私たちは、華やかなことが大好きな、見栄と外聞を強く意識する民族であり、国を率いる為政者も例外ではない。
幕末に列強と呼んだ白人の近代国家群と遭遇し、彼らの築いた近代文明を、およそ世界史に例のない速さで吸収した優等の弟子は、師に認められることを永遠に欲するようになる。以来、白人(欧米社会)に認められることに異様に執着する民族、社会、国家が出来上がった。
昭和の白人連合との戦争も、底流にはその心理が働いていて、目にもの見せんという意識が真珠湾攻撃を招いたと分析する人もいる。
オリンピックも然り。1回目の東京オリンピックは大成功で、政府も企業も国民も、大いに自尊心を満足させた。以後国力は上り坂を辿り、経済力は英仏を凌駕した。
自尊心ばかり強くて、内心に劣等コンプレックスを秘めた人間は、人一倍虚栄心が強い。
そのひとりが都知事になり、20年に及ぶ国力の停滞に苦しみ解決する術も無く案も浮かばない政権に、2度目の東京オリンピックを持ちかけた。政権はこれに飛びついた。夢よもう一度である。
不運にもコロナウイルスが世界を襲った。オリンピック・パラリンピックの開催が危ぶまれる事態となった。開催できるとしても、規模の縮小は免れない。国民の半数以上が、開催を望まなくなった。
コロナ禍によって皆が死を身近に意識し、昭和の時代より大人になった私たち国民は、予防も治療も決め手を持たず、専門家も当てにできない状況の中で、〈世紀の祭典〉より大切なものがあることに気づいたのではないか?もし開催できたとしても、白けたオリンピックの印象を永くとどめる懸念は拭えない。