社会断想

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ドミニカ移民訴訟で思うこと

2006年06月08日 11時43分38秒 | Weblog
ドミニカから父祖の地へ
ドミニカと聞いてカリブ海に浮かぶ島国と見当がつけられる日本人はどのぐらいいるだろうか?
プロ野球に詳しい人なら元巨人にいたG投手がドミニカ出身とぐらいは覚えているだろうし、アメリカのメジャーリーグの選手にはドミニカ出身が多くスター選手がぞろぞろいることは知っているだろう。
大半の日本人にはこのドミニカに関心をを持つ人は少ないだろう。
そのドミニカに戦後に移住した日本人から国の責任を問い、且つ賠償を求めた裁判の判決がでた。所謂「ドミニカ移民訴訟」である。
概略を読売新聞6月7日夕刊から引用すると、ドミニカ共和国に1956~59年に約1320人の日本人が移住したが、「募集要項と現地の状況が違う」として、移住直後から帰国運動が起き、61年には大半の人が帰国乃至他国に転出した。
約250人の残留者はその後も移住条件を守るよう日本政府と交渉したが決裂。
2000年に126人が国に約25億円の賠償を求めて提訴した。翌年の第3次提訴までに「帰国組」も訴訟に参加、原告数177人、請求額約32億円となったが、係争中に亡くなった原告もおり、判決時の原告は170人となっている。
そして6月7日の東京地裁の判決は「国は入植予定地を十分に調査せず、適切な移住先を確保するよう配慮する法的義務に違反した」として国の不法行為責任を認めた。しかし
20年で損害賠償責任が消える「除斥期間」が経過したとして請求は棄却された。
原告は控訴する方針・・・・・・・。というものである。
この記事に先立って、現地に踏みとどまり、さんざんな苦労をしながらも生き抜いてきた人達の消息が同じく読売新聞に出ていた。
たまたまメキシコ在住の孫娘が日本語学校研修員としてJICA(国際協力機構)の招聘で来日することになり、我共にメンバーの名前、年齢と出身国の顔写真付きリストとホームステイ予定等のお知らせが届いた。一行は引率の先生一名を含めて13名である。年齢は14才~15才の中学校相当の少年少女である。出身国はカナダ、メキシコ、ドミニカ、コロンビア及びベネズエラにまたがっている。
興味を持ってそのリストを眺めていると、ふと閃くものがあった。
それはドミニカ出身のS嬢である。
先のドミニカに踏みとどまった人達の消息の中にS氏の談話と写真がある。現住地もドミニカ北西部のD地区とある。S嬢もD地区の日本語学校生とある。
名前のS、在住地区のDとの一致は全くの偶然とも思えない。
(ドミニカからは他に2名が参加している)
ともあれ 父祖の地に子女を研修生として送るとは家族のそれなりの思いもあるだろうし、苦労の末とはいえ生活の安定が窺え同慶の至りである。
ドミニカからの諸君に会ってみたいものだ。
私ももっとドミニカ共和国に関心を持とうと思う。