦め、とても務まらないだろう。
これが世慣れた人になると、実に円滑に振る舞うから羨ましくなる。
ぎこちなさというものは、儀式には容認できないものである。

社会人なら世俗的儀礼を円滑にこなして当然でなければならない。とうとう私は齢80を超えてなお儀礼音痴、平常心で粛然と事に臨めないのは、洵に愧しい。
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4 コメント

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Unknown (さくらもち)
2024-05-07 15:01:54
私は喪服も礼服も持っておらず、着ない主義です(笑)。
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Unknown (tekedon638)
2024-05-07 20:11:02
さくらもち様
信念をお持ちですね。
形式は故人を悼む気持ちと無関係ですが、
私たちは、周りの多数に倣わないと、安心できないのです。
返信する
Unknown (murasaki)
2024-05-10 23:22:39
こんばんは、
今頃のコメント失礼ですいません
3日?前に読ませて頂きましたが、日本人の誰しもが当てはまる事だと思います

それに比べ海外のかたはどうでしょうか?
キリスト教やイスラム、中国、悲しむのは
親族でそれ以外の関係者とかお通夜とかお葬式に行くのでしょうか?親族で無くても恋人やとても親しくしていてほんとに最後のお別れに行きたい、それが故人を悼む気持ちが
大切だと思います、
日本は同じ組の人が亡くなれば回覧板や放送等を使って宣伝の様に知らせてますけど、
コロナ禍で派手な事が失くなったので
私は本心では助かったと思っています
日本人は、前に慣れの様な義理人情を美徳と
していた時代がありますが、
ですがそれも日本に多くの外国のかたが住んでおられる時代になり薄れて来ていると思います、反対に、私は私で、自分の思いや気持ちを押し通す人が増えた様に思われるのは
昨今の日本の形式ばった考え方が根強かっただけに過ぎなくお葬式等で小香しないわけにはいかない社交辞令みたいなものに縛られていたのではないでしょうか?
私の田舎ではそうするのが当たり前でしたが
親族代表のご挨拶が上手とか下手とか
そんな事を聞くために参列している人もいたと思います、田舎に住んでますが、そう言う事には抵抗が私もあります。
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Unknown (tekedon638)
2024-05-11 08:14:37
@murasaki murasaki様

いつも有難うございます。
誰しもに当てはまることとお聴きし、心安んじる思いです。仲間内では一笑に付されておりますので。
欧米の映画での葬儀のシーンを観ると、身内(悲哀を分かち合う者)だけで故人を送るようですが、儀式性は薄いように見えます。貴族と庶民では別でしょうが。
キリスト教では、プロテスタントはカトリックの儀式性・偶像崇拝性を排除しようとしました。
参列の皆が、自然体で自分の気持ちを故人に捧げるようになる時代になると良いですね。
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