道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

「土蜘蛛」考

2024年07月04日 | 人文考察
上古の時代、この国には、ヤマト王権に服従しない異端の人々の集団が、共同体として生活して居たらしい。彼らに共通するのは、水田稲作農耕を生業としない人々であるところだろうか?その歴史は、先史時代にまで遡るだろう。王権はそれらの人々を、熊襲・隼人・蝦夷・土蜘蛛と呼び、人民の大多数を占める稲作農耕民と区別した。4者のうち前3者は漢語、ひとり土蜘蛛のみが和語であるのは注目に値する。前3者の名称は一般庶民が呼 . . . 本文を読む
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勘違い

2024年05月16日 | 人文考察
私たちの社会は多数決で成り立っている。正しいかどうかよりも、多数の承認・合意をもって事は進められる。少数意見は多数派の意見が採択されると、人々の記憶から薄れ消滅する。少数意見は、多数の決定が万一誤っていた時に、修正する際に最も重要な手がかりとなるはずのものだが・・・これは、私たちの多数決が、民主主義のそれとは根本的に似て非なるものであることを示唆している。民主主義の多数決原理では、少数意見(反対意 . . . 本文を読む
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能力限界2

2024年04月04日 | 人文考察
当ブログの既往エントリ「能力限界 - 道々の枝折」で、能力限界の原因について今ひとつ考察が足りていなかったので、付け加えさせていただく。能力限界というと、能力が枯渇・消耗し、企業生活や社会生活に適さなくなった状態を想像するかもしれないが、どうもそういうことではないようだ。人に具わった能力に限界があるのではなく、人生での成功、すなわち富と地位と名声を獲得することで、自身の向上心が薄れ、観察や学習の意 . . . 本文を読む
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日欧城塞比較論

2024年03月02日 | 人文考察
私は小学校の4年生ぐらいからお城が好きだった。小学校は浜松城の二の丸と思しき辺りに在り、生徒たちは隣接する本丸の丘一帯を「お天守」と呼んで遊び場にしていた。 其処には天守台の石垣はあるものの、天守閣は無かった。もともと浜松城には、築城当時から天守閣がなかったらしい。後に要所に石垣を築いたのは、家康が江戸に遷って後の豊臣時代の城主、堀尾吉晴と伝えられている。家康が築城した当時は、急迫する甲 . . . 本文を読む
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Decade

2024年03月02日 | 人文考察
昔通っていた寿司店の親方が健在だった頃、修業した年限を尋ねたことがあった。10年との回答だった。技能と知識で生きる職人が一人前になるには、一般的に10年はかかるのが普通だろう。職人の世界ばかりでなく、商人も同じである。商品の知識・値踏み・仕入れ・販売のコツなど取引に明るくなるまでには、そのくらいの年月を必要とする。会社員でも、職場の実務に精通しヴェテランに成るには、10年前後の時を必要とするものか . . . 本文を読む
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